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「学校はトラブルだらけ」があたりまえ?!

エドカフェ第20回 〜子どもの事実に学ぶ〜 木村泰子さんのお話より
https://www.youtube.com/watch?v=zbiHmNoVKDM

「発達障害→いじめ→不登校」全国の学校に多発


言うことを聞かない子がいる。→まわりの子が落ち着いて勉強できない。→家に帰って親に「あいつがいるから授業が進まない」と言う。→親から学校に「あの子なんとかしてください」とクレームがくる。→担任はその子を一生懸命指導する。→でもきかない。→先生ますます指導力上げようとして時に机を叩いたり、引っ張り出したりといったことが出てくる。→いつも見ているまわりの子がこわくて学校行けなくなる。→まわりの子のため、本人のため、特別支援をすすめる。→それでも必ずしも落ち着いて勉強できるようにはならない。→他の子は、「教室で暴れてた子が特別な部屋に行った」という目で見るようになる。→本人は「みんなにいじめられる。」と言うようになる。→いじめられるからと学校に行けなくなる。→その子の親はなんとかして学校に理解してもらおうとする。→学校では多くの子が困っているので1人の声はなかなか通らない。→親は困って教育委員会に言う。→大きなケース会議になる。→大人同士、違うところでエネルギーを出し合わなきゃならない。→大人がいがみ合うと子どもはますます学校に行けない。

今、全国の学校にこんなケースが多い。みんなが一生懸命やっているけど、どこかボタンを掛け違えて、みんながリスクを背負い、本来楽しいはずの学びが苦しくなっている。

こんな子どもの事実から、わたしたちはどう変わればいいか?


学校行かない!

入学と同時に発達障害でいじめに遭い不登校になった子が、3年生で大空小に転校してきた。

前の学校からの引き継ぎ
・とても困る子。
・気に入らないとキレる。
・人の言うことはいっさい聞かない。
・ひとこと言うと食ってかかり、大きなトラブルになる。
・自分で考えることはできない。
・発達障害の診断を受け、手帳をもっている。

学校に行くと、門の前で通常学級の子が
「おまえの来るとこじゃない!帰れ!」と言う。
「なんでやねん?!」と言うと、
「おまえが来たらみんなが迷惑や!来るなら頭かち割って脳みそ交換してから来い!」と言われ、そこから
「もう2度と学校行かない!」と決めた。


うちの子だけみんなと違う

親は「この子は生まれてからずっとまわりの子とちがう」と感じてきた。
まわりの子が「ありがとう」って言う。うちの子は「そんなのいらん」て言う。
「この花きれいね」と先生が言うと、まわりの子は「うん」と言う。でもうちの子は「きれいなんて全然思わない。」って言う。
「お母さん、もうちょっとみんなと合わせられるようにお家でしつけて」と言われる。両親からも「おまえの躾が悪い」と責められる。


「学校は刑務所」って?!

大空小に転校して、毎日学校に来るようになった彼に校長先生が聞いた。
「あんた、なんで前の学校行かなかったのに、大空小には来るの?」
「空気がちがう。」
「じゃあ前の学校はどんな空気?」
「刑務所」
「あんた、刑務所行ったことあるの?」
「校長先生やろ?校長先生案外バカやな。」

おそらく他の学校だったら、他の先生から
「校長先生にバカなんて言っちゃダメ!」とつっこみが入る。
でも、大空小の先生たちは
「校長先生バカやな。」と彼に同意。

「バカを説明して。」と言うと、彼は前の学校の様子を語り始めた。
「思ったこと言ったら、だまりなさい!迷惑です!手を上げて当てられてからでなければしゃべっちゃいけません!いすにすわるのしんどい、床にすわってあぐらかいた方が楽に話聞ける。でも、いすから動くと、動くな!ってものすごく怒られる。」
「校長先生、息できなくなったことある?」と聞くので、
「水の中でならあるけど、顔上げてて息できなくなったことはない。」と答えると、残念そうに、
「じゃあ校長先生、おれの気持ちわからないな。」と言う。
「うん、わからないと思うから教えて」って言うと、
「いすにすわって動いちゃダメ、しゃべっちゃダメって言われたら息できなくなる。もうあかん、死ぬ!って思って教室飛び出すと、先生追いかけてきてつかまえて、みんなのとこ連れ戻されて、あやまりなさい!迷惑かけたでしょ!授業遅れるでしょ!って言われる。そんな毎日。クラスの友だちは、先生いないところでミニ先生になっておれを怒る。勝手にしゃべるな!勝手に動くな!勝手に逃げるな!・・・な?刑務所やろ?」

