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純ジャパとも帰国子女とも言えない自分が英語上級者(C1)になるまで

私の英語環境はちょっと特殊で、3歳までは英語圏にいて英語しか話せなかったけど、それから帰国し、今度は日本語しかできなくなった。その後紆余曲折を経て、大学生の時にTOEIC 915点、30歳のときにIELTS 8.0CEFRでいうC1)を取得し、一応英語上級者を名乗れるようになった。
「帰国子女だから英語得意なんだ~」と言われたことはあるが、帰国後は完全に英語を忘れて1からのスタートになったし、かといって「日本で努力して英語を身に着けたんだ」と言われると、それにしては大分恵まれた環境にあったことは伝えたくなる。努力をしたことは認めてほしいけど、「純ジャパでここまでできるようになりました✨」というのは違う気がする。

そんな自分がどうやって英語を習得したのか、過去を懐かしみつつ今後の参考にするためにも振り返ってみる。特殊ケースなので、どこまで英語学習を頑張りたい方の参考になるかは分からないけど、こういう人間もいるんだなという読み物として、眺めてもらえると嬉しいです。


英語学習歴

0歳:日本に生まれる

日本人夫婦の間に生まれる。当然日本語すら話せない。

1歳~3歳:英語ネイティブに

イギリスに住む。両親ともに英語が話せたのと、帰国後は日本語漬けになるのでせっかくだからと家庭内の言語を英語にし、現地の幼稚園に通った。その結果、英語しか話せなくなり、日本語は童謡を少し歌えたり、単語を少しだけ知っている程度。炒め物を「いつぁめのも」(英語のTの発音)と言ってたし、初めて見た映画も英語のトイ・ストーリーだった。

4歳~6歳:日本語ネイティブになり英語を失う

帰国して日本の幼稚園に通い始める。帰国したらすぐ日本語を話せるようになると思いきや、持ち前の人見知りもありなかなか馴染めず日本語も覚えなかったので家庭内でも日本語を話すようになる。すると猛烈な勢いで日本語を覚え、週1で英会話に行っていたのにどんどん英語が話せなくなる。先生の言っている言葉がだんだんわからなくなる感覚を今でも少し覚えている。

6歳~12歳(小学生時代):英会話で毎回黙りこくる

別の英会話に通い始めるも、ほとんどの時間を黙って過ごす。母がいうには、私は質問の意味が分かってもどう回答すべきか分からず黙ってしまうらしい。例えば、Do you like red?と聞かれても、赤は好きっちゃ好きだけど赤いグッズを集めるほどじゃないし、そもそも他の色と比べて好きなのか…?と思って、YesともNoとも答えられなかった。そんな小難しくめんどくさい子どもであった。
ただ、先生の言うことがわからなかった記憶はないし、家でも母が英語教室をやっていたので、英語の教材は毎日のように家で流れていた。会話ができるレベルには到底ないが、中学校で習うような基本的な表現や基礎的な単語は一応知っていたのだと思う。

また、小2の時に親の友人を訪ねに英語圏の国に遊びに行った。当時は向こうが言っていることは分からなかったけど、小2だと言葉がわからなくても一緒に遊びまわれるし、バービー人形で怪獣ごっこみたいなことをした記憶がある。

13歳~15歳(中学時代):学校英語と英会話の相乗効果で英語を話し始める

学校で英語を習い始め、英会話を子供向け英会話からN●VAに切り替える。ここが転機になったと思う。
まず、学校で英文法を勉強したことで英語のルールが明確になった。例えば、Do you have…?というときの動詞のhaveとHave you been…?というときの過去分詞のhaveの違いを知らず、単純にhaveという単語だけを知っていたので、英語で「○○を持っていますか?」はHave you…?だと思っていたけど、そうじゃないことが分かった。塾にも通い始め、英文法を意識しながら簡単な英作文をするようになり、英語を組み立てられるようになった。
学校や塾での英文法の勉強と並行して、英会話に行っていたのも良かった。勉強を通して文法知識や文章構造が頭に入っていたので、会話でもそれを使いながら文章を構成できるようになった。よく学校の勉強は文法ばかりで実践に役立たないと聞くが、私が英語を話せるようになった土台は中学英語にあると思うし、机上の勉強と英会話の練習には相乗効果があると思う。

