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主体形成の仮説

4/11のディスカッションは私にとってエポックメイキングとなりそうな予感がしています。
このディスカッションで私は個人が主体となるに至る道筋を見つけることができました。
端的に書くと

問われる

応答する(してしまう)
response

責任感が生まれる
responsibility
(問いの内面化)

主体となる

問うこと(問われること)が主体を育むことに繋がるというのは実感するところでもあり、以前にもこの3人で話した記憶がありましたが、今回のディスカッションの様々なやりとりによって、私の中ではこのような道筋に気づくことができました。

ここで主体と言っているのは個人であり、主体的な活動を行う者、と捉えています。

いくつもポイントはあるのですが、その中で最も重要だと感じるのは、問いの内面化、というキーワードを思いついたことです。問いが内面化されることで、responseがresponsibilityへと移行します。responsibilityは一般的に責任と訳されますが、デリダに倣い、語源としてのresponse + ability、つまり「応答する能力」または「応答可能性」と考えることができます。

問いの内面化により、問いとその応答が継続的に繰り返され、応答する能力response + abilityが育まれていくのだと考えます。すなわちresponsibilityです。
そして応答能力response + abilityが十分に育まれたとき、内面化された問いへの応答が外部に表出することで、主体的な行動が行われるのだと考えました。

つまり先程のプロセスはこう書き換えられます。
問われる

応答する(してしまう)
response

問いが内面化される

応答する能力が育まれる
response + ability

内面化された問いかけに行動で応答する

主体的行動が行われる

というわけで、ひとまず問いが主体形成になぜ繋がっているのか、ということへの一つの仮説として考えてみました。
三矢さん、名畑さんや他のみなさん、ありがとうございました。またぜひお二人のお話を聞きながら対話を続けていければと思います。よろしくお願いいたします。

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