#52 コロサイ人への手紙

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レジュメ

※「※」や「⇒」で書いてる記述は、このNoteを書いてる者のメモです。他はレジュメのコピペです。

※偽教師の問題。
※現代の教会も含めて指針を与えてくれる。
※グノーシス主義(異端の教え)への反論がこの手紙。
※使徒たちの教えとは違うと反論する。

1.はじめに

(1)コロサイ人への手紙の位置づけ
①獄中書簡と呼ばれるものが、4つある。
②パウロがローマの獄中にあった時に書かれた書簡である。
③当時パウロは、皇帝ネロによる尋問が行われるのを待っていた。
④4つの書簡とは以下のものである。
*エペソ人への手紙:テキコが届けた(エペ6:21)。
*ピリピ人への手紙:エパフロデトが届けた(ピリ4:18)。
*コロサイ人への手紙:エパフラスが届けた(コロ4:12)。
*ピレモンへの手紙:オネシモが届けた(ピレ1:10)。
⑤4つの書簡のテーマ
*エペソ人への手紙
・教会は、キリストのからだである。
*ピリピ人への手紙
・クリスチャン生活は喜びに満ちたものである。
*コロサイ人への手紙
・キリストは、教会のかしらである。
*ピレモンへの手紙
・異教社会におけるクリスチャンの行動の原則は、愛である。

(2)コロサイという町
①エペソの南東約200キロのところにある町(ヒエラポリス、ラオデキヤ)
②コロサイは、裕福で、人口も多かった(ユダヤ人と異邦人)。
③パウロは、コロサイを訪問したことがない。
④エペソでの3年間の奉仕により、エパフラスが救われた。
⑤彼がコロサイに戻り、教会を開拓した。
⑥教会は、ピレモンの家で集まっていた可能性が大である。

(3)執筆の経緯
①エパフラスが獄中のパウロを訪問し、教会の現状を伝えた。
②コロサイ教会には、教理的逸脱があり、早急に対応する必要があった。
③教理的逸脱とは、後に「グノーシス主義」と呼ばれる異端の原型である。

(4)グノーシス主義の特徴
①「グノーシス主義」とは、宗教というよりは、一種の思想運動である。
②紀元1世紀から2世紀にかけて盛んになり、3世紀には衰微して行った。
※20世紀のニューエイジ運動も似たようなもの。
③その内容は多様であるが、おおよそ以下のような点が確認されている。
※軟体動物みたいにグニャグニャしている。複雑。
*グノーシスとは、「知識」「認識」などを意味するギリシア語である。
*人間は、ある「霊知」(グノーシス)を持つことによって救済される。
*その「霊知」をもたらすのがキリストである。
*徹底した霊肉二元論の立場を取った。
*霊は純粋で神秘なもの、肉(物質)は罪悪性を持ち堕落したもの。
*聖書の創造論とは真っ向からぶつかった。
*世界を創造したのは絶対神ではなく、より下級の造物者である。
*そのため、物質界は罪悪性を持っている。
*人間が罪ある者である理由は、肉体を持っているからである。
④グノーシス主義は、聖書の重要な教理を否定する。
*絶対者である唯一の神が万物の創造者であるという教理の否定。
*イエス・キリストは、受肉した神の御子であるという教理の否定。
*人間は、恵みと信仰によって救われるという教理の否定。
④グノーシス主義は、肉体のみを罪悪視したため、内面にある罪の問題を考えることができなかった。
⑤その教えは、禁欲的、戒律的、密儀宗教的(霊の神秘性)であった。
⑥グノーシス主義は、福音とは全く異質の教えである。
⑦まとめ:キリスト教、ユダヤ教、ギリシア哲学の混合

(5)コロサイ人への手紙は、これらの異端的な教えに対する反論である。

2 .メッセージのアウトライン

( 1 )聖書的キリスト論の宣言( 1 : 1 ~ 29 )
( 2 )聖書的キリスト論の擁護( 2 : 1 ~ 23 )
( 3 )聖書的キリスト論の実践( 3 : 1 ~ 4 : 18 )

コロサイ人への手紙について学ぶ。

Ⅰ.聖書的キリスト論の宣言( 1 : 1 ~ 29 )

1.挨拶(1~2節)
Col 1:1 神のみこころによるキリスト・イエスの使徒パウロと、兄弟テモテから、
Col 1:2 コロサイにいる聖徒たち、キリストにある忠実な兄弟たちへ。私たちの父なる神から、恵みと平安があなたがたにありますように。
(1)パウロは自分を「神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒」と呼ぶ。
①彼が書く手紙は、キリストの大使としての権威に満ちたものである。
②共同執筆者として、テモテの名も上がっている。

