吾輩はinfpである

吾輩はinfpである。 社会的地位の保証された人権はまだない。

皆様はmbti診断というものはご存知であろうか。説明すると、16タイプの性格診断である。その中で私はinfpという診断結果であった。infpと検索すると「infp 生きづらい」「infp 発達障害」「infp 社会不適合者」というワードが検索予測欄の上位に出てくるのだ。何とも要領の悪そうな性格タイプである。ちなみに、infpの性格を要約すると、内向的、感情的>思考的、人間関係は深く狭くを好む、理想主義者、繊細、文筆・語学・芸術に長けている等が一般的には言われている。有名人だと、太宰治、芥川龍之介、ゴッホなどがinfpに該当するらしい。実際これが私に当てはまるかどうかと聞かれたら割とドストライクに当てはまる。私の勝ち組に一生なれなそうな性格をここまで言語化してくれるとは。すごいぞmbti。(ちなみにmbti診断に強い興味を示すのもinfpの特徴らしい。)

どの辺が当てはまっているのかというと、まず第一に「三軍・コミュ症・人見知り」の三拍子が見事に揃っているゆえに、客観的に見て私は内向的である。(ちなみに私自身は自分を内向的だとは考えていない。)例えば、微妙に親しいけど微妙に親しくない人に、「こう見えて元陸上部なんですよ」というと、かなりの確率で驚かれる。「えっ、走れるんだ!?」と言われる。どうやら私がアクティブかつ俊敏な行動をしているイメージがないらしい。そしてついでにいうならば、部活仲間と一緒に爽やかな汗をかき、青春を謳歌しているイメージもないらしい。それならば、どの部活なら納得してくれるのか聞いてみると、「う〜ん、文化部の中でも吹部ではないんだよな…。あ、漫研とかにいそう」「美術部か園芸部じゃない?スコップで穴掘ってそう(笑)」「帰宅部かな」と言われる。この方、一度も運動部とは当てられたことはない。漫研、美術部、園芸部、帰宅部…、もはや陰キャオタクと言われてるのとほぼ同義である。実際、休み時間は泥団子ガチ勢、寝たフリ、読書、ロッカー整理整頓などをして過ごしてきたプロ陰キャなので、当たってはいるのだが。ゆえに、私は外向的か内向的かでいえば、内向的な人間なのであろう。

第二に、私は思考よりも感情優位である。そして1ミリもリアリスト要素のないロマンチストである。今まで自分のこなしてきたことは全て可能か不可能かの判断ではなく、したいかしたくないかで判断してきた。ゆえに、結果としては9.9割ほど失敗している。人生での成功経験がほぼないといっていい。自分の負け組人生の一発逆転を狙っているからなのか、やりたくないことをやるぐらいなら生きてる価値がないぐらいに思っているからなのか、頭の中では他の選択肢の方が人生安パイだと分かっているのに、どうしても足のついた選択が取れないのだ。そして、志が高いのはいいものの、それを達成するための肝心の能力や忍耐が付いてこない。このような性格のため、幾度となく挑戦と失敗を繰り返すと、最終的に理想の高い底辺が爆誕する。そして、思い描く理想と底辺過ぎる現実のギャップに耐えられず絶望してしまうのだ。しかも、繊細で感受性が強いという絶望を更に助長するような、余計なモードまでinfpには搭載されている。ゆえに、infpは16種類もあるmbtiのパーソナリティの中で、最も自殺率が高いとされている。おまけに最も収入が低いmbtiもこのinfpなのだ。検索予測欄に「infp 生きづらい」「infp 社会不適合者」という壊滅的なワードが並ぶのも納得できる。infpは、この厳しい競争社会なおいて、最も負け組であるといえる悲しきパーソナリティなのである。

けれども、infpには一応良いところもあるらしい。第三に、私は文筆も語学も芸術も好きなことである。決してそのスキルは優れてはいないので、長けているというワードには対しては辟易してしまうが、好きか嫌いかの嗜好でいうならば割と好きである。文筆に関していえば、現在この文を書いているのも、結構楽しみながら書いている。ただ、人に読ませるつもりの文章は書いていないので、文法も言葉の構成も散乱しているし、正しい言葉の使い方も多分出来ていないであろう。ただ、自分がいつも考えていることや頭の中にだけに留めておいているものを落書き帳にグワーッと書き出してるだけでしかないのだ。しかし、これが地味に結構楽しいのだ。書いてる最中は常に書きたいことが頭の中から次々と溢れ出してくるので指が止まらない。気づいたら5000〜10000文字なんてあっという間なのだ。しかし、大学の課題レポートに関してはこうもいかない。だいたい800字〜2000字指定をされることが多いのだが、文字数を埋めるのがすごく苦痛なので「、」を多用したり、文の言い回しをいい感じにして文字数を1文字でも多く稼ごうと努力している。これが果たして努力なのかと疑問を感じる読者もいるかもしれないが、その辺はスルーしてほしい。
語学に関しても、長けているとは決して言えないが好きなことに該当する。私は高校生の頃、ミリタリーに魅了されていた。特にWW2の時のドイツ軍が好きだった。(ちなみに太平洋戦争時の日本の歴史にも興味があった。特にミッドウェー以降の特に悲惨な辺りのところである。この話もいつかしてみたい。)当時華のJKであったにも関わらず、自分で組み立てたティーガー2型やメッサーシュミットを眺めてはニタニタし、朝読書の時間もまた、我が闘争を読みながらニタニタしていたのだ。完全厨二病である。お手製のプラモデルや我が闘争を視姦して悦びを感じるだけには止まらなかった私は、YouTubeでゆっくり歴史解説やフューリーなどの戦争映画のワンシーンを視聴するようになり、とうとうパンツァーリート(当時のドイツ連邦の軍歌である)を視聴するまでに至っていた。厨二病を通り越して、ちょっと危険な人になっていた。その時に、当時の書物や演説やポスターなどをドイツ語のまま理解できたらめちゃくちゃかっこいいのではないかという思いつきと、単純になんか発音がムダにめちゃくちゃかっこいいという不純な動機でドイツ語の勉強を始めた。ボールペンなんて「クーゲルシュライバー」だし、数字の8(はち)も「アハト」だ。かっこよすぎる。全てがムダにかっこいい。このような不純な動機だけで独検2級レベルまで習得した。だいたい独検2級〜準1級レベルぐらいになると、戦争映画でドイツ兵が出てきた時、何を言ってるのかわかるようになったことや作中のドイツ語で書かれた看板やポスターが読めたことに感動した。(その後も似たような理由でロシア語に手を出したが無事失敗に終わった。もし余裕ができたらロシア語のリベンジを試みたい。)
そして、芸術に関しては、これもまた長けているとは決して言えないが割と好きなことである。現在、私は美術部部員であり、それとは別に絵画教室にも通っている。しかし、やはり悲しいことに決して芸術の才能はない。けれども才能がなく技術も未熟だからこそ、製作するたびに反省や学びが生まれる。自分が出来ない・知らないことのショックよりも新しい知識や改善点を知ることができた喜びの方が圧倒的に多い。ゆえに、現在は技術の習得期間であるためまだ何も成せていないが、今後1番成せるようにしたいと考えているものである。

よって上記に記した通り、私はまだ何も成せていない。なので、社会的地位の保証された人権がまだない。人権を得ることは、すなわち私が幸せになることへの前進なので、とりあえず何かしらを成せるようにしたいところである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?