見出し画像

「待つ」ということは静的ではなく動的である

何かをしたいけれど、今一つ踏み出すことができない。理想の姿、こうなりたいという漠然とした気持ちがあり、いざ自由に過ごせる時間があっても、理想の過ごし方を選んでいないことはないでしょうか。何か理由をつけたり言い訳をして、行動していないこともあるかもしれません。

「こうなりたい」となんとなく感じるものがあったとき、「あの人は特別だから」とか「自分には無理だ」とか、様々なことを考えてしまいます。最終的には、誰かがそうしてくれたらいいなと期待してしまいます。例えば、次の異動でいいところに行けたらいいな等、自分自身でコントロールできないことに期待する、半ば他力本願な状態です。

期を待っていると書いて期待です。待っていれば自分で動く必要はありません。そういう意味で、未来や他者に期待することは一番楽です。自分にとって都合が良ければ、という前提付きではありますが。

逆に、待っていた期が自分にとって都合が悪かった場合は、責任を逃れようとします。自分はそれを選んでいない、運が悪い、他者が悪いと自分を守ります。こうして、待つという選択をした自分を棚に上げてしまいます。

ただ待っているだけで、自分にとって都合のいいことが舞い込んでくることはほとんどないのではないでしょうか。何かいい機会を得ている人たちは、きっとどこかでその機会をつかみ取るような何かをしているはずです。他者から見たら「待っていた」ように見えても、その機会のためにきちんと準備をしているのだと思います。

「待つ」ということは、この人生において重要なスキルであると思います。待てない人が多い中、じっくりと待つことができることは何か大きなことを成し遂げるためには絶対に必要になります。

ここで注意したいことは、「待つ」ということは何もしないということではないということです。ただ何もせずに待っているのではなく、次に向かって準備をするということが大切なのだと思います。

「待つ」ということは静的ではなく動的である。このことを意識することが、本当にチャンスが巡ってくる「待ち方」なのだと思います。そういう意味では、「待つ」ことは何か行動することを意味しているのだと思います。

こういう自分になりたい、というチャンスをつかむための「待ち方」は、なりたい自分に近づくために今できる最小限の行動をすることだと思います。本を出版したいと思った場合を例にしてみると、才能があるから出版社から声がかかるのを何もせずに待っていても、おそらくその人は一生本を出版することはないでしょう。一方で、日々何かしらの文章を発信し続けている人は、本を出版するチャンスに恵まれることがあるかもしれません。これは本を出版するという機会のために、自分を変化させながら待っている姿と捉えることができると思います。これはまさに期を待つことではないでしょうか。

何かいいことないかなと思ったら、いいことが起こるために必要な行動や準備をして待ちましょう。チャンスのために常に変化をして待ちます。そのように過ごしていれば、きっとチャンスをものにできる瞬間が来るはずです。他力本願ではなく、能動的に「期待」して日々を過ごしていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?