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ヤンキーの最終地点。


わずか24年間の僕の統計上と体感にすぎないが、ヤンキーは結婚するのが早い。

なぜヤンキーなのに結婚が早いのか。

ヤンキーでない僕の凡人の感覚では、
結婚などせず女遊びをし、ありあまる自由な時間で酒を飲みまくり喧嘩にあけくれる方がヤンキーなのではないかと思ってしまう。

むしろ結婚は、
1人の女性を愛するという善良な行為であり、
ヤンキーとは真逆の行為なのではないのか。

その選択に至るまでヤンキーという生き物が
物事を判断する上での基準は、
「悪い(ヤンキー)」か
「悪くない(ヤンキーでない)」で
判断していたはずだ。

例えば、

先生に反抗する or 反抗しない。
でいえば勿論、
反抗する方が悪い=ヤンキーなので先生に意味のない怒りをぶつけ反抗してきただろうし、

未成年でタバコを吸う or タバコを吸わない。
でいえばそれもまた、
タバコを吸う方が悪い=ヤンキーなので無理してタールの強い14ミリのセブンスターを吸い、
ヤニクラを起こしていたに違いない。

このように数々の選択を、悪いか悪くないか。で判断してきたヤンキー達が最終、
「結婚する」という全然悪くない、ヤンキーじゃない選択に至るのか。

そこにヤンキーの本質が隠されてるのではないか。

書いているにつれ少しずつ気付いてきたのだが、
ヤンキー=悪いという僕の先入観が間違っていたのかもしれない。

ヤンキーの最終地点、ゴールは、
悪い悪くないの判断基準ではない、
男か男じゃないか。な気がする。

色んな欲望を捨て、
1人の女性を愛するという覚悟。
悪い悪くないじゃない、男か男じゃないか。
いや、漢か漢じゃないか。という選択で「漢」をとったのではないか。

サンズイヘンの「漢」であることこそが、
ヤンキーのあるべき姿であり最終地点なのかもしれない。

これだけ考察しておいてなんだが
シンプルな話、
後先を考える知性が無く、何も考えずノリと勢いで結婚しているだけかもしれないという一番可能性が高いそもそも論が僕の頭をチラつきはじめてきたが、
このまま終わることにしよう。

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