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前代未聞の問題作!?「島原の乱TERAKOYA(2023.3.18)」

プレゼンターは、かもめ先生。
観客を絶望の淵に陥れた伝説の「幕末の水戸藩TERAKOYA」を世に送り出した人である。

今回は絶望シリーズ第二弾かと思いきや、ちょっと様子が違う・・・

◆開始20分後、会場に衝撃が走る
島原の乱というと、結構大人の人は”キリシタンの反乱”と学校で習ったと思うけど、最近は「天草・島原一揆」というそう。

え?キリシタンの反乱じゃないの?農民一揆なの?

「オランダ商館日記」という当時の資料でもどっちかわからないような記述。しかも、プレゼンターは堂々と「どっちでもいいと思ってて」とか言うし。

さらに、そもそも「なんでキリシタンが増えたらダメなの?」に興味は移り、「島原の乱をやっている場合じゃない」とまで言う始末。

プレゼンター曰く、
キリシタンが増えたら・・・
  ▼
民衆が信仰のために幕府に対抗!
  ▼
日本がキリスト教国に!
  ▼
ヨーロッパの植民地にされる!
と、当時の為政者は恐れたと言われるけど、腑に落ちないし、論理飛躍してない?と。

開始20分後、
わたしたちは「キリシタンの歴史と島原の乱TERAKOYA」に改題された歴史プレゼンを観ることになる。

かもめ氏よ、どこへゆく・・・心の声をしまいつつ、兎にも角にもキリシタンの歴史である。

◆ということで、キリシタンの歴史に突入
キリスト教は大きくカトリックとプロテスタントに分かれるが、キリシタンとは戦国・江戸期のカトリック教徒のこと。

なぜ日本で布教活動がされたのか。
ざっくり言うと、
当時絶大な力を持っていたスペインとポルトガルが植民地を拡大(大航海時代)
  ▼
このままいくとケンカになるからローマ教皇に相談
  ▼
「世界を二国で2つに分けていいよ、でもカトリックも広めてね」

ということで、日本にやってきたのがポルトガル・イエズス会のザビエル。

プレゼンターの持論としては、宣教師は布教したいし、商人は貿易したいし、植民地にするのは手段であって目的じゃなかったんじゃないか。

九州を中心にキリシタン大名も結構いたんだけど、大名たちのベースにあるのも貿易の手段としての信仰だったと。

時の権力者・豊臣秀吉も元々はポルトガルと友好関係を築いていたが、結果的にバテレン追放令を発動。

一説によると、キリシタン大名・大村純忠がイエズス会に長崎を寄進しちゃったのが理由らしい。

じゃあそこから一気にキリスト教禁止!になったかと思いきや、物事というもの、突然起こるわけじゃない。

長い時間で色々あって、結果、そうなる。
結婚生活もそう。(と、このプレゼンターが言うと複雑だが苦笑)

幕末もペリー来航の前に外国船とすったもんだあったのと同様、やっばり鎖国までにも色々あった。

◆徳川vsキリシタン
実は、秀吉死後の10年はキリシタンが最も栄えた時期。
が、戦国時代が終わって、これからますます布教!・・・とはいかなかった。

サン・フェリべ号事件(1600年)
この事件で家康はウィリアム・アダムス、ヤン・ヨーステンと出会い、プロテスタントのオランダとは、布教活動と抱き合わせでなくても貿易ができると知り、キリシタンの呪縛が解ける。

そして、外国船とのすったもんだの中で、もっとも決定的で不可解なのが、
ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件(1610年)

主人公は島原の領主・有馬晴信。
この話、かなりややこしい。

経緯はこうだ。
有馬晴信の朱印船がマカオでポルトガルの商船と争い、日本人水夫60名が死亡。家康から許可を取って報復、それが成功するんだけど、ここから話は突然、

「岡本大八事件」
にすり替わっていく。

岡本大八は徳川の御家人。この件の監視役だった。
彼が有馬晴信に「報復が成功したから家康から旧領を返してもらえるよ」と虚偽をして賄賂を受け取る。

でも何の音沙汰もなかったので、有馬は岡本の上司である本多正純に問い合わせ、事が発覚。

結果、有馬晴信は改易・切腹、岡本大八は火刑に。
実は二人ともキリシタンだった。

これがきっかけで、1612年キリスト教の禁教令が出される。
そこからキリシタンへの大弾圧が始まる。

だから島原の乱が起きたの?
キリシタンは本当に徳川を転覆させたかったの?

プレゼンターはやっぱり腑に落ちないと。

カトリックには「福者」「聖者」と認められた人々がいる。
殉教者として聖者になった人はいるが、自ら戦いを起こして死んだら聖者にはなれない。

それを知っているキリシタンが自ら戦うことをするのか?

当時の島原では、新領主による税の取り立てが苛烈を極め、ちょっとでも足りなければ”蓑舞”という残虐な刑を課された。

もちろん農民の中にはキリシタンもいた。

想像してほしい、とプレゼンターはいう。

レキシズルに集うみんなは”レキシタン(歴支丹)”
そこに突然「禁歴令」が出される。

大河ドラマも観ちゃダメ!
歴史小説も読んじゃダメ!
歴史上の偉人の銅像や博物館も破壊!
TERAKOYAなんてもってのほか!!

禁歴令はいつ終わるともわからない、そこに重税・・・
絶望・・・生きていてもしょうがない・・・

だから一揆だ!!!!

島原の乱は、天草四郎というカリスマ少年を利用し農民をまとめ上げた
「農民一揆」
とプレゼンターは結論づける。

これは私の憶測で、ちょっと陰謀論ぽくなるけど、大阪の陣で豊臣を滅ぼした家康のDNAを強く受け継いだ孫の家光が、キリシタンを一掃したくて仕掛けたことかも。

一向一揆にトラウマがある徳川は、同じようにキリシタンを恐れた。だから農民一揆じゃなく、キリシタンの反乱として印象づける必要があった。

キリシタンは細々だけど江戸時代を生き抜き、独自の宗教として今も息づいている。そういう意味では徳川に勝利したとも言える。

観終わった直後は、島原の乱、ほとんどやらなかったな・・・とモヤモヤしたけど、改めて考えさせられるプレゼンだった。

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