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#8明治維新の影の立役者?トーマス・グラバー

皆さん!歴活してますか?歴史探偵Qです。
私だけかもしれませんが、歴史の主人公より
2番手、3番手の人の方が好きなんですよね〜

今回は、幕末に活躍した商人
トーマス・グラバー」さんを
調査、報告していきます!

目次
1.トーマス・グラバーって?
2.トーマス・グラバーの功績
3.トーマス・グラバーの晩年
4.まとめ

以上の内容で調査報告してまいります。
よろしくお願いします。

1、トーマス・グラバーって?

 1838年スコットランドに生まれたグラバーは
1859年に上海のジャーディン・マセソン商会に
就職し、2年後に来日…
長崎にジャーディン・マセソン商会の代理店
として「グラバー商会」を設立しました。

 当初は、生糸や茶などの輸出を中心に貿易を
行なっていましたが…
8月18日の政変」後の日本の混乱に乗じて
様々な欧米の商会が武器の販売を行う中、
グラバーも武器の需要が高まると考え…
武器の販売も始めました。

 その後、グラバーは武器販売を通じて亀山社中の
坂本龍馬を始め、長州藩の大村益次郎や伊藤博文、
薩摩藩の五代友厚などと交流を持っていました。

2、トーマス・グラバー の功績

 グラバーは日本の近代化に非常に貢献した
のですが…それは「幅広い人脈」と「武器販売
ビジネスの成功により、幕末から明治にかけて
日本の転換期に様々な事業を展開したからです。

■グラバーの人脈

 有名な話ですが、グラバーは攘夷志士を
援助していました。

<薩摩藩>
 五代友厚、森有礼、寺島宗則、長澤鼎など
<長州藩>
 伊藤博文、井上馨、山尾庸三、遠藤謹助、
井上勝(長州ファイブと言われる人達)
以上の人達を密航で海外留学を手助けしました。

<その他>
 坂本龍馬、後藤象二郎、高杉晋作、大村益次郎
などと交流があった。

■グラバーが手掛けた事業

本業<武器商人>
 討幕派への武器販売で亀山社中を通して
 長州藩や薩摩藩への販売が有名ですが…
 佐幕派や幕府にも販売していたと
 言う説もあります。
 → 様々な藩への武器販売は
   後のグラバーの人生の足枷になるとは…
・日本初蒸気機関車の試験走行の成功
・大規模な製茶工場の建設
・高島炭鉱の開発
・近代的ドッグ:小菅修船場の建設
・キリンビールの前身会社の設立

などなど…様々な事業によって日本の
近代化に貢献しました。

3、トーマス・グラバーの晩年

 上記でトーマス・グラバーの人となりや
功績を紹介いたしましたが…ここでは、
グラバーの晩年についてお話し
させていただきます。

 幕末のグラバーの活躍は有名ですが…
維新後のグラバーの人生を知っている人は
少ないと思います…グラバーの栄華は幕末に
極めたり…「盛者必衰」…世の理ですね。

 幕末から明治へ時代が変わり…
武器需要は下火となり販売は減少…
また諸藩への手広い販売は、売掛の回収を
困難にし、回収できないことも増え
グラバー商会は資金繰りも苦しくなりました。
ついにグラバー商会は1870年に破産しました。
<日本での活動は約9年間と言う短さでしたが
 内容は非常に濃いものと考えます。>

 その後、グラバーは手掛けていた事業の一つ
高島炭鉱」の経営を行なっていましたが、
後に「三菱財閥」の岩崎弥太郎が高島炭鉱を
買収し、グラバーは炭鉱の知識を買われ、
高島炭鉱の所長となりました。
 1885年以降は海外取引、海外進出を
視野に入れた三菱財閥はグラバーを「相談役
と言う厚遇で会社に迎え入れました。

 その後もグラバーは祖国:スコットランドに
帰ることなく、日本人の女性と結婚し
長崎から東京へ移り住み、1911年に73歳で
なくなりました。
 
 激動の時代に激動の73年間の人生を
歩んだトーマス・グラバーでした。

4、まとめ

 トーマス・グラバーを表す表現として
死の商人」→ 武器商人だったから当然…
青い目をした志士」→元 Kー1ファイターの
ニコラス・ペタスか!って思いましたが…
 
 今回、正直初めてグラバーの事を調べましたが
人間臭い部分が多々あり、偉人といえど…
身近に感じてしまいました。
日本に最初はビジネスで来日しましたが
その後は日本を愛し、日本の近代化に貢献した
人をもっと知るべきだなと思いました。
教科書に載らない歴史…
これが人生を豊かにするものと私は思う。

以上
調査報告完了

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