2.罪の赦し(13~14節)
Col 1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
Col 1:14 この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
(1)神は私たちを「暗闇の力」から救い出してくださった。
①「暗闇の力」とは、サタンの束縛のことである。
*今もサタンは、この世の主権者として暗躍している。
②信者はサタンの束縛から解放され、「愛する御子のご支配の中に」移された。
*私たちは、霊的盲目から解放され、聖霊の導きに従って歩む者とされた。

(2)私たちは、御子イエスにあって贖いと罪の赦しを得ている。
①キーワードは、「御子イエスにあって」である。
②イエスは、十字架の上で私たちの罪の代価を支払ってくださった。
③御子イエスを離れては、罪の赦しも、人格の清めも、救いの完成もない。

3.キリストの神性(15~16節)
Col 1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
Col 1:16 なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。
(1)キリストの本質を誤解すると、間違ったままのキリスト教になる。
①コロサイ教会では、キリストを神以下の存在と見る教えが横行していた。
②これは、グノーシス主義の教えそのものである。

※エホバの証人、モルモン教、統一教会では、キリストを神以下と見ている。

(2)聖書的キリスト論
①御子イエスは、「見えない神のかたち」である。
②御子イエスは、人間とは全く異なった意味で「神のかたち」である。
③御子は、天地創造の前から神のかたちを有しておられた。
④父なる神と御子とは、本質において同じである。
⑤御子イエスは、他の被造物に先立って「生まれた方」である。
*「生まれた」(プロトトコス)は永遠の昔からの存在を表わしている。
*御子イエスは、万物の創造者でもある。
⑥御子は、父なる神とともに礼拝されるべきお方である。
⑦初代教会の中には、御子イエスの神性を疑問視する教師たちが多くいた。
⑧パウロは、それらの立場は異端的なものであることを明確にしている。
⑨同じ真理が他の箇所でも教えられている。
*ヨハネの福音書1:1~18
*ヘブル人への手紙1:1~4
*ピリピ人への手紙2:5~11

4.教会のかしら(18節)
Col 1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。
(1)教会は御子イエスのからだであり、御子はその教会のかしらである。
①ここで言う教会とは、救われた者すべてを含む普遍的教会のことである。
②御子イエスは、教会のかしらである。
③教会が迫害に会う時、御子イエスご自身が迫害に会っている。

(2)御子は、死者の中から最初に生まれた方である。
①最初に死人の中から甦ったという意味である。
②かしらであるキリストにつながる者には、復活の希望が与えられている。

Ⅱ.聖書的キリスト論の擁護( 2 : 1 ~ 23 )

1.知恵と知識の宝(3~4節)
Col 2:3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。
Col 2:4 私がこう言うのは、まことしやかな議論(霊知のことを言ってる)によって、だれもあなたがたを惑わすことのないようにするためです。
(1)知識とは真理の認識であり、知恵とはその適用である。
①キリストの内に隠されている宝を追求する人は、「まことしやかな議論」に惑わされることがなくなる。
②キリストから離れた所で、信仰の成長や問題の解決を求めてはならない。
③私たちは、自力救済が不可能であると知ったので、キリストに信頼を置いた。
④その信仰の原点から離れてはならない。

2.空しいだましごとの哲学(8~9節)
Col 2:8 あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。
Col 2:9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
(1)グノーシス主義は、「空しいだましごとの哲学」である。
①キリストに基づかないなら、高尚な教えも人間から出たものである。
②聖書的キリスト教は、キリストから始まり、キリストに終わる。
③キリストの内にこそ、神の満ち満ちたご性質が形を取って宿っている。

3.偽教師たちが教えていた4つの過ち
(1)食べ物と飲み物について、惑わされてはならない。
①モーセの律法には、清い食べ物と汚れた食べ物の区別があった。

(2)祭りや新月や安息日のことで、惑わされてはならない。
①食物規定や祭りは、次に来るものの影であって、本体はキリストにある。
②本体であるキリストが現われた今、影に縛られる必要はない。

※日曜礼拝できるのは素晴らしいが、それができない人は月曜でも火曜でも良い。

(3)御使い礼拝に惑わされてはならない。
①天使を礼拝し、幻を見るという特別な体験を誇る者たちがいた。
②彼らは、自らの体験を誇り、キリストに結びつこうとはしない人々である。
③キリストを愛すると言いながら、その心はキリストから遠く離れている。

(4)「つかむな、味わうな、さわるな」という教えに惑わされてはならない。
①これらの教えは、人間の戒めや教えによるものである。
②キリストとともに死んだ者は、この世の教えから解放されている。

※肉は悪とすると、やたらと禁欲的になる。
※肉と霊を分けるとすると、肉体で何をやっても、霊的には影響が無いことになり、やりたい放題になる。

Ⅲ.聖書的キリスト論の実践(3:1~4:18 )

