歯の矯正をした話

私は歯科矯正をしている。今はとりあえずブラオフしたのでリテーナーをしている。しているというか、している体で過ごしている。(本当はブラオフした後もこのリテーナーというものをつけないといけないらしいが、これをつけると日常会話に大幅な支障が出るレベルに口内の違和感がすごいので、凄まじい期間サボっている。)なので、矯正はまだ終わってはいないが、一応終わったという体で過ごしている。

私は元々上顎前突(いわゆる出っ歯)・下顎後退(いわゆる顎なし)・乱杭歯(いわゆるシンプルに歯並びが悪い)の役満であった。こう書くと私の歯並びがめちゃくちゃ悪かったように聞こえるが、私はぱっと見歯並びはわりと良かった。なんなら小学生の時に歯列・口内環境健康児として学年の優良児童に表彰されたぐらい歯並びはいい。歯医者のお墨付きレベルには歯並びが良かったのに何故こんな事になったのか。それは私の顎のサイズに関連していた。私の家系は代々周りから顔が小さいと言われる一族である。厳密にいうと、顔が小さいというより顎が小さいので相対的に顔が小さく見えるようだ。そして、顎が小さいと通常サイズに成長した歯達が収まらないのである。結果、ぱっと見の歯並びはいいのに、収まりきらなかった部分の歯並びは悪いというよくわからない事態が起こるのだ。私の場合は上の前歯の出っ歯と下の前歯の乱杭歯がこれに該当する。上の前歯の出っ歯はなんとなくイメージはつくと思うが、下の前歯の乱杭歯とはなんぞやという人向けに説明すると、奥歯から順に整然とした歯列を成していたにも関わらず徐々に前歯になるにつれて、歯と歯同士が狭いスペースを争った結果、重なり合っていたり、時には頑張ってその僅かな隙間のスペースに生えようとした、努力の跡が見られる斜め向きになって生えてる歯などがあるのだ。言うなれば、本来生えるスペースを無くした悲しき歯達が居場所を取り合った結果の歯並びなのだ。

ゆえに、これは遺伝による結果により起こったものなので、父、私、弟、全員ほぼ似たような歯並びをしている。上の前歯が出っ歯気味なのは私だけだが、特に下の前歯がクロスしていたり重なっている部分は全員見事に同じ形態を成している。そして、3人それぞれ多少の違いはあれど全員顎に支障を抱えているのだ。父に関しては、普段から顎が外れやすいため、欠伸やくしゃみ等の口を大きく開く動作をする際を一番危険視していた。なので、普段から欠伸が出そうになる瞬間、歯を食いしばり口を大きく開くのを抑えるということをして過ごしていた。しかし、ある日父は欠伸の出る瞬間に、歯を食いしばるのを忘れてしまい、見事に顎が外れてしまった。当時、父は別件で歯医者にいたため、歯医者に顎が外れたことをジェスチャーで伝えるも(顎が外れているため言葉が喋れない)、街の小さい病院で口腔外科がないためここでは治療できないと言われ、そのままタクシーを呼んでもらい、筆談で運転手に行き先を伝えて東京医科歯科の救急外来に向かった。その後、なんとか顎は無事元に戻してもらったが、これからも外れるようなら顎にネジをいれて固定することも検討すると言われたらしい。ちなみに、私もふとした動作で顎が外れやすいので日常生活は割と気をつけている。欠伸、くしゃみは勿論、食事の際もなるべく縦方向にサイズのあるものは出来る限り避けるか、解体して食している。ハンバーガーやホットドッグやアメリカンドッグなど、縦方向にサイズのあるものは自然と手をつけなくなった。(なので、寿司も基本的に一口で食べずに解体を行う。寿司の解体に関しては、生魚と米を一緒に食べたくないという目的がメインであるが、それがなくてもサイズ的に解体しているであろう。実際、生魚を剥がして食べた後に、シャリを3.4口分ほどに解体してから食べる。)あんなに口開けたら顎が外れるに決まってるではないか。そんなの恐ろしくて食べれない。あと、人と食事をしていると「なんでそんなに細かく切っているの?」と聞かれるが、これも顎への負担を少しでも抑えるためだ。一度に大きくてかつ顎に負担のかかる食感のものを食すわけにはいかないのだ。何故なら顎が外れるから。顎が外れなくても、顎が疲れるから。顎の労働力を極限にまで減らしたい。この目的があったからこそ今までありとあらゆる食べ物を避けてきた。例えば、煎餅などはいい例なのではないか。煎餅自体の味は普通に好きだが、一応嫌いな食べ物に分類している。これを言ったら煎餅業界の人間や煎餅愛好家にヘイトを買いそうだが、顎の労働に耐えてまで、果たして食べたいと思えるレベルの味なのだろうか。味は確かに美味しいと思う。けど、私的に味の美味しさよりも顎の負担の苦痛さの方が勝ってしまう。ので、だったら食べなくていいかと思ってしまうのだ。牛肉などもこれに該当する。私は一応牛肉が嫌いということにしてあるが、別に味自体はそこまで嫌いじゃない。ただ、豚肉・鶏肉に比べて明らかに食感が硬い。食感が硬いということは顎の労働が多くなるということだ。(ちなみに、高い牛肉は固くないので普通に食べれるが、普段人と肉を食べる機会で高い牛肉というものはそうそう食べないので、一応牛肉が嫌いということになっている。)それほど顎の労働を少しでも減らしたいのだ。ちなみに顎の労働をしたくないという思いの強さは、私よりも弟の方が強い。顎の負担に関して、彼はかなりシビアだ。米の炊き具合に関しても、いつもより少し水が少なく硬めになった米は確実に残している。なんなら、水を入れすぎておかゆレベルにベチャベチャになった米を喜んでかき込んでいる。そして彼は麺の硬さにもシビアだ。(ちなみに私的には麺は硬めが好きだ。なので昔はカップラーメンに湯を入れて15秒で食べていた。今でも硬い麺は相変わらず好きなので、ラーメン屋ではハリガネやコナオトシで注文する。)彼は麺も赤ちゃんが食べるようなやわやわ麺が好きなので、アルデンテ麺やきしめんが食べれない。きしめんが食べれないということは山本屋の味噌煮込みうどんが食べれないということだ。本当に可哀想である。そして勿論、肉もほぼ残す。一般家庭で出る肉のランクは決して高いものではない。ゆえに、基本的に硬めで筋も普通にある。私でもギリ食べれるレベルの硬さの肉でも余裕で残す。しかし、弟がここまで硬さにシビアなのは、多分私以上に顎に問題ありだからなのではないかと思う。何故ならば、彼が食事をしている際、常に顎の骨がポコポコ鳴っているからだ。耳下の顎の骨の部分であろうか。食べ物を噛むたびにポコッ!ポコッ!っと鳴るのだ。私が「それなんの音?」と聞いても、「わからない」と言う。父に弟の顎から鳴る謎の音について報告すると、「俺もあいつぐらいの年の時よく鳴ってたもんだ」と若かりし頃を懐古するかのように話すが、多分一般的なの成人期の男性は鳴らない思うので、その反応はちょっと違うのではないか?と思ったが、特につっこみはしなかった。