また、中2のとき1週間留学生のホームステイの受け入れをし、向こうの家にも1週間滞在した。普段は親が面倒を見てくれるけど、一度留学生を私の中学に連れていく機会があり、誰も英語を話せない中、自力で留学生を誘導しないといけずしどろもどろだった。帰り道に「沢尻エリカはかわいいが性格が悪い」という話になり(そんな話を外国人にしてどうする)、「性格が悪い」を英語で何と言うのかわからず、she has bad heartと言ったら心臓が悪いと思われて心配されたことがあった。その程度なので、英語ができるまでは言えないレベルだった。他にも外国に行ったり外国から人が来る機会があったが、英語はなんとなく少しわかるかな~くらいだった。

15歳~18歳(高校生):帰国子女に憧れ、初めて積極的に英語が話せるようになりたいと願う

地元を離れ東京の私立高に通い始める。授業でスピーチをする機会があったけど、帰国子女がちらほらいたり、帰国子女じゃなくても発音がきれいな人がたくさんいて、これが東京のお嬢様…!と衝撃を受ける。また、それまで英語は得意科目ので一時期特待生として無料で塾に通っていたけど、高校からすべての科目が難化して、1年の終わりには「私英語苦手~」と言ってる人より点が下がってしまい、特待生でなくなったので辞めた。

大学付属校だったので学内推薦のためには成績を上げる必要があり、なるべく英語の選択科目をとることで成績を底上げした。幅広い授業があったため、文法の授業から英語のドラマを見る授業、本を読む授業、ライティング、オーラルと幅広く英語に触れることができ、英語力も上がり推薦も受けられた。また、人生で初めて帰国子女に出会い、彼女らの英語の流暢さ、発音の綺麗さに感化された。仲の良い友達がイギリスの帰国子女で、その発音が綺麗だったし私の親もイギリスにいたためかイギリス英語推しであったので、イギリス英語を覚えたいと思うようになった。そこから意識的にイギリス英語の発音に寄せるようにした。

中学生までは英語は親の勧めでやっていただけで、特に伸ばしたいと思っていなかったけど、高校で帰国子女に憧れたことで、初めて英語をちゃんと話せるようになりたいと思った。英語学習に身が入るようになった。

18歳~20歳(大学1~2年目):B2(中上級)達成、英語ペラペラを目指す

英語を集中して履修し、プレゼン・レポート・ディスカッション等色々やった。受験をしていないため難解な文章を読むことには抵抗感があったが、会話やプレゼンについてはちゃんとやっていけた。
大学1、2年で各1か月ずつ短期留学をしたが、そのときはUpper Intermediate(中上級、CEFRでいうB2)だった。

B2 自分の専門分野の技術的な議論も含めて、抽象的な話題でも具体的な話題でも、複雑な文章の主要な内容を理解できる。母語話者とはお互いに緊張しないで普通にやり取りができるくらい流暢かつ自然である。幅広い話題について、明確で詳細な文章を作ることができる。

CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠) | ブリティッシュ・カウンシル (britishcouncil.jp)

通常の会話なら問題なく意思疎通はできるけど、長めに何かを語ったり、エピソードトークをしたり、複雑な話をするのは苦手で、短文を発して終わることが多かった。1回目の留学でその悔しさを覚え、2年生のうちに英語をマスターしてやる!と思ったけど、当時英語系Youtuberとかもいなかったし、どうすれば英語がペラペラになるのかもわからず、少し上達はしても目標には遠く及ばない状況だった。

21歳~25歳(大学3年~就職まで):TOEIC 915点、英語力を少しずつ伸ばす

このときは資格試験の勉強が生活の中心だったけど、学校では必ず英語の授業を履修し、英語で発言したり、ディスカッションも行った。英会話も続けていた。大学3年次にとったTOEICが860点で、4年次が915点だった。TOEIC対策本を買ったが、一冊読み切らずかつ試験2週間前から少し読んだくらいでその点数にはなったので、これまでの勉強を通じて基礎力が付いたのだと思う。

