道端やバス停でする、他人との会話は、小さな幸せのもと。
さいきん受けているYale大学ローラ・サントス教授のThe Science of Well-beingという授業で、ちょっとびっくりすることを話していた。
(ちょっと脚色してざっくりまとめると)
ひととの関係は幸せになることに繋がるので、例え電車などでの他人との会話でも、ひとと関わる機会を持ったほうが良い。
ということでした。
そして、自分の体感としても「それってとてもわかる!」と思ったのです。
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それについて、私自身もオーストラリアに滞在したときとイギリスに滞在したときに体験したことで、すごく心あたりがあるのです。
心に残っているエピソードといえば、以下のようなもの。
街を歩いている時にすごく良いパンのにおいをする男のひとが通り過ぎて、その後に「あのひとすごい良いパンのにおいしたよね」と近くにいたおにいさんと笑いあったこと。
バスがいきなり止まってしまって、乗客も降ろされてしまってどうしようもないときに、ちかくの女性と「ほんとに困るよね」と言いながら笑いとばしたこと。
派手に自転車で転んだ時に、逆にちょっと遠くにいた女性がとんできてくれて、大丈夫?と声をかけてくれたこと。
重たいスーツケースを持っていたら、どんなときでもだれかが飛んできて、持つよって言ってくれること。そして一緒にゴロゴロ坂道を運んだこと。
飛行機にのっても、誰かがきて荷物を上に挙げてくれること。そして、なにしにポーランドに行くんだい?と何気ない会話が始まること。
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そうゆうちいさなことがなんだか社会から受け入れられている気がしてうれしかったのを覚えています
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逆に、重いスーツケースをもって電車にのると肩身が狭かったりぶつかられたりしたこと。
自転車で盛大に転んでも、だれも見向きもせずに通り過ぎていくこと。
そうゆう、その場の社会が誰も助けてくれなかったできごとは、すごく怖くて情けなくなったりしたことを覚えています。
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そんな風に、些細な日常のひとコマ、通り過ぎてしまえば、多分その日のうちに忘れてしまうようなことたちです。
それでも、そうゆうことでも「ちょっとした他人との会話」があると、なんだか暖かい気持ちになったり、嬉しくなったりするんです。
だからこそ、日常の中にある、他人との会話って、意外と大事なんだなということをすごく思います。
だから、次自分がそうゆう機会があれば、自分からペラペラ知らない人におしゃべりをし始める人でありたいなーと思うのです。
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