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【Day5】好奇心旺盛で妄想癖のある卑怯者

昔はどんな子どもだったか、簡単に言うなら
「好奇心旺盛」「妄想癖」「卑怯者」
子ども時代はあんまりいい思い出がないから、気が進まないなぁ。

「好奇心と承認欲求旺盛」なわたし

幼稚園の頃から家でおままごとより、外遊びが好きなタイプ。活発な子ども時代を過ごしていた。

小学生の頃、1番の楽しみは夏の海キャンプ。いつも遊ぶ場所は海水浴場ではなかったので、きれいに整備されていない分、岩がゴツゴツしていて刺激的。「ちょっと怖いかも」と思う高さの岩場から親や他人が見てる前で飛び込みをすることで、好奇心と承認欲求を満たしていた。

そこには地元の子どもたちが遊びに来ていて、毎年行くうちに友達になった。その子たちは海辺から5㎞くらい登った山の上に住んでいて、海まで親に送迎してもらっていた。
昭和生まれの私には、スマホは存在しない時代。今年も遊びに来たよ~と伝える手段がなかったので、早く遊びたかった私は、自力で歩いて友達を呼びに行った。たぶんこの道を登っていけばたどり着くかなぁ~といった超アバウトな感覚で。ここでも「一人で登ってきたよ」ということに対する承認欲求と、知らない道を行く冒険心が好奇心をあおっていた。

「妄想癖」があるわたし

特に何も特技がなかった私。小学校の朝礼の時、何らかの賞をもらって表彰されていることがうらやましかった。私もみんなの前で賞状を受け取るってやつ、やってみたいなぁ。そう思った私は、賞状をもらえるよう何かをがんばった!のではなく「表彰ごっこ」を思いついた。

祖父の植木が並ぶ小さな庭を校庭に見立て、児童は私だけの妄想朝礼が始まる。今日は何で表彰されようか。うーん、私は絵が苦手だから、今日は絵で佳作を取った設定にしよう。
架空のクラスの列に並ぶ。身長が低く、いつも1番前だったことが当時の悩みだったので、並ぶ位置は真ん中より少し後ろで設定。呼ばれる名前も、自分の好きな氏名に変えていた。そして自分で自分の名前を呼び、自分で返事をする。
キッチンが近かったので、夕飯の支度をしている母親に聞こえないように小声でボソボソと。そして校長先生から渡される症状に右手、左手の順に手をかけ、くるりと後ろに向きを変えて列に戻る。妄想の表彰式が終了して満足だった。

そんな妄想をして、特技のない自分を現実にいる優秀な子に置き換えて遊んでいた。妄想で自分をなぐさめてるヒマがあったら、優秀な現実を手に入れられるように「少しは努力しろよ」と、今なら小学生の自分に言いたい。

しかしこの妄想癖は、きっとうまくいかないことからの現実逃避だったかもしれない。

「被害妄想が強くて卑怯者」なわたし

学生時代は友達とうまくいかないことが多かった。小学生の頃、私が無視したり相手から無視し返されたりと、あまり相性の良くなかった子がいた。そいつは中学にあがってヤンキーと仲良くなり、イキがった奴は、私のことをヤンキーに悪く言いつけた。当然ヤンキーに目をつけられ、さらにはヤンキーの取り巻きみたいな奴らまで同調し始めた。不快なことを言われたり、にらまれたり、毎日学校へ行くのがとても嫌だった。

ある日、英検の受験票の控えをいつの間にか落としてしまった私。探してもなかなか見つからない。しっかり名前が書いてあるのに、すぐには私の元へ戻ってこなかった。後日足跡だらけになって薄汚れた受験票の控えが、よそのクラスに落ちているのを見つけた。誰一人拾ってくれなかったことに、孤独感でいっぱいになった。

また別の日には、外出先から帰宅後に「金を返せ」という留守番電話が入っていた。お金を借りた事実はない。胸がゾワゾワして、心が真っ暗になった。お金が絡んでいる内容だったので、父親同伴で留守番電話の主の元へ出向き、相手の親と話して事態は収まった。
その日は家族と出かけていた日曜日だった。帰りの車の中で、何かモヤモヤするなぁと感じていたら、この通り。休みの日でも気が休まらなかった。

