clubhouseで感じたことと実践してみたいこと3つ

clubhouseが熱狂的に拡大している今、後日振り返るために現状感じていることをメモしておきます。

今感じていること

2021年1月30日現在では、価値提供のパワープレイがゴリゴリと行われています。強者による価値ある情報のGiving。それが強者を更に強くしていく。他のサービスでできることとがclubhouseではどんな効果を生むのか、どんな変化があるのかを試すように、ルームが乱立しています。リアルタイムかつ音声だけという性質によって、価値という視点に立つと、その格差は開くばかりのように見えます。

一方でその情報摂取を過多的に促すUXから少し距離を置くように、またFOMOを癒やすようなカウンターとしてのコンテンツも立ち上がっています。無音ルームやルーム名を名付けないルームなどです。

もう少ししたら本質的なものがわたしの目にもハッキリと分かるよう浮かび上がってくるのかもしれません。他の(SNS)サービスとclubhouseuとの違い、今はそれは「現在時間の共有」なのではないかと仮説を立てています。

私がclubhouseでやってみたいこと3つ

意味発見の場
一つは価値に対抗し、意味を見つける場としてみたいということです。交換可能な価値は大小や優劣が生じてしまいます。それはたぶん他のサービスで十分でしょう。clubhouseでは意味づけにフォーカスしてみたいです。そしてそれはナラティブが大切なキーワードになるでしょう。意味より先に表現がくるナラティブ。そして他者の存在。余白やあいだを意識することで、各々の思考が働き意味をあとづける時間を挿入します。物語るナラティブは音声が主役のclubhouseと相性が良いはずです。自身のナラティブを表出し、または他人のナラティブに応答することで意味づけが後から生まれる、そういう場として試してみたいと思います。

中動態の実践の場
行為の場として、clubhouseを中動態的主体として活用するとどうなるか。能動的でもなく受動的でもない、そういう場の形成は可能なのかということを試してみたいです。意志によって切断された「声」ではなく、コンテクストを感じながらも個人と一体化していない何か。個々のコンテクストが場のコンテクストにどう影響を与え、そして場から影響を受け、相互の境界があいまいになるような。スピーカーとリスナーという境界を越えることが可能なのでしょうか。

自身の能力向上
最後は自身のモデレーター、ファシリテーターとしての修行の場としたいと思います。リアルタイム、応答性、フィードバック、場のウェルビーイング、解釈多様性、ナラティブアプローチ、コーチング、スピノザ的自由などなど。
とりわけ、緊張感をもったリアルタイムな実践の場がこれほど気軽に持てる機会はなかなかありません。毎回何か課題意識を持って場にいたいと思います。

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