丹後一宮・籠神社の摂社・真名井神社

 伊勢神宮には、ご存じの通り、内宮と外宮があり、内宮は正式には皇大神宮といい、外宮は豊受大神宮といいます。

 先日、丹後の現地講座をやった際、丹後一宮の籠神社に参拝しました。籠神社の宮司の海部氏の先祖はニニギ(神武天皇のひいおじいちゃん)の兄弟ですから、建国神話(天孫降臨)と絡めても興味深い神社ですが、それはそれとして、その摂社に真名井神社があります。

 真名井神社は、豊受大神宮の元宮と言われることがありますが、その出典は記紀にはなく、初出は平安時代です。

 記紀のリリースより1世紀近く後の延暦23年(804)にリリースされた「止由気宮儀式帳」によると、雄略天皇22年、天皇の夢枕に天照大神が立って、丹波国比治の真名井に祀られている「ト由気太神」(「ト」は、草冠に寺)を自身の食事を供する担当として招けと告げました。

 それにより、伊勢神宮外宮(豊受大神宮)に豊受大御神が祀られるようになったとされているのですが、平安時代に記された史料ですから「後だしジャンケン」の可能性はあるものの、雄略天皇の時代(5世紀後半)というところが意外とリアリティで信ぴょう性がありそうです(その時期は、ヤマトにおいても三輪山での祭祀が本格的になることが考古学的に判明している時期です)。

 もしそれが事実だとすると、あるいは事実でないとしても、なぜ丹後半島から神が伊勢に招かれたのか。

 丹後には200m近くある超大型古墳が2基築造されたほか、大型の古墳があり、遺物を見てもヤマト王権から優遇されていたことが分かるのですが、威勢が良いのは5世紀前半までで、5世紀後半には力が衰えています。

 雄略天皇は簡単に言うと、吉備と葛城もぶっ潰しています。

 そういうのと関連させて考えると面白いですね。

 ちなみに、上述した真名井神社は、「ト由気太神」が元々祀られていた(つまり元伊勢)の候補の一つで、そこに確定しているわけではありません。

 8月に催行する丹後半島中心の現地講座では、再び籠神社や真名井神社にも参拝するので、伊勢神宮との関係をいろいろと思いめぐらせて見るのも楽しいと思います。

 近くには天女の羽衣伝承もあったりして面白いですよ。

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