このように、私の家系は代々顎の呪われし一族なのである。他の顎に関する支障といえば、プレゼンや慣れない間柄の人間と一対一で行動するなど、必然的にいつもより口数が強要される機会があると、それが終わった後には頬から顎にかけてに地味な痛みを生じることがある。そして、その地味な痛みが疲労感に変わり、その顎の疲労感が全身の疲労感に広範囲化していく。なので、このような機会はすごく体力を奪われる。顎の消耗は全身の消耗なのだ。

このような顎の呪いをかけられた一族の中でも、私が一番目立って歯並びが悪かった。特に上の前歯が出っ歯が顕著であった。上記のような問題に加え、上の前歯が突出しているので唇がひっかかって口を閉じれない問題が個人的には悩みどころであった。何故ならば、ただでさえマヌケな面が更にマヌケな面になってしまうからだ。ただでさえ舐められやすい外見と内面なのに、これ以上舐められる要因があってはならないのだ。しかし、常に口をぽかんと開けている表情というのは実にマヌケであるようで、よくそれを真似してバカにされたりもしていた。(これは私のマヌケなキャラクターも相まってだと思うが。)あと、実用的な面においては、歯の表面が冬場はカピカピになるということだ。歯の表面どころか口内環境も乾燥しやすくなるので衛生的にも良くない。また、よだれが垂れやすいという点もある。気づいたら垂れている。客観的な絵面的にも良くない。

そのような様々な問題を抱え辟易していた私は、遂に矯正を行うに至った。結果として、6本の歯が抜歯され(プラスで隙間を更につくるため何本かの歯を微妙に削られた。)、その抜歯してできた隙間に、ブランケットを使って歯をスライドさせて、口元からはみ出たり重なっていた歯を、いい感じに綺麗に見えるポジションまで移動させるということを3年ぐらい行った。このブランケット装着時は、ブランケットのワイヤーの締め具合がキツすぎて歯が痛いため、まともに食べ物を食べれなかったり、ワイヤーが先っぽから出てきて口内にブスブス刺さって傷まみれになったりと、まあまあ辛かった。だが、矯正が終わった今(厳密には終わってはいないが)、前歯がカピカピにならず、よだれも垂れないで、マヌケ面レベルが多少緩和されたそこそこ満足のできる口元を手に入れられたので、良かったと思う。また、付属的なメリットとして、顔の下半身の造形も割と整った。

結論からいうと、矯正はやってよかった。あと、これを書いているうちになんとなくリテーナーへ罪悪感が出てきたので、今日はつけようと思う。気が向いたら。

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