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野田佳彦首相VS安倍晋三総裁

 野田佳彦首相が、故・安倍晋三首相の追悼演説を行う。
 
 今日となっては、野田佳彦政権といえば、記憶に残っていない方が大勢おられるだろうから、この時期がどのようなものだったのかは、(いつものことながら)拙著で結構なページ数をさいているのでお読みくだされば幸甚であるという、いつもながらの宣伝から始めよう。電子書籍のみの「出版」だが、アマゾンの対象者の方であれば、拙著は読み放題対象商品なので、無料で読めます。
 


 
 拙著。SNSとしてmixi,Twitter,facebook,LINEが同一のセリフで登場するなど、考証にたえない記述もあるが(要は、大阪府警では上司の指示によりSNSがすべて禁止されたということを、複数の時系列を包括して表現した記述なのだが)、筆者がロシア大使館の情報筋に提供した最初の「有益」な情報は、「野田佳彦財務大臣が次の首相になるのではないか」ということだった。民主党代表選で野田佳彦候補が名乗りをあげ、国会の指名をへて内閣総理大臣となった。
 
 結果として、筆者の「大阪府警外事警察(ロシア担当)協力者」という肩書き(行政法でいえば、警察官を含む公務員としての任用・退任という手続きをふまえていないので、「協力者」というのはどこまでいっても身分なき「自称」である)での活動は、安倍晋三政権の多くの部分を占めることとなった。
 
 安倍晋三首相が、北方領土問題を含む日露間の外交交渉についてある程度の意欲を持っていたことは、おそらく、歴史に刻まれるだろう。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻(2022年2月24日正午頃、日本時間)以降の悲惨な「歴史」によって、2014年のロシアによるクリミア半島併合に関する後世の認識も、2022年2月24日正午頃(日本時間)を境にして、大きく変容するだろうことは予測できる。筆者の知る範囲では、安倍晋三元首相はウクライナ情勢(2022)について沈黙を貫いたと「報道」された。
 
 クリミア半島に「元首相」の肩書きをもって訪問した鳩山由紀夫元首相は問題外としたいのは山々なのだが・・・・・・、クリミア半島併合後に、安倍晋三首相とウラジーミル・プーチン大統領との間で「一対一」の個人的な信頼関係を志向した成果は、日露首脳会談が山口(!)で行われたということに象徴される。G20 大阪(2019)では、(筆者はその席にいなかったので「その場にいた友人から聞いた話」なのだが)クラシック・コンサートの冒頭に安倍晋三首相とウラジーミル・プーチン大統領がサプライズで登壇したという。友人によると、会場に入る前に「ものすごくセキュリティーチェックが厳しいな」と会場警備で感じたそうだが、おそらく大阪府警をはじめとする警備担当者には要人のサプライズ出演が知らされていたのだろう。
 
 小谷賢『日本インテリジェンス史』(中公新書)では、第二次安倍晋三政権における、内調などのインテリジェンス・コミュニティーや法整備についてページがさかれているが、「内調」といえば、第一次安倍晋三政権にとっては、良い思い出がないのかもしれない。第一次安倍晋三政権では閣僚が連鎖的に辞任に追い込まれる事態となって打撃となったが、閣僚となる人物は内調による「身体検査」をクリアしているはずだったと、同時期の『週刊ポスト』などにも書かれていたものだ。第一次安倍晋三政権では、内調をうまく使いこなせなかったのか、内調からの「身体検査」の情報を甘くみていたのか、内調が機能しなかったのか、(内調を日本のインテリジェンス・コミュニティーとして位置づけられる昨今の言論空間に疑問をもつ筆者としては)興味のあるところである。
 
