見出し画像

乗り越えたわけでも、立ち直ったわけでもなく

アベプラで、不育症の特集があった。
妊娠はするのだけど、流産を繰り返し、
なかなかお子さんが授からない方々についてだ。
 
不妊・流産の悲しみに限らず、
自分の人生に起きた不慮の出来事を
自分が真に受け止めるまでには、ものすごく年月がかかる。
「人に話せるようになるまで」時間がかかる。
それは詳しく言うと、
「人に話して、相手がどんな反応をしたとしても、
ある程度、心が大丈夫になるまで」という意味だ。
 
たいていが、まずは、話さないと日々の対話が難しくなる親しい人から
順に伝えていく。
最初はあくまで平静を装い、
取り乱さずに話すことに集中するから、消耗する。
泣き出したりしたら、
優しい友達や親兄弟も苦しめてしまう気がするから、
なるべく、聴いてくれた人の負担が重くないような
話し方をするようにしたり。
 
私の母は「いのちの電話」のカウンセラーだが、
電話相談やオンラインカウンセリングは、
そういう、親しい人にこれ以上負担をかけたくないけど
どうしてもこみ上げてくる想いを受け止める役割を、
かなり担っているように思える。
 
私の場合(一人息子が自閉症と知的障害を持つ)は、
告知された当時から家族と友人に公開しているブログを書いていたので、
そこに近況を綴るようにして、友人たち個々に話すことをやめた。
私自身も「明るく話せる」自信もエネルギーもなかったし、
友人たちも「子供に障害があると分かった友達のブログ」を
どういう距離感で読むかは、それぞれに判断すればいいし、
しんどければ半年とか近寄らないこともできるから。
そんな感じで、今に至ってるところはあります。
 
「お子さんには障害があります」と告知をされたとき親は、
授かってからその日までに思い描いていたその子との未来を失います。
ごく普通に成長し、進学し、就職し…という、自分と同じ、
ごく普通の人生を歩む予定だった子供の死を告げられ、
そして目の前に、未知の、将来も人生もまったく予想できない、
知らない別の子供がぽつんとそこにいるような感覚に陥る。
健常な子供が死んでしまって、障害のある子供が自分の人生に現れる。
その「あったはずの普通の子供との未来」の喪失を、
受け入れるのには相当な時間がかかるものです。
(とはいえ実際は、障害のある乳幼児を育てる日々が戦場のようなので、
物思いに耽る時間などありはせず、
ろくに心の整理をする間もないまま、日常に忙殺されていくのですが)

そんな感じで…、自分の人生に不慮に起きたことや、
望んだけど得られなかったもの、失ってしまったものについて、
それらを真に「受容」するのは、本当に年月がかかるものです。
2〜3年でどうにかなるものではない。
 
生傷がかさぶたになり、やがて肌の表面がなめらかになって、
痛みが消えてなくなる。人にぶつかっても痛まなくなる。
でもそこに傷痕はずっとある。
 
アベプラのその特集にASCAさんという、
不育症の方が出演されていた。
ブログにはたくさんの想いが丁寧に綴られていました。

ASCAさんがこうして綴ることもまた、受容の長い道のりの途中であり、
けして「平気で語れるようになった」わけじゃないだろうと思う。
 
「乗り越えたわけでも、立ち直ったわけでもない」
震災でお子さんを失った方の言葉を思い出す。

そこに傷は存在し続ける。
傷のある自分で、今日を生き延びる。
それだけだし、それでいいと私は思っています。

※写真は今年成人式を迎えた息子と私です。
3歳の告知から17年、なんとか?生き延びてこれましたが、
それも実感としては、ただ1日1日を、繰り返しただけという感覚です。
最近は少しだけ、若い人のサポートに回れる余裕が出て来ました。
(ほんとにここ数年ようやく、です)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?