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10年後の君へ②

日はとっくにくれていた。11月の夕暮れはないに等しい。あまつさえ、土砂降りともいえるこの天候でなおさら辺りは暗く見え、人通りは少ない。冷えた小さな手を握り、ぐちゃぐちゃとした音を立てながら4人で歩いた。
「兄さん、大丈夫なんすか」
口を開いたのは奥田だった。こいつは俺と一緒に君と初めて会った町でも一緒に取り立てていた。俺は既に取り立てを本格的にやる立場ではなくなっていたが、偶然同じ街に異動になってからも同じような仕事をこなしていた。今日だって、行う家の徴収の下見に、来ていたのだから。俺の至らなさもあってか、なんだかんだと慕い気にしてくれるありがたい部下の一人だ。

「何が」
「情けで堅気の女の子連れてくってやばくないですか?っていうか、なんであんなところにいるんすか」
「俺が親父に話つける。前の町のやつにも話をしておく」
「前の町?なんでそんなところに話する必要が?」
「既視感ないか?こいつに」
「はぁ」
「情けない声出してんじゃねぇよ。香也子は何て言ってたんだ」
「そりゃ大張り切りでしたけど…おやっさんが…」
「ならいいじゃねぇか。親父だっていきなり10歳の孫ができるんだから何とかしてくれるだろ」

俺たちの世界で親父っていうのは本当の血のつながりのある相手ではない。奥田も俺も兄弟ではないし、奥田は親父の子でもない。
しかし、俺が言っているのは正真正銘の血のつながった親父でこの組の組長だ。
息子の俺が取り立てから始めるとは上のやつらも俺自身も思っていなかった。母親なんてとっくにいない。ヤクザの中でも入籍する人間はいるが、基本的には内縁の妻どまりだ。子供もお互いのハンデになりやすい。俺が組にいるのは母親が俺を産んでも育てられずに親父が引き取ったからだ。
俺が子供を作らないのもそれが理由で、妻である香也子も納得している、と思っている。
しかし、奥田の一言で実はそうでもないんじゃないかと腹の中がモヤついた。おっとりしていて映画に出てくるような極道の妻なんてもんとはかけ離れたような印象の香也子だが、肝の据わり方はそれそのものである。
何日も食べていない君が、ふらつきながら諦めたような顔で俺から手を引かれている。今にも倒れそうだ。
自宅に帰りチャイムを押す。待っていたかのように香也子が顔を出す。

「あら、あらあらあら」
「風呂入れてやってくれ」
「着替えは出払ってたのにお願いしたわ。ちょっと想像したら笑っちゃうわね」
「親父は?」
「部屋にいるんじゃないかしら?さ、お風呂冷めちゃう前に入りましょ。それからご飯ね」

満面の笑みで君を受け取った香也子は信じられないスピードで風呂場に消えていった。
後ろから引き戸を開ける音が響いて崎本が入ってくる。広いとはいえ玄関に男3人とごつい男が1人いるのは狭苦しい。ウサギのマークが描かれたポップな袋と、崎本の見た目のギャップに香也子が言った通り吹き出しそうになる。

「笑わないで下さいよ、俺だって女の子向けのコーナーうろうろしてるの恥ずかしかったんですから」

その後に周囲からかなり不審な目で見られたというのも、眉をハの字にしながら付け足した。

親父の部屋は奥にある。
「子供を拾ってきた」
「香也子から少し聞いた。犬拾ってくるみたいにしやがって」
「前の町にいた時にいなくなった女の娘だ。公園に捨てられてた」
「飼っていいかって聞くのか」

言葉をなくす。拾ってきて俺はどうするつもりだったんだろう。話を聞くに母親の借金は残ったままの状態らしい。
だからってここに君がいたところで金が戻ってくる保証は多分ない。進んで自分から捨てた子供は人質としては使えないだろう。

「あいつの母親はもう多分戻ってこない。今日で3日目らしい。3日周りが見て見ぬふりなら、これからも他のやつらが拾う確率はそんなに高くないんじゃないのか」

俺の言葉に「ったく」と吐き捨てるように親父は言い

「責任もって世話してやれ。あいつらにも言っておけ。男所帯みたいだが見ておく目って意味では役には立つだろ。児童相談所なんて俺たちと同じようなことしてるらしいじゃねぇか。結局どこ置かれたって同じなんだからな」

と少し笑みを浮かべる。お互いに頑固なだけに、ここまで相容れるのはなかなかない。親父が子供が好きだからなのか、香也子の口ぎ気なのかはわからない。ただ言えるのは、親父は子供を見捨てるほどの冷徹さは持ち合わせていないということだ。

「よかった。この流れで運よく母親が、見つかればいいが」
「そんなことは求めてねぇよ。それはそれ、これはこれだ。飯の準備だってしてやってるんだろ。まぁ本人さえよければってことで無理強いはしちゃいけねぇがな」

