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月50万円稼いでいた大学生が挫折してサラリーマンになった話

「斉藤さんはどうしてこの会社に入ったんですか?」
後輩の池田くんはそう言いました。
その言葉はなんとなく、自分がまだ会社に残る可能性を探し求めているようにも感じました。

僕はかつて大学在学中にフリーで働いていました。
やっていたのはブログとウェブコンテンツのマーケティングです。

運営していたブログ自体はこんな感じ。

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これは2015年2月のアクセス数です。
ページビュー数はだいたい平均20〜30万アクセス。45万を超える月もありました。

なんとなく自由になりたい。
将来は就職したくない。
就職は人生の地獄だ。
そんなふうに考える僕が、どうしてフリーをやめて会社に入ったのか、
そして今また違う視点で会社員として発信しようとしているのか。

まずは、大学時代でフリーで月50万円を稼ぐところから話をしていきたいと思います。

目次はこちら


●月50万円稼ぐ大学生が全てを辞めた理由


人に命令されたくない
そんな青臭いバナナみたいな僕は、
とりあえず大学在学中にビジネスを始めました。

最初はイベント開催。
それからブログ。

ちょうどまだ東京で消耗したくない、耐久材になりたい大人が増えていて、
世はブログ大航海時代。
ブログで稼げる第二次ブームみたいな時代だったので、
今とは比較にならないほどアクセスは取りやすかったのですが。

当時はそんな思いから朝から晩まで
手首が腱鞘炎になるほどブログブログでした。

そのブログが軌道に乗り出したことで、
知り合いからウェブコンテンツ全般扱ってくれない?と依頼が来て、
個人の方中心に仕事を請け負っていきました。

お金を稼ぐのってチョロい。チョロ松。

どんどん稼ぎました。
自分でもよくわからないくらい稼ぎました。

契約料なんていくらか相場がわからない中、
「48万円も50万円も変わらないから君の都合のいい契約にしてくれ」
と言われました。
2万円ってこんなに一言でもらえるものなのか。
まるでドンキホーテのレジ横のお助け一円玉みたいな感覚で言われた衝撃が走ったことを今でも覚えています。

どんどんどんどん稼ぎました。
ただ、忙しすぎたのです。

土日の夜にもなり続ける携帯電話。
クライアントは個人事業主。
自由な時間に働くので、ぼくもそれに合わせて
アポも夜に入れることもよくありました。

今考えれば自分自身のマネジメント不足だったのですが、
右も左もわからずフリーの仕事の世界に飛び込んだ僕は、
完全に忙しさの中に飲み込まれました。

稼いでる。けど
自由になれない。

そして僕は
身内の死目に会えませんでした。

祖母が、他界したのは、僕があくせく働きまくっている時。

これが僕の目指した「幸せ」の形でした。

なんのために稼いでいるんだろう。
やっとゆっくりできた通夜の最中、
祖母との思い出に浸ることよりも、
自分自身の生き方を恥じていました。

稼ぐって、こういうことなのか?
本当に自分は稼ぎたかったのか?

「お金持ち」ではなく
単なる「銭ゲバ」と化していた。

そこでもう一度、
稼ぐ
働く
生活する
ということを考えるようになりました。

僕は、月収50万円の仕事をやめました。
研究室もろくに行かなくなった大学院2年の春でした。

●なぜ「社畜」の人生を歩もうと思ったのか

そもそも。
僕が起業をしたいと考えたのは大学2年あたりのこと。

図書館で読んだ「ソーシャルビジネス革命」に大きな衝撃を受けました。

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この本は、社会的起業という言葉を世の中に広く伝えた本です。
営利を最大の目的とするのではなく、社会の課題を解決するために事業を生む。
利益や資本はその維持費と考える。

そんな考え方に感銘を受け、自分も社会的な課題をビジネスで解決してみたい。
そんなことを思っていました。

社会のために、働く。
それが一番やりやすい環境を選ぶ。

もう一度いろんな働き方をまっさらに考えました。
そうすると、「就職する」という道が見えてきたのです。

本当に世の中に大きなインパクトのあることを早めにやりたいなら、
大きな資本がある企業の中で、裁量の大きな仕事を動かしたほうが早い。
そう考えたのでした。

個人で仕事をやってみて思ったことですが
よほどの大成功でもしないかぎり、世の中にインパクトを与えることをすぐさま手を付ける資金力を調達するのは難しいです。
少なくとも、僕のような能力が半人前の人間にはできませんでした。
まずは自分自身の生活を成り立たせるので精一杯。
ある程度生活基盤に余裕を持ちながら仕事をできる環境に身を置く必要ある。

