見出し画像

親友と自分-身近な人の死-

皆様、こんにちは。

れいやです。


突然ですが、今年の春に亡くなった親友のことを話そうと思います。


親友とは中学時代からの付き合いで、入学後すぐに仲良くなり、ずっと一緒にいました。

僕が親友に影響を受けた物は多く、ゲームやアニメ、役者さんなど様々なことを教えてもらいました。

僕自身の興味が親友の好きなものと一致したことにより、仲はより深まりました。


高校も2人とも同じところへ進みました。

時折、僕の早とちりしがちな性格のせいで勝手に仲を拗らせてしまうことはありましたが、それでも僕に歩み寄り見捨てることは決してありませんでした。


高校3年生の時、僕が色々あって早とちりした結果、親友を避けるようになってしまい、夏休みすぎくらいまで会話のない生活が続きました。

そして、ある日親友が意を決して声をかけてくれたことにより、再び元の関係に戻りました。


元の関係に戻ったあとは、ブランクを埋めるかのようにお互い自分自身に関する色々なことを話しました。

何が今辛いか、将来は何になりたいか、家庭環境はどうか、今悩んでいること─────本当に色々なことを話しました。

その中で親友が話していたのは、劣悪な家庭環境。

親友に対し暴力を振るう兄弟、兄弟に対し何もしない母親、学歴至上主義の父親。


家には味方は誰もおらず、1人でずっと悩んでいました。また、電車に乗ることが出来ない、電車に乗るのが辛いということから精神科に通い、パニック障害と診断されていました。

お互い、相手に対し何も出来ないながらも話を聞くことで心の負担を軽くしていました。



大学生になっても、その関係は続きました。

会えなくても、LINEやTwitterで連絡をとったり、時間があれば電話し、たまに2人で会って遊んで。その中で、愚痴を吐き出し、お互いの相談に乗り、生きづらさを共有しあっていました。

僕も大学受験後に精神科に行くようになり、僕は適応障害と言われ、親友は境界性パーソナリティ障害と中等度の鬱と診断されました。



また、最近気づいたことですが、僕と親友2人ともが共依存度が高いからこそ、仲がずっと続いていたのだと気付きました。

よくお互い「君がいるおかげで今自分がいる」「僕を理解してくれているのは君しかいない」といったことを言い合っていましたが、これは共依存度が高いからこその発言でした。

また、僕も親友も精神科医以外に精神疾患のことを話すのはお互いしかいませんでした。精神的に問題を抱えるもの同士、寄り添い支え合っていました。



そして、今年の春の事でした。

2人で遊びに行く約束をしていた矢先のこと。


今回、遊ぶ計画を立てていたのは親友だったので、僕は詳細の連絡が来るのを待っていました。しかし、前日になっても連絡が来ない。

僕が遊ぶ計画を立てていて、連絡をし忘れていた時は親友の方から連絡をくれたり、遊ぶ予定日の数日前には集合時刻や当日の予定などを知らせてくれる、真面目でこまめな性格を親友はしているため、おかしいなと思い、2人だけで繋がっているTwitterのアカウントを見に行きました。そのアカウントに行くのは、1週間ぶりくらいでした。


タイムラインを遡っていくと、そこには。

僕がTwitterを見た3日前。


「自分には、生きる理由も、この先生きる権利も、ありません。
明日を最期に全てに別れを告げようと思います。
今まで協力して下さった方、ありがとうございました。そして数少ない友達へ、生きる勇気もない弱い奴でごめんね。ありがとう。」


