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【還暦のメロス】㉑両親の三つの風景  ❸忘れられないある夜の父と母の姿

或る夜のことであった。もう10時は過ぎていただろう。
正確な記憶ではないが、あのひとときの場面は、今も鮮明に思い出すことができて忘れることはない。僕が小学校5年生の時の事だった。
それほど印象の強い記憶であった。
忘れたいと思うことほど、記憶として強く脳裏に焼き付いて消えることはないというのがよくわかるのだった。

奥の12畳の部屋には横並びに布団が敷いて在って、そこに6人の子供が寝ていた。私もその中の1人なのだが、なにやら入り口側のリビングがうるさい。それで僕は目が覚めて起きてしまった。

言い争っているのは、父と母であった。障子越しにリビングでの父と母の声が聴こえていた。兄弟姉皆が寝ていたと思うが、もしかすると寝たふりをしていただけかもしれない。なぜか僕だけが目が覚めて、隣の言い争いの行方を息を凝らして聴いていたように思う。やがて僕はこらえきれずに布団から出て、障子の小さな穴から隣のリビングの様子を覗いた。

普段夫婦喧嘩などしたことが無い両親が少し大きな声で言い争っていた。
2人とも立ったまま何事かをお互いに攻め立てていた。
なにを言い争っていたのかも何となくわかった。誰かの結婚式での母の態度を父が𠮟りつけていた?というふうに聞こえた。
それに対して納得がいかない母が珍しく声を荒げていた。
後にも先にも、母があんな風に怒っている姿を見たことはなかった。
僕はたまらなく怖かった。このまま何か大事件が起きて、我が家が崩壊するのではないかという妄想の予感が心に沸いて、怖くなっていたのだ。

バシっ、と叩く音が一度聴こえた。たぶん父が母をぶったのだった。その時の瞬間を僕は見ていない。兄弟たちを起こそうかどうか迷って後ろを見ていたのである。
そのあと、母が父に何か言ってこちらに来るのが見えた。僕は急いで布団に戻ろうとしたが、それより先に障子がガラッと開いて、がたんと閉まり、本気で怒っている母がいつも寝る奥の布団に服のまま入ると、何か言って寝た。僕が起きていることなどもはや眼中にないようだった。
その普段見ない母の姿が強烈な印象として今でも脳裏に浮かぶ。
抗い争うその原因など、子供は知りようがない。しかし、両親が喧嘩をしたその数十分の風景は、数十年経った今でも忘れることはないのだった。

私は後年、一度結婚をしたが、20数年の結婚生活の中で妻をぶったことは一度もない。子供もぶったことはない。いわゆるDVってやつは一度もないのだ。なぜなら、夫婦げんかになってもそこから暴力沙汰になっていくことが、そもそも心の底から嫌いなのだ。そんなことをすれば、おそらく少年の時の一度だけ覗き見た両親の姿を必ず思い出してしまう。
あの時の何とも言いようのない悲しい気分が、私は大嫌いなのだった。

たいした立派な夫ではなかったと自覚しているが、DVと不倫だけは一度もしたことがない。そもそもしたいとも思わない。

どちらかと言えば、楽しいことが好き。ただ歌やドラマは悲恋ものがなぜか好きなのだが。

そんな自分の未来に、東日本大震災という悲劇が起きるなんて、想像もしていなかった。



両親の三つの風景のうちのふたつめが、夫婦げんかの風景である。
喧嘩というのはとにかく後味が悪い。当事者も、それを観ているだけの誰かもいい気分ではない。だから僕は喧嘩はしないようにしているが、人間、そんなに自分を抑制できるわけでもない。
ただし僕は喧嘩をすることはあっても、暴力をふるうことはしないだろう。
なぜなら単純に暴力が嫌いなのである。

           ~~㉒へ続く~~


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