で、もしもやっぱり個人でやりたい。個人でもやれる。
そう思えば、それはそれで会社をやめてまた個人でやってみればいい。

『ONE PIECE』のシャンクスだって、
最初は海賊団に所属して、そこから独立してるんですから。
なんでもかんでも漫画の『ONE PIECE』で例える風潮そろそろ飽きてきましたよね。

僕は、会社に所属することにしました。
かつては「社畜」そう思っていた人生を歩むことにしたのです。
組織に所属する。というのは相変わらず死ぬほど嫌いなことでしたが。
スーツを着ただけ本気で号泣したことだけは、誰にも内緒です。

●本当に社畜化し、キャバクラ破産


東証一部上場。
何度も繰り返したくなる言葉です。

日本で生きる誰しもがその名前を聞いたことがあり、その名前を信用する金看板。
僕は、そんな企業に所属することになりました。

ただ、多くのビジネスパーソンの方がわかるように、企業というのはそんなに甘くもありません。
ベンチャーでもなければ経営の大きなところに関わる裁量の大きな仕事を任せてもらうまで早くとも3年くらいかかります。
OJTという名目の元、長期的に研修する会社もあり、長ければ2年〜3年ほどかかります。
僕も例に漏れず、その一人でした。

しかも、組織文化は根性論の横行しまくり組織。
数字作れるまで帰るなとか言うような始末。
衝撃的でした。
こういう組織文化が日本の経済を動かしているという事実。

いつの間にか本当に社畜と化した僕は、
知らず知らずのうちに「上司に認められる仕事」=「怒られない仕事」をするようになりました。

残業もかさみました。
深夜2時くらいに帰ることがざらになりました。
休みはとにかく寝る。
もともと映画も好きだったんですが、よりいっそうAmazonプライムでとにかく没頭して疲れを忘れる映画を見漁りました。
もはや見るものがなくなってきて過去の仮面ライダーシリーズを全部観るようになったほどです。

週末は映画館で映画をハシゴして4本観る日もあったりとか。
おかげでTOHOシネマのポイントがめちゃくちゃたまりました。
ようやくポイントがたまり1ヶ月フリーパスをもらうところまで来たとき
転勤したことについては、今でも会社を訴訟することを辞さない覚悟です。

効率よく仕事を回せるようになってきたなと思ったのが3年目。
年間を通じてどんな仕事がどんなふうに落ちてくるかが予想できるようになりました。
つくらないといけない文書も社内のどこかにテンプレが落ちていて、それを探す。
きっとこの仕事ならこの数字を追いかけられるから先回りしてやっておこう。
みたいな。

おかげで残業時間も次第に減っていきました。
映画をたくさん見る時間を確保できました。

ただ、それでもなんだか日常がつまらないなあと思っていた僕は
キャバクラに通うようになりました。

ゲスな話、学生時代にさんざん合コンしたり彼女をつくったりナンパしたりした僕は
その日だけサクッと可愛い子と喋っていたいという寂しさだけがありました。

悲劇はそこからでした。

そして週3〜4回ペースでキャバクラに行き、
一回の飲み代が3〜5万円、
日によってはキャバクラのハシゴなんかしたもんだから
一気に金欠になりました。

一時期は仮想通貨の運用などで300万円近くあった貯金が、見事になくなりました。
宵越しの金を持たぬとは、まさにこのことです。

何か新しい趣味を見つけよう。
そう思って筋トレをし始めました。

久しぶりに体を動かす感覚。
自分の限界に挑戦して、
体をいじめ抜いて、
それでも少しずつ体が強くなっていく感覚。
それがたまらなく心地よく、久しぶりに「前進している。挑んでいる」そんな感覚が戻ってきていました。


●先輩、仕事辞めたいです。


そんな折、後輩の池田くん(仮名・男・入社1年)が僕の仕事を同行することになりました。

「どう?仕事楽しい?」
同行中のランチで僕がそう話しかけると彼は、そうですね、とバツが悪そうな顔をして言ったのです。
「正直、続けるかどうか迷っています。本当にしたいことができなくて」

「やめたきゃ、やめればいいんじゃないかな」
僕は皮肉でもなく心の底からちょっとだけカッコつけて伝えました。

「斉藤さんはどうしてこの会社に入ったんですか?」
その言葉はなんとなく、自分がまだ会社に残る可能性を探し求めているようにも感じました。

そこで、僕は今までの経歴のことを全部話しました。
もともと会社なんて死んでも入りたくなかったこと
大学在学中に起業したこと
稼いだこと
挫折したこと……

彼は紙芝居を見る子供のような目で話を聞いて、すごい勢いで質問してきました。

怖い。若い子怖い。
おじさんがその勢いにたじろいでいると
「ありがとうございます。
 こういう人がいるんだなあって思っただけで
 なんかもうちょっといろんなこといろんな視野で
 がんばってみようって思いました」