目を疑いました。だって、このツイートの翌日、LINEで普通に会話してたんです。遊びに行く日、何するかの話を。


このツイートと共に、手に大量の薬が入った袋が握られている写真がありました。



実は、親友は高校の頃2回、自殺未遂したことがありました。死ぬに死ねなかった、と言っていましたが。


本気なんだ。とツイートを見て悟りました。ということは、僕がツイートを見た時点で既にもう、親友はこの世界にいない。そう思いました。

そして遊ぶ予定の日、僕からしてみれば親友の生死が分かる運命の日。

この日、親友から連絡が来れば親友は生きている。連絡が来なければ、親友は、もう。


この世界に居ない





朝から晩まで一日中、親友と繋がっているSNSを見続けました。

しかし、連絡は一切来ませんでした。




僕は、自分から親友にコンタクトをとることが出来ませんでした。

怖かった。



小学生の頃、親戚の葬式に2、3回出たことはありました。しかし、自分と接点はなかったので人が死ぬ、ということに実感が湧きませんでした。

また、中学生の時祖父が癌で亡くなりました。僕は学校へ行くほうを優先させられ、祖父の最期と葬式に出ることは叶いませんでした。なので、写真越しでしか最期を見ておらず、正直未だに実感はあまり湧いていません。いつもいるべき場所に祖父が何故かいない。それ以上でもそれ以下でもなく、といった感覚です。おそらく、年に数回程度しか会うことがなかったのも実感が湧かない要因の一つかもしれません。



親友は、今まで僕が知っている、血縁があるもしくは生前何かしらの関わりがあった人の中で亡くなった人のうち、最も関係が濃い人でした。

学校がある日は毎日顔を合わせ、SNSでもやり取りをし、時には2人で会う。



本当に身近な人の死は、親友が初めてでした。


だから、どうしたらいいのか分からなかった。

気付いた時にはもう手遅れで、止めようがない状況だった。

親友の言っていた言葉が事実なら、僕が気付いた時点でもう世界にはいない。



止められなかった、自分が何か気付いてアプローチしていれば未来は変わったかもしれない、どうして何もしなかったんだ僕は!!!

後悔と恐怖が渦巻き、親友の死を認めたくなくて直接の連絡は取りませんでした。



しかし、親友とだけ繋がっているSNSアカウントで、些細な内容の投稿をしました。

親友が気付いて、僕に連絡をくれるように。





期待は外れました。

未だに、親友からのリアクションや連絡はありません。LINEで何かメッセージが来ることも、Twitterでツイートを見ることもありません。



親友が亡くなって以降、毎週夢を見るようになりました。

最初のうちは、自殺したものの、実は自殺未遂で後遺症もなく、「生きてて良かった!」と共に手を取り合い喜ぶ夢を見ました。


しかし、親友の死から1ヶ月たった頃。

夢の内容はガラリと変わりました。

「れいや、どうして自殺しようとするのを止めてくれなかった。」と毎週夢の中で親友に責められ続けました。




僕は、ずっと後悔しています。

自分なら、自殺を止められたのではないか。

悩みを解決出来なくても、話を聞いて心を軽くすることは出来たのではないか。

どうして誰よりも身近なところに、側にいたのにも関わらず何もしなかったのか。


精神科に行った際、担当医にこのことを話しました。担当医は、「貴方が気に病む必要は無い。何かしてあげることは多分出来なかったと思う。たとえ、貴方でなく他の人であったとしても。」といった内容のことを僕に言いました。


ですが。

僕はそれでも、自分になにか出来たのではないか、と思います。

そう思うのは傲慢かもしれません。僕ごときにできることはないかもしれない。


だとしても。

親友を自称し、親友と言われた自分には、何かしらのアプローチをする責務があると思っています。行為が結果に繋がらなくとも。


この後悔は、おそらく一生消えることはないと思います。








僕は親友の死により、人生で一人だけのかけがえのない親友を失っただけでなく、本当の自分を打ち明けられる存在を失いました。

家族さえまともに信用していない自分にとって、最も信頼出来るのは親友でした。


親友になら、何でも話すことが出来る。

親友なら、絶対裏切らないで居てくれる。




でも、その親友はもう居ない。










僕がこの記事を書いたのは、かけがえのない友人をなくした人がいたら、僕のこの話を見て心の支えにして欲しいと思ったからです。


僕は、身の回りで自殺した人はいません。

知り合いにもいません。

親友の死に関する自分の思いの丈を話せる相手は、精神科の担当医しかいませんでした。


この時、ネット上で見た友人を自死でなくした人の体験談を見て、同じ辛さを体感した人は僕以外にもいることを知り、どこか救われたような気持ちになりました。


悲しいことに、コロナ禍以降、原因は何にしろ自ら命を絶つ人は少なくありません。


身近な人が亡くなった人も少なからずこの世界にいるはずです。

そんな人が、僕の記事を読んで、少しでも心を救われたらいいなと思います。

自己紹介の次が暗い話ですみません。





もし、ひとつだけ願いが叶うなら。

親友にまた会いたい。

ごめん、って伝えたい。





また、次の記事でお会いしましょう。


れいや。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?