1.上にあるものを思う(1節)
Col 3:1 こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
(1)正しい理解とそれに基づく行動
①聖書的自己認識を持つことが重要である。
*キリストを信じた人は、すでに死んでいる。
*罪に対して、この世に対して、また肉の欲望に対して、死んでいる。
*またキリストとともに甦らされ、天に上げられた。
*肉体は地上で生活をしているが、霊的な実体は天にある。

(2)天では、キリストが神の右に着座しておられる。
①神の右に座を占めるとは、権威ある地位に就いておられるということ。
②どのようなことが起ころうとも、キリストが状況を支配しておられる。
③この確信によって、試練の中でも慰めを得ることができる。

2.過去との決別(9~10節)
Col 3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
Col 3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
※幻など超自然的な体験によって霊知を得るのではない。
(1)キリストを信じた人の内側には、新しい葛藤が始まる。
①古い性質(肉の思い)と新しい性質(御霊の思い)の間に起こる葛藤である。
②地上のからだの諸部分を殺す。「むさぼり」は偶像礼拝である。
③心の中にある汚れを捨ててしまう。
④互いに偽りを言ってはならない。

(2)正しい自己認識が正しい行動につながる。
①私たちは神に選ばれた者、聖なる、愛されている者である。
②私たちの罪の代価は、主イエスの十字架の死によって支払われた。
③私たちは、キリストにあって一つとなるために召された。
④私たちは、父なる神に感謝する者とされた。

3.人間関係
(1)夫の妻の関係
①妻は、従順であるように。
*妻を愛することを人生の目標にしている夫に対する従順の要求である。
②夫は、キリストが教会を愛したように、妻を愛さねばならない。

(2)親と子の関係
①子供は、両親への従順を通して、天の父への従順を学ぶ。
②親は、子供を神から委ねられた命と理解し、その子を育てなければならない。
*いらつかせたり、落胆させたりしてはならない。

(3)主人と奴隷の関係(≒上司と部下の関係)
①奴隷(しもべ)は、キリストに仕えるように主人に仕えなければならない。
②主人は、奴隷に対して正義と公平を示す。

※どれだけ安定した人間関係を築けているかが、その人の霊的成熟度を示す。

4.実行すべき5つの項目
(1)たゆみなく祈る。
①主がそれをなしてくださるのだと分かると、祈らずにはおれなくなる。
②継続した祈りによって、キリストとつながり、命と平安と確信を受ける。

※霊的に生きるかどうかの問題。潜水夫にとって、呼吸用のパイプは必要。

(2)目を覚まし、感謝をもって日々を過ごす。
①霊の目を開いていれば、主が働いておられるのが分かる。
②主への感謝は、私たちの魂を健やかにする。

※全部が取り去られることは無い。何かが残される。

(3)働き人のために執りなしの祈りを捧げる。
①特に、キリストの奥義(福音)を語るための機会が与えられるように。

(4)外部の人に対して賢明に振る舞い、機会を十分に生かす。
①外部の人とは、クリスチャンでない人たちのことである。
②私たちは、人々の魂を永遠に失うことを恐れなければならない。

(5)自分の言葉に注意を払う。
①いつも親切で、塩味のきいた言葉を語るように努力する。
②柔らかな言葉によって人の魂をキリストの元に連れて来る。

まとめ (1:27)
Col 1:27 この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。
(1)キリスト論に何かを付け加えたり、何かを差し引いたりしてはならない。
①パウロは、神のことばを余すところなく伝えるという使命に召された。

(2)福音は、それまでは隠されていたが、今や明らかになった「奥義」である。
①「奥義」がいかに栄光に富んだものであるかを異邦人にも知らせるために、パウロが召された。
②「奥義」とは、信者の中に内住されるキリスト、「栄光の望み」である。
③キリストの内に、知恵と知識の宝がすべて隠されている。
④そのキリストが私たちの内に住んでおられる。
⑤キリストを離れては、救いの完成はない。
⑥そういう意味で、キリストは「栄光の望み」なのである。

感想

コロサイ人への手紙で、中川さん曰く「肉体は地上で生活をしているが、霊的な実体は天にある」と言っています。こういうのは、キリスト教的世界観を想定しないにしても、あるかもしれないです。つまり、自分たちの肉体が死んでも、その実体は別な所にあり続けるって話です。

もし、そうでなければ、自分が死んでいる状態、自分が消滅している状態というのが、自分から見てどういう状況なのか想像が付かないです。空間と時間っていう、我々人間が感知できる次元の外側に別の次元があって、そこに自分の実体があるんじゃないでしょうか。もしそういうことなら、死んだ状態の理解もしやすいです。

中川さんが、60分の最後に、神様にお祈りするのがお決まりの流れなんですけど、そこまではずっと聴衆に向けて話していたのが、そこに来て、急に神に向けて語るという場面に切り替わるわけで、「え!?本当に神って存在するの!?」みたいな感じで、ちょっと涙出てきたりします。本当に本当?

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