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#22 「生きるということ」

日々生きていると、楽しいこと、辛いこと、悲しいこと、なんだかなぁ~と思うこと、色々な感情に出くわす。


色々な感情に出逢うからこそ、どうやったら上手く出来るか反省して、一つ一つ成長に繋げていく。

以前BKSで人生に必要なコトを書いていました。




そして夢があることによって、日々が充実してくる。


日々ちょっと進んでは後退、道に迷ったりして、その失敗から学び進化していく。

未来は自ら決めることができ、そして可能性は無限にある。夢を見るのに遅すぎることはない。



これが「生きるということ」の根本的に思う事。




今回はもう少し人間がどうやって生きて進化してきたのか?を過去からの視点で「生きるということ」を感じでみたいと思う。






『サピエンス全史より』


3つの「革命」

・約七万年前の「認知革命(新しい思考と意思疎通の方法の登場)」を経て、虚構、すなわち架空の事物について語れるようになった。

架空の事物によって多数の知らぬ者同士が協力し、柔軟に物事に対処する能力を得た。

※虚構は伝説や神話にとどまることなく、企業や法制度、国家や国民さらには人権や平等や自由までも虚構から派生した。

・約一万年前に始まった「農業革命」で新たな局面を迎える。農耕によって単位面積当たりに暮らせる人の数が爆発的に増加し、かつて狩猟採集をしながら小集団で暮らしていたサピエンスは定住し、「貨幣」「帝国」「宗教」の出現により統合への道を歩み始める。

・約五〇〇年前に始まった「科学革命」。それまでは知るべきことはすべて神や賢者によって知られているという考え方が主流で、ほとんどの文化は進歩というものを信じていなかった。自らの無知を認めることで、社会変化が急加速する。


当たり前だけど、自分たちの存在があるのは両親が居て、またその両親にも父と母がいて・・・・。そういった命のバトンを過去何千年、何万年と繋いできて今がある。

認知革命で今も毎日人間はしている想像したり、想いを寄せたり、悩んだりすることが出来るようになった。今の社会が虚構で出来ているというのは、良く考えればそうだけど意表をついた思考と言えば考えもしなかった。

ただ人間本来の「助け合いの精神」は人類を大きく進化させる小さな一歩だったことに、感銘を受ける。


過去があるから今があり、未来がある。生きるという先の未来はどうなるのか?


「科学革命」のこれから

・生物工学・サイボーグ工学・非有機生命工学これらの台頭により自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破し始め、これまでの延長線上にはない。

その結果・・・特異点(シンギュラリティ)に至る。
私たちの世界に異議を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も起こる段階。

人間は、自分の感情や欲求までも設計できるようになった。しかし今のまま科学の発展を継続すると、大変なことになりかねない。

世の中が便利になれば成程、人としての何かを失っているいる気がする。科学が発展し、救える命も増え、困っている人たちを助け、人生100年の時代になった。

世界はモノに溢れ、物質的に豊かになっているけど、本当に心が幸福なのだろうか?


グローバルな世界になり、世界のスピードは劇的に早くなったけど、心にゆとりはあるのだろうか?



これからやれることは?

人の感情や幸福感は科学によってコントロールが可能なので、幸福になるにはどうしたらいいか?という問題は科学によって解決可能。だからこそ私たちは幸福とはなにか?を真剣に考え、科学の発展の方向性を決めなければならないと思う。


その答えはやはり自然にあるのかと思う。かつて遠く祖先は狩猟民族として生活をしていた。その日暮らしであったものの、みんなで助け合い狩猟時間もそれほど長いわけではなく、自然の中で戯れている時間の方が多かった。全く同じ生活をするというのではなく、人と人が助け合いシンプルな生き方ができたらと思う。



七世代先の子孫を想って生きる

自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来たあるべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれてもいない大地からやってくる新しい生命に想いをはせる。

これはインディアンの世界観で、自然界は絶妙なバランスで保たれており、ほんの少しだけ壊れただけでもそれを回復させるには、約7世代もの子孫が努力しなければならない。

私たちはただこの時代に子孫から地球を借りているだけで、だからキャンプをする時の様に使う前よりもきれいな状態で、次の世代へ受け渡しをしなければならないと思う。




世界が虚構で出来ているのなら、一人ひとりが七世代先のことを想って生きることがこれからの未来を創り、生きるということではないのだろうか?


樹齢700年の楠。この楠のみが知る700年前の世界はどんな世界だったのだろうか?




日々そんな想いでこのBKSや、日常生活に向き合い続けたら、確実に思考は変わっていくと思う。




700年続く、次世代へ想いを伝えていくブログへ。




そんなことが出来る可能性があるから、人生って素晴らしい。




Life is wonderful...





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