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【歌詞】迷々/カラスヤサボウ(Vo.鏡音リン)【考察】

カラスヤサボウさんの『迷々』の歌詞を考察。

歌詞の中にある英語の意味を調べたら面白い訳を見つけたので、それらに注目する形で考察をしてみました。


1.僕らは哀れな、正道を踏み外した「Stray sheep」

「メリーさんの羊」をモデルに作られたと思われる楽曲『迷々』。
旋律にMVに、至ところにその断片を感じられ、歌詞の中にもその断片は色濃く出ています。

最初に注目したい英単語「Stray sheep」も羊に関係する英語となっています。


メリーさん、君に恋した
僕ら哀れな哀れなStray Sheep
下品な声を出しては
パンとブドウと救済なんて待っていた
(引用元:初音ミク Wiki)


「Stray sheep」を直訳すると「迷い(Stray)羊(sheep)」。「Stray」には迷う以外にも「うろつく」「さまよう」などの意味があり、その為、群れから離れてさまよってる「野良羊」と訳したりも出来る模様です。

そんな様から連想してか、キリスト教の聖書では「迷える羊」を指す言葉ともなっている模様。「どうしてよいかわからず迷っている人」を指す熟語となっているそうです。

実際、上記の歌詞(1番Aメロ)には「パン」や「ブドウ」、「救済」と、キリスト教に関係する単語が歌われています。
この楽曲を聴いた人々の間でも、そこに関する指摘は多くされており、この「Stray sheep」が「迷える羊」を指していることは確かだと思ってよいでしょう。

だとすると、この1番の歌詞の意味を要約すると、これは「メリーさん」という人物に恋をした、「哀れな迷える羊」達の歌、と捉える事ができます。
この「メリーさん」という人物が、彼らに「パン」や「ブドウ」といった救済を与える神様のような存在にあたる人物なのでしょう。

しかし「救済なんて」と歌っているさまからは、まるで「そんな救済が貰える筈もない」といった諦めの意思を歌っているようにも見えます。

この他にも「Stray sheep」には「正道を踏みはずした人」という意味もあるようです。要は咎人、という事でしょうか。

とすると、神様のような存在のメリーさんに恋した「咎人」という風に捉えることもできます。恋してしまった事自体が禁忌であり、してはらなかったこと、という事なのでしょう。

でも確かに「羊」という立場で、「神様」という大きな存在に恋をしてしまうのは身の程知らずな光景に見えなくもありません。


こうして見ると、そんな自分の身の丈にあわない、しかし惚れてしまったメリーさんへの恋心に身を焼き焦がす「哀れなStray Sheep(咎人)」の歌にも捉えられなくもないような気がしてきますね。


2.Shepherd's Crookを回す、羊飼いの詐欺師メリーさん

続いての注目の英単語は「Shepherd's Crook」。
この単語が出てくる歌詞は、こちらの1番Bメロの歌詞となっています。


メリーさん、君を待ってた
死んだ目をして回したShepherd's Crook
塩・胡椒を振ってさ
いっそこの身を食べてほしいと言ったんだ
(引用元:初音ミク Wiki)


実は「Shepherd's Crook」というのは、「牧杖」と呼ばれる、羊飼い達が持っている杖の事をさした単語なんだそう。
先が湾曲した杖となっており、湾曲を意味する「Crook」と「Shepherd's (羊飼いの)」を合わせた熟語となっているようです。

つまり「回したShepherd's Crook」というのは、この牧杖が回された、という意味になります。

回したのはメリーさんでしょう。
楽曲の登場人物は「哀れな迷える羊」達と「メリーさん」だけです。羊が自分で牧杖を回す筈がないので、必然的に残ったメリーさんが回した事になる筈です。

メリーさんに恋した羊達は、彼女の言うことならなんでも聞く事でしょう。それは、羊達を従えさせる事ができる「羊飼い」の姿と比喩する事もできる筈です。

ですがこの「Shepherd's Crook」。直訳すると新たな言葉が生み出されるのです。

それが「羊飼いの詐欺師」
実は「Crook」には湾曲以外にもいくつかの意味があり、それが「人外」「ぺてん」「詐欺師」と言った言葉になっているのです。

「Shepherd's Crook」はメリーさんに関係する歌詞。
ならば、もしかしたらこの「羊飼いの詐欺師」というのもメリーさん自身に関わるものと捉えることはできないでしょうか。

さらに歌詞の中には「死んだ目をして回したShepherd's Crook」と、メリーさんに対して暗い印象を受ける歌詞が歌われています。
皆に救いを与える立場らにあたる彼女自身が、なんらかの闇を抱えている事がうかがえるでしょう。

だとすると、メリーさんは本当は「神様」のような人物ではなく、迷える羊達を騙して地獄のどん底に突き落とす詐欺師のような存在だと捉えた方が、なんだかしっくりくるよな気もします。

事実、サビでは羊達が苦しんだり悲しんだりと、現状を嘆いてるような歌詞が歌われています。これがメリーさんという手の届かぬ相手に恋をした末路だと見ると、メリーさんは「彼らを誘惑して地獄に叩き落した人物」という風に捉える事もできます。

だとすると、メリーさんが彼らに救済を与えない理由にも納得がいく気がします。
だって詐欺師の彼女が、本当の救済なんて彼らに与えられる筈はないのですから。


3.終わり:メリーさんは「決して手が届かないもの」の象徴?

世の中には「決して自分の手に届かないもの」というものが存在している筈です。

この曲のメリーさんとは、そんな「決して手が届かないもの」の象徴のような気がします。羊はそれを欲しがるけれど、それを手にするだけの実力や才能のようなものがない。それ故に残酷な現実を前に苦しみ藻掻き絶望してしまう。

歌の中では、羊がメリーさんに「いっそこの身を食べてほしいと言った」事が歌われています。
メリーさんに憧れる他の羊達の中の単なる一匹として数えられ、何度鳴いてもその声に気づいて貰えないのなら、いっそのこと食べて貰う形でもいいから、メリーさんの目に映りたい、そんな恋心からの言葉だったのでしょう。

それは裏を返せば、この苦しい現実から救われるには、もう死をもってどうにかするしかない、という風に捉える事もできるでしょう。

宗教の中では、肉を食する事を禁じている宗教があると聞きます。それでも、時折、食べる事を許される日があり、その日だけは「肉を食する」という罪が許されるのだと言います。

もしかしたら、羊は食べられる事で「メリーさんに恋した」という罪を許して貰おうといていたのかもしれません。
実際、MVの最後の方では、メリーさんに撃たれたと思われる羊が彼女に食べられてるシーンがあります。

とすると、ようやく愛しい相手に、その他大勢の内の一匹ではなく、自分という個で認識され殺され食された羊は、最期の最期になってようやく罪を許され救済を与えられた――、ということになるのかもしれませんね。


以上です。
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