 内調といえば警察の牙城。筆者も、大阪府警外事警察のカウンターパートからリクエストされたものだ。
 
「報道される前の、政治家のスキャンダル情報がほしい」
 
と。当時は「文春砲」という言葉はなかったが、このリクエストにはこたえられない・・・・・・と思いつつ、政治家がロシア大使館や鳩山会館でのパーティーで登場すれば(挨拶や乾杯発声の音頭をとる役回りを与えられるので)、登場したメンバーをカウンターパートに報告することにつながった。カウンターパート(拙著の登場人物名では、長門と三好)は、書類の中に政治家の名前を記載して、上層部はそれを端緒として情報の蓄積をしていたかもしれない。
 
 さて、内調を重視していることが、『日本経済新聞』という目立つ媒体で明らかになったのは、ほかならぬ野田佳彦政権だ。鳩山・菅(かん)という、どこからツッコミをいれればよいのだろうかわからなかった政権につづいて発足した、野田佳彦政権は、あまりにもマトモだった。『産経新聞』でも野田佳彦首相をして「好漢惜しむべし」という有識者コメントを読んだ記憶がある。
 
 一つ、筆者の私的な話を披露したい。筆者が大阪大学・坂元一哉ゼミのOB・OG会に参加した時のこと。坂元先生が乾杯の発声の際に、「野田首相も安倍総裁も立派な国家観をもった人物なので、次の選挙では、皆さんが信じる方に投票してほしい」と発言された。坂元一哉先生は、民主党政権発足時に「密約問題」について有識者として参加した経歴もあれば、安倍晋三首相の有識者として安保法制懇談会(通称は、「あんぽホウセイこん」だった気がする)に参加した経歴もある。
 
 坂元一哉先生については、エピソードがある。Wikipediaでエゴサーチをしたら、あるときに、「アベの御用学者」と書かれていたそうで、「へー、僕(坂元教授)も、『御用学者』と呼ばれるほどエラい学者になったんだ」と悦に入ったそうだ(筆者には、ご本心かどうかはわからないが)。安倍晋三首相と近い人物が、野田佳彦首相を私的な乾杯発声で、「民主党に『野田佳彦』あり」と言わしめた人物。それが、野田佳彦首相。
 
 記憶とは、あやふやなものだ。筆者の不手際で正確な引用を行えないことをお詫びした上で、たしか、出典は、野田佳彦(2009)『民主の敵―政権交代に大義あり』 (新潮新書)だったと記憶する、と学術的にはふさわしくない一節を挿入しなければならない。野田佳彦少年が、浅沼稲次郎暗殺に衝撃をうけたという話があった。政治家とは命がけで行う仕事なのだと少年心に刻まれたとのこと。浅沼稲次郎暗殺事件のことを映像で見た記憶が、野田佳彦少年・青年・中年・・・・・・、へと「記憶」がかわっているような気がするということが野田佳彦氏の著書に書いてあった、と思う。安倍晋三首相への追悼演説で、野田佳彦首相は、この原体験を引き合いに出すかもしれない。
 
 野田佳彦元首相は、ブログの中でこう書く。「安倍氏にスポットライトを当てるための政治人生です。『かませ犬』みたいです」。
 
野田よしひこ『かわら版 No.1333 「追悼演説を前に」』(2022年10月17日)
https://www.nodayoshi.gr.jp/leaflet/detail/451.html
(2022年10月21日、筆者アクセス)
 
 しかし、筆者は、たしかに記憶している。
 敗軍の将とはなったものの、野田佳彦首相が安倍晋三総裁に、党首討論の場で、衆院解散を切り出した時、安倍晋三総裁は、一瞬、ひるんだのではないかと。国政選挙では、何が起きるか、わからない。筆者の観測した範囲では、Twitterでメディア関係者や永田町関係者の間では野田佳彦首相に軍配をあげ、「7対3で野田首相の勝ち」という見方があった、と記憶する。
 
  結果は、安倍晋三総裁率いる自民党の圧勝。選挙のこわさを思い知らされたものだ。2009年の「政権交代。」では、与党・自民党がどれだけ大敗するのかが話題になっており、「事前の選挙予想ははずれる」という、筆者が大学の学部の政治学で学んだ(大学学部生向けの)知識は、2005年の郵政解散選挙につづいてアップデートされた。「野田民主は議席数を一定程度減らすだろうが、『大敗』はしない。『勝敗ライン』をどこに引くかということで民主党内の権力闘争が行われるだろう」というような有識者政談は、多分はずれるだろうと思われていたマスコミ予想によって覆された。
 