「うん、納得。じゃあ、大空の空気はどんな空気?」と聞くと、いとも簡単に「普通」と答える。


「普通」を問い直す

「あ、普通ってこういうとき使う言葉か。今まで違うところで使ってたな。」
「普通はこうやろ?」
「普通はこうするのがあたりまえやろ?」っていっぱい使ってた。
この、何気なく使っている言葉で、子どもたちはその空気吸って生きている。
私らの「普通」の枠にはめなきゃと、子どもを洗脳したり、子どもらもそんな私らに忖度してたりってあったな。
「普通」って言葉、これからこだわろう!ってその日みんなで話した。

でも、次の日、くせになってるから出てしまう・・・
「普通はな・・・あっ!巻き戻し・・・」って・・・
「普通」に変わる言葉をさがすようになった。

他人の発した言葉に学ぶってこういうこと。
対話はこれに尽きる!


発達障害だから落ち着けない。
発達障害だからすぐキレる。
発達障害だから暴力ふるう。
発達障害だから人の指示が聞けない。

そんな、学校に下りてくる同調圧力のようなものを問い直そう。
研修に行けば行くほど、いろんなことが下りてくるけど、子どもの事実に学ばなかったら、私ら商売できないって気付かされた。


映画「みんなの学校」問題の場面の裏話

映画「みんなの学校」で誰もが疑問を感じた問題の場面。

全校道徳の後、教室に帰って自分の考えを書く場面で、転校してきたばかりの発達障害の子が「わからない」と書いた。それに対してクラスの優等生の子が「わからないって書いたらあかん」と言った。言われた子は「こんな教室2度と来ない!」と言って飛び出した。校長先生はその子を引きずって無理やり連れ戻した。そして、相手の子を「あなたは間違ってます!!」と強く叱った。

飛び出した子を引きずって連れ戻す→体罰?!虐待?!
「わからないって書いたらあかん」と言った子に対して「あなたはまちがってます!」と言った。→この子に対してひどい。かわいそう。

そんな非難を浴びそうな場面を、監督が使いたいと言った。

大空小の職員にも非難された場面、他の人に理解されるわけがない。「ここだけは使わないで」とお願いした。でも、監督は引かない。
「校長先生、自分がいい子になりたいから反対してるんとちがうんですか?」と言われた。
そこで、「まちがってます!」と言われた本人に使っていいか聞いてみよう!ということになった。映像は3年生の時のもの、この時点で彼は5年生になっていた。

「嫌だったら、監督の言うこと聞かなくていい。断りや!」と事前に言ったが、本人は、
「全然大丈夫!使ってもらっていいです。」と答えた。
「なんで?!40分テープ600本もある。他にもっとみんなに理解してもらえるとこいっぱいあるのに、ここ使わんでも・・・」と言ったが、
「ぼく大丈夫!問題ありません!」と彼。
これはピンチ!と思って母を呼んだ。

自分の子どもが校長に「あなた、まちがってます!」って言われるところが全世界に発信される映像を、使ってほしいなんて母が言うわけないと思った。
母が来るのを待って、校長室の前で打ち合わせた。
「校長室に入ったら、映像見せられるから、母として断りますってそれだけ言ってくれたらいいから」とお願いした。
「理由は?校長先生困るんですか?」と聞かれ、
「はい、私が困ります」と答えた。
「わかりました。断ればいいんですね?」と校長室に入った。

母はその場面を見てボロボロ涙を流した。
「ほれみ、お母さん泣かしてしまったやろ・・・」100対0で勝ったつもりだった。ところが・・・映像を見終わると母はまず子どもに、
「あんたはどう答えたの?」と聞いた。
「全然どうってことない。これ過去のおれやから。今のおれは違う。変わったよ。」と答えた。すると、母
「校長先生、私の知らないところで、こんなふうに子どもと関わってくれてありがとうございます!」と、ちがう展開になってしまった!

