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岐路 または家路   黒田 勇吾

宮本輝さんは、芥川賞を取った後に
随筆集「二十歳の火影」を上梓されたが、その中に
「蜥蜴」という短いエッセーがある。

題を聴いて、若干引き気味の女性の方もいらっしゃると思いますが、とても忘れがたいエッセーなのでここにあえてご紹介します。

輝さんがまだ20代の頃の話です。

小説家になる以前のころのことで、父を亡くされた後、母と3年間住んだアパートを転居することになって、家具類を移動していた時に、輝さんは、ある棚の釘を抜こうとしてみたら釘で打ち抜かれた一匹の蜥蜴が、その棚の裏に生きているのを見つける。
輝さんは3年前にそのアパートに転居してきた当時、その釘を棚と一緒に壁に打ち付けた記憶がよみがえってきて思わず母を呼ぶ。
母はその蜥蜴を見て、「なんで生きてんやろ」と呟く。

母によれば、そういえばほかの蜥蜴をよくその棚のあたりで見かけたことが何度かあった、と思いだす。
つまりその蜥蜴の妻なのか、それとも夫かのどちらかが、えさを3年間ずっと運んでいたのだろうと、母は思ってそれを息子に話す。

そして母は釘を抜くことはやめたほうがいいと心配したが、輝さんはためらいつつも、その蜥蜴の釘をあえて抜いていくことにした。
それによって辛うじて生きていた蜥蜴が死ぬかもしれないのを覚悟しながら。

二十歳の火影 宮本輝 講談社


釘を抜いた後も生きている蜥蜴を新聞紙に載せて、外に出て土にそっと蜥蜴を置くと、蜥蜴は右に這い、左に這いながら草むらに消えていく。
何とか生きていくだろう、とその姿を追いながら輝さんは思いにふける。

そして輝さんはそのエッセーの最後のほうにこう書いていた。

「もしかしたらこの私の体にも、死ぬほどの苦しみを
 味わってまでも断じて引き抜いてしまわなければならない太い錆びた釘が刺さっているかもしれぬという思いなのである。釘を引き抜かれた瞬間の蜥蜴の激痛を思うと、自分は波風を立てずこのままそっと生きていようかと考えたりする。
だが人生には、きっと一度はそうした荒療治を加えねばならぬ節が、誰人にも待ちかまえているような気もするのである」

久々に読み返して自分の来し方を振り返ると、確かにあの当時がまさにそうだったという時期があった。

しかしながらやがて幾十年かののちに再び来し方を振り返った時に、実は今この時がまさにそうだった、と思い出すような気がしてならない。いや恐らくそうだろう、と今年になってあらためて気が引き締まる思いをしながら
目の前の課題に取り組んでいる自分がいる。

*参考 二十歳の火影 宮本輝 講談社