 さて、また一つ、小話を披露したい。
 ヒトの動きとは、「風」のようなものだと。
 
 筆者のPCには、2016年8月14日付で「下関やる気なし」というメモ文書が保存されている。安倍プーチン下関会談の事前予想なのだが、ロシア畑の人間として、それなりには情報を集めていた。シンゾーとウラジーミルの信頼関係にもとづいて、安倍晋三首相のお膝元の山口で「一緒に温泉に入って信頼関係を強固にしたい」とヒトもメディアも動いていたが、「両首脳は温泉に一緒には入らなかったもよう」という報道が流れたり、「プーチン大統領の部屋には風呂がついているが、その風呂は『温泉』の湯が流れる」という報道がされたり、・・・・・・ロシア畑の事前予想と世間の風とは温度差があるのだと思い知らされたものである。
 
 鳩山会館での桜を見る会・・・・・・「観桜の宴」というと、ウクライナ情勢でさぞかし聞こえの悪い今日(執筆時点、2022年10月21日)であるが、安倍晋三首相が「日露平和条約締結」に向けての取組についての報道が増えるたびに、鳩山会館の「観桜の宴」という恒例行事の参加者が年をおって、急増したものだ。閑古鳥が鳴く状態から立錐の余地なく料理がすぐになくなって何も食べられないというくらいに。開会に先立っての国会議員の名前を年ごとに記載すると筆者の想定しえない(望まない)方向へとなりそうなので控えるが、「風」というのはなんと浮ついたものだろうかと感じたものだ。主催は、日本・ロシア協会。
 
 2016年の「観桜の宴」では、ちょくちょく勉強会に参加していたからなのか、どうしてこうなったのか、筆者がボランティアスタッフとしてカメラマンを拝命した。事務局長に言われた。
 
「こういう大きなイベントをやるとね。『公安』が入り込んでいるから、気をつけてね」
 
「かしこまりました」
 
 声だけは自慢できる筆者は、堂々と、大役をおおせつかった。筆者は、いわゆる、「公安」だというのは、見事に偽装された。事務局お墨付きのカメラマンなのであるから、堂々と要人を撮影したり、日露経済交流を前面に出そうという撮影意図(←?)から顔見知りの日本経団連の次長とロシア大使館員とが談笑している光景をカメラにおさめたり、やりたい放題だった。
 
 宴たけなわの頃に余った料理を食べながら小休憩をしている時、朝日新聞の大野正美さんから声をかけられた。
 
「鳩山(邦夫)さんがいなくなったら、ココ(鳩山会館)を使えるのかな」
 
 筆者は、その時は、意味がわからなかった。
 鳩山邦夫会長は、その時は、元気そうに見えた。
 撮影者として、その姿をたくさんおさめている。
 撮影データは日本・ロシア協会にお返ししたので筆者の手元にはないが、宴席の邪魔にならないように、黒子として役割をつとめていたハズだ。
 
 2016年6月22日。日本・ロシア協会会長の鳩山邦夫衆院議員が急逝した。後任の会長は、高村正彦自民党副総裁。カウンターパートの大阪府警警部補(拙著では、「三好」)は、「意外な人選ですね」という反応だったが、筆者にとっては、日本・ロシア協会のイベントではよく見かける人物だし、日本・ロシア協会というのはロシア大使館・ロシア通商代表部との関係の深い「政治」の世界だと思っていたので、「『自民党副総裁』という立場もありますから、妥当な人事だと思います」と返答した。桜が満開の折でも、桜が散った後でも、駐日ロシア大使が出席する日程調整をへて「観桜の宴」は行われていた。
 
