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山岡鉄舟(安田生命)と福沢諭吉(明治生命)

幕末を題材とした大河ドラマで、『青天を衝け』には、坂本龍馬が登場しませんでした。誰もが知る幕末の有名人を1-2話での登板にするなかなか贅沢な配役ではないでしょうか。大河ドラマで福沢諭吉が登場したのも意外でした。明治・大正・昭和で名を残す人物も脇役として目立たぬ形で出演していますので(薩摩藩士・三島通庸など)、今後の展開が楽しみです。

筆者は日本政治史を専門としているわけではありませんが、幕末の歴史を描くのは難度が高いと言われます。名前が出てくるけれど、世が一新されて黒歴史を上書きする人がいるとか、いないとか。その点、福沢諭吉『福翁自伝』はおもしろいですよ。緒方洪庵の適塾にて全裸で過ごしていたとか、遊郭通いの塾生を叱ったら行儀を改めてしまったのをおもしろくないと「逆ギレ」して遊女の偽手紙を書いて遊郭に行くように仕向けて帰ってきたところをつかまえて酒をおごらせたとか。慶應義塾大学の塾生の皆さん、福沢先生のまねをしないように。

「福沢は48歳で明治生命に申し込んだ時の身体計測が残っている。
それによれば、身長175.5センチ、体重70.2キロだった。」
北岡伸一(2002)『独立自尊』講談社、p.238

明治安田生命には、この記録は残っているのでしょうか。現在(2021年8月)から20年も前のことではありますが、「北岡伸一先生」といえば大物学者なので、有識者として明治生命は福沢諭吉と明治生命の契約に関する書類の閲覧を許可されたのかどうか、それはわかりません。

一方の安田生命。山岡鉄舟は最初の契約者の一人だとされます。
筆者(2003年8月6日付で安田生命を退職)は、明治安田生命(2004年1月1日発足)にはたちあわなかったのですが、「明治生命と安田生命が合併する」というニュースを知った上での、就職活動の末に安田生命総合職入社(平成15年入社)です。2003年4月1日から3泊4日は明治生命・安田生命の合同研修でした。

「4月1日」はエイプリルフールだと思っていたのですが、すごい一日でした。人生がかわりました。一般課程・専門課程・生保講座のテキストがこわくなることもありますよね・・・・・・安田生命総合職の新人研修は6ヵ月かけて行われるのですが(途中離脱した)筆者の見聞きしたことを出版したら同期入社みんな買ってくれると言ってくれたのは、ホントなのでしょうか(笑)。コロナ禍のほんの直前、2020年1月に同期会で勢揃いして旧交をあたためました。退職した後の私がどんなことをしていたのか、拙著(Kindle)のリンクをはっておきますね。


竹村吉右衛門や黒田ゆきが『青天を衝け』に出演したら驚天動地ですが、岩崎弥太郎や安田善次郎は出てくる可能性がありますね。若槻礼次郎はあまり安田翁のことを好ましく思っていなかったようですが(『古風庵回顧録』↓)、

明治・大正・昭和政界秘史 (講談社学術文庫)
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昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫)
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はとても面白いですよ。後者は廃版になってしまったのかもしれないのですが(\29で売れたとしたら、筆者の手元に\1の紹介手数料が発生するのか?!)、

一般課程の模試で91.5点をとって6人一緒に退席を命じられても、どうやら筆者は本好きの人生を歩んでいるようです。『青天を衝け』の最終盤の見せ場になるかもしれない(その後の「昭和恐慌」の方がインパクトは大きいかもしれませんが)ので、3講・5講・1講のネタならお任せあれ。「金融恐慌」という用語は、21世紀に入ってからもその意味するところが変遷する用語です。

山岡鉄舟はどのような人物なのか。市井に広まっている人物像でしたら、『青天を衝け』の川路聖謨と役がカブってしまうと思います。明治時代編になると脚本がどのように変わるのかわかりませんが、川路聖謨が大物として登場している時点で、「山岡鉄舟」はクローズアップされないだろうなという予感はしていました。

『青天を衝け』では、徳川慶喜が渋沢栄一と並ぶ主役としてクローズアップされていたことに注目が集まっていました。鳥羽伏見の戦いで大坂城から海路江戸へと敵前逃亡するのを、破綻のないように描くのか至難の業だったと思います。結果として、鳥羽伏見の戦いで橋本・枚方(ひらかた)・守口(もりぐち)と敗戦を重ねるさまが手紙を通じて伝えられるのですが、京阪線準急停車駅ごとに「戦線」が後退していくと、徳川慶喜が海路敵前逃亡するような突き抜けたことをやらかしてくれない限り、大坂市中は灰燼に帰しただろうなと元大阪人として感謝しています。

前パラの最終文は、皮肉ではありません。徳川ががんばってしまったら江戸城無血開城もなく江戸市中が灰燼に帰したという文面を「創造」してしまうことも可能であるということを想起していただければよろしいでしょう。「無血開城」で済まなかったのが、川路聖謨であり、小栗忠順でした。そして、土方歳三であり、五稜郭へとつながります。

明治6年の政変、西南戦争へと、私たちが知る「明治時代」というものは、おそらく浮かび上がってこないような気がします。尊皇攘夷という熱病にほだされる渋沢栄一らの血気を白けながら視聴していた筆者ですが、あれは俳優というプロフェッショナルだから可能なのでしょう。

「時代」「歴史」とは、渦中に身を置くとそのようにちっぽけなものなのかもしれません。コロナ禍という禍中(←2021年8月26日現在ではこの用語を使うのはOKでしょう)にある私たち一人一人にとって。



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