解釈多様性ことはじめ

私にとって、解釈多様性が大きなテーマであることを最近実感したので、noteでノートを書いてみようと思っている。

解釈多様性とは何か

解釈多様性をググってみても、完全一致ではあまりヒットしないので、自分なりの考えを提示しても良いだろう、良いはずだ。そしてたぶん今後変わっていくだろう。なんせ解釈多様なのだから。

解釈多様性とは「ある物事に対して複数の意味づけをすることを可能にする性質」と、一旦は置いてみる。シンプルに。つまり大根を見たときに、食料品と意味づけたり、白く堅い有機体と意味づけたり、家畜の餌と意味づけたり、ぶり大根の主役と意味づけたり、ぶり大根の脇役と意味づけたり、そういうふうに様々に意味づけすることが可能であることが、解釈多様性である。私は解釈多様性についての研究者ではないので、このくらいゆるい定義で良いのだ。

なぜ私にとって解釈多様性は大切なのか

私は、解釈多様性は豊かさに繋がっていると考えている。なぜだろうか。物事と意味が一対一対応しているとしたら、私の持っているリソースはすぐに意味が飽和してしまう。それは寂しいし、もう少し自由度が欲しい。もし物事が複数の意味として解釈できれば、とたんにリソースは膨大な可能性に開かれ、寂しくなく、大きな自由を得ることができるのではないだろうか。そう考えたのだ。

実際、仕事などでの会議で意見が分かれ膠着状態に陥っている場合に、別の視点から新しい解釈を持ち込むことで、意見の対立に意味が無くなり膠着状態が解消することはよくあることだ。そういうちょっとマシな、少し豊かな場を解釈多様性はもたらしてくれる可能性がある。

解釈多様性は後天的に獲得できるだろう

たぶん解釈多様性はスキルやスタンスによって増減すると思う。それは学習や訓練で身につけることができるのではないだろうか。そうだと良いな。そういう気持ちでこのノートを続けてみようと思う。徒然に書き連ねていくことで、そのうち解釈多様性を身につけ、伸ばしていけたらと思う。

繰り返すけど、私は研究者ではない。あまり他人にとって役に立つことは書けないと思うが、自分なりの解釈多様性に関する考えを細々と記していきたい。そして、考えるなかでより多様な解釈多様性を身につけ、どんどん豊かで充実した日常を送りたいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?