この子のおばあさんは、地域でもみんなのためと働いているとても立場のある方だった。
「おばあちゃんも困るやろ?お母さんも嫌やろ?」って思ったのだが・・・

映画公開の日、終わってから監督から涙ながらの電話が・・・
1人のおばあさんが「よくこんないい映画をつくってくださいました。」とお礼に来てくれた。それがその彼のおばあさんだった。


校長が悪者に・・・でも実は・・・

飛び出した子を引きずって連れ戻した場面は、教育委員会の指導主事から「この場面は教師による虐待だから見せたくない」と言われたが・・・
「こんな教室2度と来ない!」と啖呵を切って逃げてる彼にとって、この場面では、校長に無理やり連れて来られた、という絵が必要だった。
こういう事情を語ればみんな納得する。でも、あの場面だけ見たら、嫌がる子を無理やり引きずって連れていくなんて、だから学校はダメなんやと批判されてもおかしくない映像。

でも、そんなマニュアルより、今のこの子にとって、ここで帰したらまた来るのにものすごいエネルギーがいる。でも、「帰る!」と言ったこの子のプライドもある。だから、引きずって連れていくことがここでは彼にとって必要だと思った。

「わからんて書いたらダメ」って言った相手の子にとっても、このチャンスを逃したらあかんと思った。

この相手の子は、他に怒られるようなことがいっさいない子。
ルールは守る。テストはどれも100点。スポーツ万能。この子がつまずく場面なんてなかなかない。ここチャンス!と意気込んでいた。

映像には映っていないところでその相手の子に聞いた。
「わからんて書いたらあかんて、どうして言った?」
「教えてあげようっていう気持ち?それともちょっとだけこの子に意地悪しようと思って言ったのか?本当の気持ちは?」

大空の子って、罰は待っていない。やり直すだけ。だからみんな正直に答える。

「うん、ちょっと意地悪しようという気持ちがあった。」とその子は答えた。そこで、
「そういう気持ちで言ったんなら、まちがっています」と言った。

でも、監督が意地悪やから、私が悪者に見えるところしか使わない。(笑)だからこうやって話題になる。
今ならあの監督さすがやなって思うけど、当時は最悪やと思っていた。(笑)
これだけ話題になるって奥が深い。


「どうして大人は変わらへんの?!」

不登校で転校してきた彼は、母の事情もあり、中学は特別支援学校に入学した。中学2年生のとき、映画「みんなの学校」のイベントで再会した。そのとき彼が突きつけてきた言葉は・・・
「なあ、大人はどうして変わらへんの?!」

髪をピンクのゴムで縛っている彼と担任の先生とのやりとり。
「おまえ、男だから髪の毛くくるのやめなさい。」
「男だからって、なんで髪の毛くくっちゃいかんの?」
「くくりたかったらくくっていいけど、ピンクはやめて黒にしなさい。」
「なんで黒はよくてピンクはあかんの?」
運動会でいっぱい保護者も来る。
「あの子、男なのにピンクのゴムで髪の毛くくってる。おかしい。」っておまえが思われる。だから黒のゴムにしろと言う。どう考えても納得できない。
諦めて校長室に行った。
「校長先生どう思いますか?」と聞くと、
「担任の先生は君のこと思って言ってくれてるんだから、言うこと聞くように」と言われた。
毎日言ったけど、校長先生は変わらなかった。ここでは学べないと思った。
だから学校に行くのやめた。

先生たちみんな一生懸命やっている。
でも、この子に納得いく指導として入っていない。

「どう思いますか?」と聞かれた。
「今の話だけ聞いたら、あんたの言ってることは間違っているとは思わない。けどね、そのために学校に行ってない。損してるのあんたやで。先生の言うこと聞くために学校行くんじゃない。まわりのいろんな人たちと学ぶために、学校はあるんやろ?校長や担任が変わらないから学校行かないって、あんた、ちっちゃいで。人に振り回され過ぎ。もっと自分の考えもって行動しなきゃ。」と言ったら、ストンとして、

