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大河『光る君へ』と『セーラームーン』

 大河ドラマ『光る君へ』は、『セーラームーン』ではないか。ふと思った。
 
 第1話で藤原兼家の正妻(嫡妻)として三石琴乃さんが出演された。
 
 「お黙り!」
 
 このセリフは「セーラームーン」シリーズにあっただろうか。ふと疑問には思った。「黙りなさい」というセリフは、『セーラームーンSs』でダイアナが初登場した回における、愛野美奈子(セーラー・ヴィーナス)からアルテミスへのセリフではなかったか・・・・・・
 
 どうやら違うようだ。時姫(演:三石琴乃さん)による「黙りなさい」。
  
 「セーラームーン」を見ていた当時男子中高生の脳内では、「おしおきよ!」という言葉におきかえて『光る君へ』を鑑賞していたような気がする。
 
 筆者がNHKオンデマンドで第1話を視聴した際に思ったのは、「『光る君へ』は『源氏物語』を意識させる描写だな」ということ。
 籠の鳥(雀?)が逃げ出してしまった後に「光る君」に出会うシーンで、「籠が開いて雀が逃げ出して若紫が泣いているところを、光源氏が見初めた」という描写を『あさきゆめみし』に思い出した視聴者は少なくないだろう。
 
 『光る君へ』第1話、終盤。
 
 ヒロイン(のちの紫式部)の目の前で、母が斬殺される。
 『源氏物語』。光源氏の「二人の母」は、若くして亡くなった。二人目の「母」は、生母の面影をおってのことだという(多くの日本人に読まれている)『あさきゆめみし』の設定によれば、「母の衝撃的な最期」をヒロインと視聴者に焼き付けたかったののではないか。



 ところで。
バレンタインデーでX(旧Twitter)をみていると、バレンタインデーに好きな女子からチョコをもらう絵が、多く観測された。「恋愛感情の意思表示をするのは、女性が先手である」というのは、誰が決めたのだろう。チョコレート会社か高級百貨店の「陰謀」なのだろうというような仮説は誰もが思いつくだろうが(社会学などで精密な研究が行われれば異なる結論が出るかもしれないが)、「待つ男」という言葉はあるのだろうか。
 
 「待つ女」という言葉を、『劇場版涼宮ハルヒの消失』の公式ガイドブックか劇場パンフレットを通じて、筆者は知っていた(2010)。しかし、筆者には恋愛願望も結婚願望も2003年5月25日には放擲してしまったので、「待つ女」という言葉について思いをめぐらせることはなかった。2024年2月14日までは。
 
 そこで、発想が飛躍する。
 『光る君へ』での左大臣家でのサロン。
 赤染衛門が藤原道綱母『蜻蛉日記』についての解釈を示す。
 そう、道綱母(演:財前直見 さん)は、「待つ女」だった(過去形)ことは間違いないが、待った末に幸せをえることができた、という解釈。
 藤原兼家が悪夢にうなされて「こわいよー」と泣き言を言っている時も、耳元で「道綱のことをお願いしますよ。『ミ・チ・ツ・ナ』」と、ありし日の「光る君」へしかける。「待つ女」どころではない。「光る君(ここでは藤原兼家)」に自らの思い(実子の出世)を実現させようという攻めの姿勢が光る。
 
 もう、こうなったら、女性が戦い、勝利をつかんでいくと当時の女子に解釈された「セーラームーン」だ。第1話に三石琴乃さんが出演されたのは、『セーラームーン』を視聴者に認識させる伏線だったのかもしれない。
 
 筆者にも、女性の友人は、いる。
 
「『セーラームーン』をみて、『女の子も戦ってもよい』と勇気づけられた」
 
 そうだったのか。中高一貫の男子校で「自由」にふるまっていた我が身を省みる。もはや「江戸時代」ではない。三従の教えなどに縛れる必要などない。
 
 筆者は、父親として娘とともに『プリキュア』を視聴する普通の人生を送ることはできなかったが、『セーラームーン』ならわかる。古文・漢文・平安貴族の描写(日本史)、そういった「受験勉強で教えられる知識」は、受験が終われば忘れてもよい(むしろ、縛られてほしくない)。
 
「学校では、受験勉強では、『○○○』と教わった」
 
 ということは、学問の入口かもれない。人の一生は、どんなに多芸に秀でる者であっても、「三つの舟」から「一つの舟」を選ぶ必要がある(もちろん複数の専門を持つことで得られる「専門」があることは承知している)。
 
 筆者は「専門」をもつことができない学徒崩れとして生涯を閉じるだろう。
 だからこそ、「闇の君」になりたいという願望がある。
 藤原兼家(演:段田安則さん)。彼が、私の「推し」である。
 藤原兼家がくりかえした「我が一族」というセリフ。これが、「光る君」をしばるのだろうな、と主流になれなかった一人として楽しみにしている。
 
 
2024年2月27日
 
註。
筆者はウェブ上で下記の記事を読みました。
「『光る君へ』に登場する月の画像は、『望月の和歌』だろう」ということも上記拙稿にもいれていましたが、クドいと思って削除しました。
 
「大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静『2話目を書き終えた頃に夫が他界。介護と仕事の両立は困難だったが、45年間で一番優しく接した時間だった』
紫式部の時代に没入して」<前編>および<後編>」
『婦人公論.jp』(電子版。2024年2月26日付)
なお、上記電子版の出典は、『婦人公論』(2024年2月号)とのこと。


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