他にも、せっかく仲良くなり始めたと思った3人組で通学の約束をしても、すっぽかされて仲間外れにされたり、悪口を言われたりと、嫌なことがありすぎて、だんだん心がすさんでいった。

中学3年の時、仲良くなり始めた子がいた。気が合って一緒にいると楽しかった。もういい加減自分のことを裏切らない友達でいてほしかった。私は彼女の気をひきたくて信用の証として、ある子の秘密を彼女にしゃべった。「秘密をバラすのはあなたを離したくないの、だから私のこと裏切らないでね」と言わんばかりに。この秘密は重大だった。

私に自分の秘密を打ち明けてきた子というのは、過去に何度となく私を無視したりモメたりしてきた子だった。てっきり私は嫌われていると思っていたのに、なぜその子が私に重大な秘密を打ち明けてくれたのかはわからない。その秘密を打ち明けてくれた時は、それこそ信用の証のような感じがして素直にうれしかった。だからずっと黙っていようと思っていた。しかし、私はその秘密を利用した。友達を引き留めるために、卑怯な手で。

いろいろとモメてきた私だったが、最終的にはヤンキーやとりまきたちの私に対する誤解は、中学卒業前に解けた。
でも、もう遅かった。私は心は歪んでしまっていた。


高校生になっても私は卑怯だった。ギャル全盛期だった女子高生時代。入学当初から目立つギャルグループがあったが、私はなぜかその子たちから気に入られていなかった。そんな派手な格好はしていなかったったし、何もしてないのに。顔が気に食わなかったのかな。
やっと中学校生活におさらばして、心機一転、楽しい高校生活を送ろうと思っていたのに。いきなり怪しい雲行き。それでも、同じクラスの子たちとは仲良くなれたので、それなりに過ごしていた。

そんな不安が一転。高校2年になり、目立つギャルグループの一人と同じクラスになった。それがきっかけでギャルグループの一員となる。仲間たちとどんどん仲良くなり、自分の格好や振る舞いは派手になっていき、周囲の環境も大きく変わっていった。無理して合わせていたわけではなかったので、純粋に高校生活を謳歌しているつもりだった。

中学生の時の出来事から、中心的グループは強い、目立つ、みんなの見る目が違う。私は内向的で地味なタイプではなかったから、目立つグループに属したい思いが、私の中でひそかに育まれていたのだろうか…。

1年生の時に友達になった子たちとは遊ばなくなっていった。自分から離れていった。どこかその子たちとギャルグループにいる自分とは違うんだという気がしていた。完全に舞い上がっていた。調子に乗っていた。

高校3年になった私は、ギャルグループから干された。理由は調子に乗っていたからだろう。私の言動が鼻につくようになったのかもしれない。みんなの態度がだんだん変わり、遊ぶ仲間から完全に外された。

無様な私は、1年生の時に友達になった子に急にまた近づいて行ったり、対して気が合わない子の仲間に何とか入れてもらおうと必死になったり。自分から離れていったのに、最低だった。
干されたことも悲しかったけど、人に対して態度を変えたり優劣をつけていた自分がどうしようもなく嫌になった。

子ども時代の人間関係がうまくいかなかったのは、自分にも原因があるからだと思ってはいるが、なぜ私にばかりこんなことが起きるのだろうと、つらかった。反省しつつも、こうなったのはアイツのせいだ!と思っている自分が傍らにはいる。

子ども時代といっても高校生まで範囲が及んでしまった。普段は忘れているし思い出さないけど、今でもこれらの歴史を引きずっていたのかな。書き出したら止まらなくなり、振り返りながらとても気分が悪くなった。気が進まないと前置きしたわりに、こんな長さになってしまった。

自分がHSPだと知った。子どもの頃から生きづらかった。だからこのお題に対して、悪いエピソードしか浮かばなかったんだと思う。もっと違う私だって、いたはずなんだけど。

とりとめのない文章を読んでいただき、ありがとうございました。


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