「あっ、そっか。明日から俺、学校行く。学校行って、おかしいって気づいてくれるまで行動する。そういうことやろ?」と言った。
ちょっと微妙・・・と思いながら「う・・・ん」といい加減な返事をした。


その日のワークショップの最後、
「今日学んで、今から自分は何をしますか?紙に書きましょう」ということに・・・。そこで彼が書いた言葉は・・・?

大人になったら大空のことを広める
(こどものときはできるはんいでする)


「平和」は禁句?!

大空は「今日は平和やな。」って言ったとたんにトラブルが起きる学校だった。
先生たち安定求める。子どもたち麗しく学んでて、保護者みんな協力的でって・・・。でも安定の3日後には崩壊が待ってる。「安定」という目的をもって、そこに到達したら、あとは崖っぷちで崩壊しかない。
「静かやね」「平和やね」って言ったらとんでもない・・・みたいな。こういうことをたくさん経験した。

子どもがありのままの自分を出して学びに向かったら、学校はトラブルだらけになる。これが学校のあたりまえ。

それをみんなで納得したら、トラブルなんて全然怖くない。トラブルは学びのチャンスやなって。トラブルない方が怖い。

トラブルあたりまえ。いすにすわらないのがあたりまえ。という土俵に立ってたら、次の一歩が違うやろ?

でも、みんないすにすわっているのがあたりまえだったら、すわらない子がいたら「大変!すわらせなきゃ!」って、次の一歩が全然違ってきちゃう。


「みんなと同じ」から「みんなと違う」が評価される時代へ

みんなそれぞれに6年間育ってきた子たちが、「みんな同じことができなきゃいけません」みたいな画一的な義務教育に入ってきて、誰ひとりとり残さない学校教育なんてできるわけがないって、文科省もようやく気づいた。

これまではみんないっしょのことができることが評価されてきた。でも、今は、人と違っていることがあたりまえ。違っているところを評価する学校教育に変えようというのが、新しい学習指導要領の大きなめざすところ。ここ、水戸黄門の印籠に使える。そこまで文科省は言語化している。

細かいところまで見ると、上半身と下半身ねじれて「ん?」てところもあるけど、それは置いといて、1番大きなめざすところは、今まで他人と同じにできることが評価されてきたけど、そういう時代はもう終わった。みんな違っていることがあたりまえ。違っていることを評価する。この教育に変えようって・・・。

ようやく先生たちも子どもたちも、自分らしさを大切にできる。となりの友だちと自分が全然違うから、うまくいかなくてあたりまえ。

トラブルを先生がジャッジしないで、対話をツールとして、先生たちが通訳すれば、いじめに発展しないで繋がれる。

子どもたちが繋がったら、不登校、いじめ、モンスター、生まれてこない。


「先生の指導力上げよ!」は呪い?

「先生が主語の学校から子どもが主語の学校に変えよう」といいながら、先生が困らないような学校、先生が評価されるような学校、先生の指導力上げたら、すべての子どもをとり残さない「日本型令和の学校教育」ができるよ、みないな・・・これは呪いのようなものになってしまう。
先生ががんばって指導力上げたら、すべての子どもが育つ、なんてありえない。

じゃあ、「子どもが主語に」ってどうしたらいい?っていう対話ができる環境をますます大事にしていかなきゃ、子どもの事実は見えてこない。


「くそばばあ!」って言えたらそこからスタート!

子どもが逃げていったら「ありがとう」。子どもが逃げていったら「あー自分の指導力ないって校長に言われるー」なんて思ったらとんでもない。

子どもが「くそばばあ!」って言ったら、「あーようやく言えたね」って、ここからスタート!

空気吸ってばかりじゃしんどい。吸う指導ばかりじゃだめ。
吐く。弱音を吐く。それができたらしんどくなくなる。



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