 2017年8月に「私の履歴書」『日本経済新聞』で高村正彦副総裁が寄稿した。「副総裁としてなすべきことは、(安倍晋三)総裁の特命事項」という趣旨の記述があったので、2018年1月31日にロシア大使館で開かれた「新年会」で高村正彦会長が出席していたので、乾杯でウォッカのショットグラスをグイと飲んで、拍手の起きている間に最前列の高村正彦会長に名刺交換がてらに接近し、直に聞いた。「日本・ロシア協会会長就任は、安倍総裁の特命事項だったのですか?」と。
 
「ないです」。
 
 と即答。・・・・・・間(ま)をおいて、「ないです」と、改めて否定。
 会場のロシア大使館という場所を考えれば、政府高官の会話が盗聴されているであろうことは想定内なので、筆者が高村副総裁に直撃した時点で、「ない」という否定語が登場するのは考えられる。・・・・・・一瞬ではあるものの、間(ま)を置いたのは、乾杯発声直後の闖入者(筆者)への正確な返答、なのかな。よくわからないのが、当時に報道されていたほどには安倍晋三首相が対ロシア外交に「前のめり」ではなかった印象を受けた、という筆者にとっては一つのデータだ。ロシア大使館や通商代表部のトップや国会議員が顔を出す日本・ロシア協会は、日露外交の「政治決定」のための前哨戦。安倍晋三首相が「日露平和条約」に報道通りに意欲的であるならば、外務大臣経験者でもあり自民党副総裁である高村正彦氏を、「自民党総裁の特命」として送り込んだとしても不思議ではない(だが、「特命」があったという話は、初対面の37歳の非・政治家である筆者の前では、本人から否定された)。
 
 第二次安倍晋三政権でのロシア外交は、2014年のロシアによるクリミア半島併合と時系列でほぼ同時に展開されたので、後世の歴史家であれば、「歴史」をひもとこうとするだろう。
 
 鳩山邦夫衆院議員と安倍晋三首相。2016年7月12日に青山葬儀所で行われた、「鳩山家・自由民主党 『お別れ会』」。弔辞を読み上げたのは、安倍晋三首相。会場隣の待機室で、他の参列者とともにマイクごしに安倍晋三首相の「あの、大きな声」という鳩山邦夫衆院議員へのお悔やみの一節を聞いていた。
 
 筆者個人としても、鳩山邦夫先生とはほんの少し思い出がある。日本・ロシア協会の主催で行われた勉強会。会場は議員会館。当時アラサーだった筆者が、エレベーターでは「下座」でボタンを押していた。エレベーターの外の周囲を見渡して(安全確認をして)「閉」。目的地の地下の階に到着すると「開」を押しながら他の乗降者が降りるのを待つ。永田町という場所柄と、アラサーという年齢、従業員なしの個人事業主・・・・・・色々なことを考えて筆者は「正しい」行動をしたのだが、鳩山邦夫先生はそんな筆者をみて、
 
「キミは、堂々としたらいい!ここではエレベーターボーイの役じゃないんだから!!!」
 
 と、「あの、大きな声」で声をかけられた。一介の個人事業主の筆者ですらこのように振り袖があったのだから、永田町という空間で同じ空気を吸った人間であれば、さぞかし多少(他生)の縁も多かっただろうと拝察される。
 お別れ会は、葬儀の場。控え室にスピーカーから、花輪を備えた人物名が読み上げられる。「加藤勝信」の名前を聞いた時、筆者の勘にひっかかったのだが、その後の日本・ロシア協会のロシア大使館でのイベントではご令嬢が花束贈呈の役割をつとめていて、「総理への野心あり」と大阪府警カウンターパートとの月例の会食で話したこともあるだろう。
 