池田くんが僕のことを尊敬の眼差しで見たのか
あるいは「こんな底辺の人間でも仕事できるのか」とうじ虫を見る目で見たのかはわかりません。
けど、自分の人生が誰かの役に立つんだなあと、このとき思いました。


それで、語ることで僕も思い出したのです。
自分がなんのために今の会社に入ったのか。
フリーで働いていた時に、自由を得られなかったこと。
社会の課題を解決したい。そう考えて今の会社に就職したこと。


もう一度、初心に帰って行動しなおしてみよう。


●令和時代に働くということが何を意味するか?

みんなどこか孤独だ。

本当にこのままでいいんだろうか。
このまんまの働き方でいいんだろうか。
そんなことを考えて、
でも誰にも相談できなくて
鬱屈した気持ちを抱えながら、
どこか毎日来る朝を迎えて働いている。

僕らは令和時代のサラリーマン・ウーマンだ。
お金のために働く。
でもお金のためだけに働きたくはない。

「ゆとりだ」「さとりだ」
何かっていうと言われる。
「血液型何型?」「B型です」「あ〜」
みたいに言われる。やっぱりねみたいな。
ふざけんな。B型なめんな。

やりがいを求めて働いている。
でも、やりがいを求めるったってどうやって働けばいいのだろうか。
目の前に見習うべきお手本が転がっているわけではなくて
そのお手本を探すところから始めないといけない。
自由なのに、どこか不自由な時代に生きている。

上司たちをお手本にできるだろうか?

僕たちの上司たちはポスト団塊の世代と呼ばれる。
団塊の世代が作り上げてきた豊かさの中に生まれ
仕事に少しずつやりがいを求め始めた時代。
ただ、つながりの主だったところは家族だ。
家族を幸せにするために働く。生きる。
マイホーム、マイカー、マイ家電、子どもがいて、長期安定雇用で、年金が潤沢で。

時代は変わった。

つながりの多様化。
ネットネイティブと言われる僕らのつながりは、もっと広い。
世界中の誰とでも繋がれるし、彼らの日々の生活がわかる。
自分が知っている以外の生活、人生が見える。
いろんな人生があることを、知る。
遠く離れた友人のキラキラしたインスタを見て押しているのは「いいね」ではない。
苦虫だ。僕らは親指で苦虫を潰し続けている。

シェアの時代。
1つの世帯で持っていることがゴールだったものが、そうではない。
シェアハウス、カーシェアリング、サブスク、子どもを持たない家庭もある。
長期安定雇用はなくなったと大企業が宣言し、年金だけでなく投資を推奨される。
老後2,000万問題って何よ、ちょっと全然聞いてないんだけど。

とにかく、やべえ
そんな思いで必死に、人生に窒息しないように酸素を探して生きている。


●令和リーマンとして僕が発信していきたいこと


そんな令和時代に、サラリーマンとして、
何より僕自身が迷わぬように羅針盤として
「令和リーマン」としてネット上のコンテンツを発信していきたい。

「こんな働き方もあるな」
「こんな稼ぎ方もあるな」
「こんな遊び方もあるな」
「こんな付き合い方もあるな」
そんなことを考えられるコンテンツを発信していきたい。

それから、
あの日の後輩、池田くんへ。
令和リーマンとしての発信があの日の池田くんのような
他の悩める令和リーマンたちの指針に少しでもなればいいなと思います。


自分の人生で窒息死しないように。


本業と副業で挑戦していく実践記録を発信していこうと思います。
僕は現在、本業はスーパーバイザーとして働いています。入社は4年目になります。
将来的には社会事業家、投資家になりたくて、資本の力で社会問題を解決していきたいです。
そこらへんのことを書いていきたい。

細かいところでいくと、
まずはサラリーマンの生活だったり、
お金の貯め方、稼ぎ方、
残業しない仕事の仕方、
恋愛や交友関係なんかのプライベートの充実のさせ方
なんてのをざっくばらんに発信できればと思います。

サボり始めたらぜひケツを叩いてください。
ひぃひぃ言いながら書くと思います。

みんなで深呼吸しながら、生きていきましょう。
令和リーマン斉藤をよろしくお願いいたします。

2020年8月9日

追伸
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