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どうせ此の世は (徳山璉)。

徳山璉の歌う「どうせ此の世は」。河野たつろ作詞、坂田義一作曲で、当時赤坂溜池に存在した東京フロリダ・ダンスホールで活躍していた、巴里ムーラン・ルージュ楽員が伴奏しています。フロリダではアメリカから来たウェイン・コールマン楽団と、日本人からなるキクチ・アンド・ヒズ・オーケストラが二枚看板として活躍し、同時にレコードもリリースしました。客達の評価では後者に軍配が上がり、残念ながらコールマン楽団は数名のソリストを残して帰国。そして入れ替わるかの様に現れたのが、フランスより来日した巴里ムーラン・ルージュ楽員でして、彼等はフロリダの顔として数年間に渡りモダンなサウンドを提供する事になるのです。メンバーはジェーン・ジェラール(C)、シャール・パクナデル(B)、ガストーン・トーマス(G)、モーリス・デュホール(A)など🎼。

昭和7年に入ると各レコード会社から録音依頼が相次ぎ、西に東に引っ張りだこ。主にヒット流行歌のインストが殆どでしたが、時折オリジナル曲の伴奏も行いました。「どうせ此の世は」も其の一つで、ビクターの大黒柱である徳山璉が歌います。二番構成のタンゴで、厭世的な曲名が示している如く遣る瀬無いメロディ。咽ぶ様なアコーディオンとバイオリンの音色は、真冬の寒風吹き付ける河原の黄昏時を思わせており、恋にも夢にも破れて身は根無草となった男の悲哀を描いていました。徳山璉の嘆き籠もった歌声がまた印象的ですが、流石にこの手の歌が多過ぎてマンネリ感が否めなかったのか、殆ど話題になりませんでした。同時に出た「忘れられぬ花」(池上利夫)がホームランになったのも一因かも。A面も同じ作詞作曲者による「たそがれて」で、四家文子が吹き込みました😀。

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