見出し画像

休暇をとることの罪悪感

長男が熱を出したため、妻と交代で休暇を取得しました。
熱を出したと言えども、本人は至って元気そのもの。走り回ったり、食べたいものを食べたりと普段と変わらない生活をしています。

子供の体調不良は事前に予測できないので、職場への休暇の申請は前日に急遽行いました。会社員で代わりが効くとはいえ、誰かに負担をかけてしまう訳で、今まで急な休暇は極力避けていたこともあり、罪悪感を感じながらも休暇を取得しました。子供が元気に振る舞っているのを見ていると尚のこと罪悪感を感じます。

この罪悪感は今に始まった話ではなく、社会人になって使い物にならなかった新人時代を含め、ずっと感じていたことでした。会社に行かないと誰かに迷惑をかけてしまう。みんなが仕事がある中、自分が休んでしまって申し訳ない。そんな気持ちをずっと感じていました。

どうしてそんなことを感じているのだろうかと考えてみると、学校生活での「皆勤賞」のような「毎日休みなく行くこと」が称賛されるという経験が積み重なっており、そのことが固定概念として自分に染みついていたのだと感じました。過去に「皆勤賞」で表彰されたとき、普通のことなのになんで表彰されるのかと思った記憶があります。

「休まないこと」は人間的な美徳の側面もありつつ、他者の「休むこと」に対して厳しい目線を持つことにもつながっていました。休まないことは当たり前のことで、休むことは悪であるといった観念です。

この考え方を持っているが故に、他者の休みに対しても厳しくなり、自分自身が休む際にも「きっと他者からそう思われている」と恐怖を作り出します。そのことが更に相手に対する厳しい態度につながってしまうという悪循環が生じてしまいます。この他者からの厳しい目線に対する恐怖が、休むことの罪悪感につながっていたのだと思います。

考えてみれば、今まで自分が休んだからといって、何かが起きたことや酷い目にあったことはありません。休みはみんなとるものだからお互い様と、フォローして下さっていることがほとんどでした。

無闇矢鱈に休むことは以ての外ですが、周りの協力があって休暇をいただけているのですから、罪悪感ではなく感謝の気持ちを持って過ごすことが何よりも大切だと思いました。また、「お互い様」の精神で、他の誰かが休んでいるときには快くフォローすることを意識して、好循環に繋げていくことができたら素晴らしいです。

まずは自分の意識から。好循環の発端になれるように精進していきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?