 安倍晋三政権が長期政権となっている過程で「次」への野心を公然と口にするのは政治的に危険。総裁選で党員票では安倍晋三候補に土をつけた石破茂衆院議員がどうなったか(今(2022年10月22日)、「次の首相」として名前があがるだろうか)。岸田文雄衆院議員は「禅譲を狙っている」とずっと言われていたが、「禅譲」はなく、冷遇されていた期間が長かったような気がするのは筆者の記憶だけではないだろう。それだけに、加藤勝信衆院議員が、「ポスト安倍」として新聞紙面に登場した時には、嬉しかった。会食(新百合ヶ丘か相模大野)で大阪府警のカウンターパートに話したネタに含まれているはずだが、大阪府警に帰って出張報告の書類の中に「加藤勝信」の名前が入っていたならば、大阪府警の情報収集力が評価されていた、かどうかはわからない。ただ、丹念に足で稼いだ成果が見える形で出るというのは、誰も褒めてくれなくても独り酒をしている時に喜びがこみ上げてくるものだ。・・・・・・協力者(スパイ)とは、心の中で「闇」を飼って育てながら取り組むものであって、決してかっこいいものではない生き物だということを読者に感じていただければ、筆記者として喜びである。ハッシュタグにある「天職だと感じた瞬間」というものがあるとすれば、それは、閑居での独り酒をしている時におとずれる。
 
 「ロシアと安倍晋三首相」といえば、森喜朗元首相による「私の履歴書」『日本経済新聞』(2012年12月)の連載も思い出される。ゴルバチョフ来日時に、安倍晋太郎氏との会見を調整したエピソードが書かれていたと、筆者は記憶する。当時は、「第一次安倍晋三政権の投げ出し」の記憶が鮮明だったので、第二次安倍晋三政権が日本国憲政史上最長になるとは、誰一人として思わなかったと思う。そういえば、小泉純一郎首相・安倍晋三官房長官のコンビでは、「安倍さんは選挙に弱い」という評価がメディアではされていて、まさか後年になって「安倍晋三首相は選挙に強い」とまで言われるようになる「未来」がこようとは誰も思わなかったのではないだろうか。
 
 2013年に、あるメディア関係者から聞いたことがある。第一次安倍晋三政権が瓦解してまもなくのこと。数カ月をへて、自民党政治家・候補者の政治資金パーティーに頻繁に顔を出したとのことだ。自民党総裁に返り咲いた時のこと。自民党党員票では、安倍晋三候補よりも石破茂候補の得票数が上回るものの、国会議員のみに投票権が与えられる決選投票で安倍晋三候補が「逆転」し、(野党)自民党総裁に選出される一幕があった。
 
「政治家は、貸し借りで動きます。政治資金パーティーに、安倍晋三氏が、『元首相』の肩書きで出席するとなると、多くの人が集まる。参加者が集まれば、カネが集まる。政治家は、安倍晋三元首相への借りを忘れない。安倍晋三氏は、こうしてつくってきたパーティー出席の貸しを、総裁選の国会議員投票という場で、一気に回収した、というわけです」。
 
 
 筆者の不徳のいたすところだが、この情報源を明かすことはできない。筆者の本性を打ち明けるとすればこの方だ、と思って2019年にお会いしたのだが、その場で絶交を告げられたからだ。拙著には登場させていないシーンだが、こうした「決別」をへて生まれた。
  筆者は、大阪府警外事課(ロシア担当)をしていた(2006-2018)。
 わかりやすくいうと、いわゆる「『公安』のスパイ」ということになるが、日露外交が「動く」とすれば、第二次安倍晋三政権における、「安倍晋三首相」だった。市井に目を光ることはなく、一番の観測対象は、ほかならぬ、安倍晋三首相その人、だったのかもしれない。

 こんな話もある、・・・・・・と書き連ねることも可能だが、ここで筆を置く。
 
 故・安倍晋三首相への追悼演説。
 国会議事堂からの、六文銭の引導をわたすのは、野田佳彦首相に託そう。
 
 黙祷。
 
本稿公開:2022年10月25日 午前11時30分


(投稿予約:2022年10月23日。なお、原稿執筆過程で「今」に類する表現を用いた時には、その当時の原稿執筆日を記した)

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