「優しさ」と解釈多様性

 私は「優しさ」が、これからの社会や人生において大きな存在となるような予感がしている。2021年1月7日の、いろいろな大事が世の中で起きているときにこんなことを書いてナンだが、これまで以上に「優しさ」は大切な存在になるような気がしている。

優しさの実践

 優しさが何故そんなに重要なものになるのか、ということに関しては半分直感なので詳しく説明することは無いのだけど、優しさの実践について少し実感していることがあるので記載しておきたい。
 それは「解釈多様性」が優しさの実践に効く、ということだ。どういうことだろうか。

 だいたい、優しさは自分以外の対象に発揮される場面が多いと思うけど、対象の状況をどう解釈するかによって、優しさは発揮されたりされなかったりするのではないだろうか。
 ベタな例えで申し訳ないけど、東京駅の切符売り場の前で高齢の方がぼんやり立っていることがある。このときの高齢者の状況をどう解釈するだろうか。もしかしたら今まさに切符を買っている若い男性の連れなのかもしれない。そうであるとすれば声を掛ける必要な無いだろう。でももしかしたら、表示板に行き先を見つけられず、どの切符を買ったら良いのか分からなくて困っているのかもしれない。そのとき「なにかお困りですか?」と声を掛けることは、優しさの発揮だろう。

 こんなふうに、ある状況について複数の解釈ができると「優しさ」の効果をイメージしやすく、だからこそ実行に移しやすいのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。もちろん解釈が間違っている場合も多い。しかしそれが優しさの発揮であれば、解釈が間違っていてもそんなに害にはならない。解釈多様性を多用し、どんどん優しくしていきたいものである。

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