そういえば、君には何も聞いていない。俺がただ突っ走っただけだ。捨てられていたとはいえ、誘拐したかったわけではない。
無論、君がここに例え居続けたいとしてもその決定権はないのだが。俺以外のやつらが君に手を貸さなかったのはそれが理由だろう。下手に手を出して自分が捕まるか生活に支障が出るような余計な事態に巻き込まれるくらいなら、見ぬふりをして野垂れ死んでもらった方がいいのだ。実際に野垂れ死んだときに、きっと後悔はするかもしれない。だけど死んだことは自分に責任はないのだから。
それなら、こんな世界で生きている俺が拾ったのはある意味では正解なのかもしれない。

「飯が終わってからでも遅くはないさ。それに、こんな時間に外に放り出したって、結果的には警察からの児相だろ」
「今日は寒いからな。ゆっくり決めたらいいさ」

それからは、担当している街の状況を把握した。どこにでもいるもので、吊ってしまったやつまでいる。社会のしがらみから逃げようともがいた結果、思わぬ形で足を滑らせたやつだった。誰も手を差し伸べることもせず差し伸べられない状況になっていた。だから俺たちに助けを求め、自滅した結果だ。そう考えると、非道なのは堅気の世界の方なのかもしれない。

障子戸の向こうから声が聞こえる。食事の準備が整ったらしい。

広間に行くと、体を蒸気させて困惑気味で座る君がいた。ぼさぼさだった髪は伸びっぱなしの状態ながらもきれいに整えられ、頬も赤く染めている。6畳に間仕切った広間には数人の部下たちも既にいて、見て見ぬふりながら物珍しそうに視線を君に送る。奥田や崎本から話を聞いたのか、俺には特に話を振ってくるものはいない。食事の時にでも俺が話をするとも考えているのかもしれない。席に着くと食事が運ばれ、準備をしていた香也子や遅れてきた親父も座る。

香也子とは違った子供らしい華やかさと和やかさに、どことなく空気が和やかに感じられた。君を初めて見る親父も、ちょこんと座る君を見て笑みを見せている。運ばれた料理に目を丸くし、香也子が話しかけるとおどおどと首を動かす仕草もほほえましい。殺伐とした日常で、普段ほとんど笑うことのない俺や部下たちの気持ちを氷解していくようだった。

食事が始まる。最初は遠慮がちに食べていたものの、途中からは一心不乱に君は食べだす。小さな体にみるみる吸い込まれるかのように消える食事はどこに消えているのか聞きたいくらいだ。

「おかわりどう?」と聞く香也子の言葉を待っていたかのように、君は首を縦に振る。何でもない、子供なら避けてしまいそうなくらいごく普通の和食を、キラキラとした顔で欲する君の顔は何度も見たいと思った。俺たちが食べ終わるころ、君は満足したかのようにふぅと満面の笑みでため息をつく。食事を作った香也子と部下の一人はも嬉しそうに笑う。片付けを部下たちに任せ、香也子にその場に留まらせると、君に2人で向き合った。

「すまなかったな、誘拐みたいになっちまった。こうでもしないと来てくれないかと思ったんだ」
「大丈夫」
ふわふわとした夢心地のような安心した声だった。

「親父とも話したんだ。行く場所がないならここに居てもいい。それは君が決めていい。追い出すこともしないし、出て行くなら止めない。ここは他の家とは勝手が違いすぎるから、無理に止めることはできないんだ」
ぽかんとした君の顔が面白くてついにやけてしまう。香也子に至っては既にそれを隠す様に笑っている。
「ゆっくり決めていい。今日は休んでくれ」
香也子に案内を任せて一息をつく。これでよかったんだろうか。俺からしても問題は山積している。
親父がさっき言った児童相談所の事を思い出し、できることならここに居て欲しいと既にほのかながらに思ってもいるが。

空気が静かになったころ、香也子が俺に話し出す。あの後君は用意された布団にもぐると、あっという間に寝息を立ててしまった。
「初めて入ったんだって」
「え?」
「あったかいお風呂」
「だろうな。…その原因を作った一端は俺だ」
「一理あるかもしれないけど、あなたに声をかけざるを得なくなった彼女のお母さんの状況は、誰も責められないんじゃないかしら」
「俺は生まれた時からずっとこの世界にいる。堅気でしか生きたことのない奴らは俺たちの事を怖いなんて言うけどな。実際に怖いのはむしろそっちなんじゃないかって改めて思ったよ」

君の母親に会ったことを思い出す。身なりは派手だったものの、あの時すでにどうしようもない状況になっていたのは見て取れていた。20代で闇金に手を出さなければいけなくなった状況はなかなかない。自己責任なんて言ってのけられるやつは、今まで何も考えずに生きてこられるだけの偶然恵まれた境遇だったってだけだ。そんな奴ほど自分の境遇がいかにありがたい事かも考えることなく大往生で死んでいく。

理不尽の上塗り。世の中はそんな上塗りを土台にして巡っているとしか思えなくなっていた。

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