26歳(社会人1年目):英語中上級の壁にぶつかる

就職前に海外の語学学校に1か月弱行ったが、またもやレベルはUpper Intermediateで、10年近く経っても英語のレベルが変わっていないことにショックを受けた。クラスの子とは仲良くなったけど、やはり長文で説明するのは苦手で、模擬交渉もグダグダだったし、裁判傍聴をしたときは概要すら理解できなかった。
就職後通訳をする機会があったが、アクセントが激強で何を言ってるか全くわからず、結局ほかの人が庇って通訳してくれた。その後、英会話以外で英語を話す機会はほとんどなかった。
一年目の終わりにTOEFLを受けた。スピーキングだけYouTubeで参考問題を聞いて練習し、あとはぶっつけ本番だったけど、91/120点とまずまずだった(確かスピーキングが21点で他が23~5点くらい)。ただ、90点から100点になるのが難しいと聞いていたし、リーディングでこんなに内容が理解できなかったのは初めてだったので(蓋を開けてみたら思ったより正答率はよかったが)、かなりびびりあがっていた。

27歳~29歳(社会人2~4年目):英語の流暢さよりも、自分の考えを伝えることに注力する

職場で少しずつ英語を身につける。転機になったのは当時の英会話で、法人向けサービスなので一般には取れないと思うけど、この30年の英語学習生活で一番良い先生に巡り合った。
これまで取った英会話の先生は、自分の話をしがちで生徒が話す時間が少なくなることも多かったけど、この先生は自分の話はほぼせず(なのでいまだにどんな人かわからない)質問を投げてくれるし、その質問もビジネス・社会問題・環境問題など答えにくいものが多い。これまで難解な質問に正面から答える機会がなかったし、私の英語力が大したことないとばれるのが怖くて、最初は答えるのを渋ったり、どこかで聞きかじった意見を簡単に話して濁すことが多かったけど、ほかの生徒が正面からちゃんと答えているのを聞いて、自分もちゃんと話せるようにならないとと改心した。
私はグループレッスンが好きで、ノンネイティブである以上誰でも苦手な点はあるけど、それぞれ異なる個性があるのがいい。発音がきれいで流暢な人、社交的で楽しく会話できる人、英語のミスは多くても意見に納得させられる頭のいい人、質問に即座に答える人、いろんな人に会ってきて、私もこうなりたいと思うようになった。そこから、どんなにたどたどしくても、自分なりの意見を発信しようと思うようになったので、小手先の英語の技術よりも内容に関心が行くようになったのは大きな進歩であると思う。

また、毎日YouTubeなどで英語の動画を聴くようになった。この辺は以下の記事が詳しい。いまだに映画やドラマの聞き取りには苦労するが、少しでも良くなっていると信じたい。

英語の会議に参加する機会も増えた。特に成長を感じたのが、自分で会議を回すようになったときだった。やはり土壇場になると人間成長するもので、それまで英語の会議での発言機会がなかったのに急に上司不在で会議を回せと言われた際はかなり面食らったが、きちんと準備して会議に出たらちゃんとうまく回ったので、自信になった。今では英語の会議もちゃんと理解して発言できるようになったが、ネイティブ級の人だらけで早口で言い争っているような会議はついていくのに精いっぱいで、加わることはできない。

30歳(社会人5年目):IELTS 8.0達成、英語の苦手を伸ばす

留学を見据え、IELTSを受験した。前年10月からお風呂を沸かしている間にIELTSの問題集を解いたり、YoutubeでSpeakingの問題を解いたり、電車の中でWritingの解説本を読んで回答の型を覚えたりした。そんなこんなで隙間時間を有効活用して勉強をしたら、1月に受けた初回の受験でOverall 8.0/9.0を記録した(Reading 8.5, Listening 9.0, Speaking 7.0, Writing 6.5)。8.0は夢のまた夢と思っていたし、問題集を解いたときにそこまでの点数はとれなかったけど、問題との相性もよく、初回で目標を大幅に上回る点を取れ感激した。
志望校は全科目で7.0をとる必要があったので、Reading, Listeningも継続しつつ、Writingを毎週解いて、上記の英会話の先生に見てもらうことにした。その期間は1時間マンツーマンでみっちりWritingのコツを基礎からしっかり教わった。また、1回目のIELTS以降Camblyを始め、IELTS Speakingの練習をした。その結果、Speaking, Writingともに点数を上げることができ、IELTSは2回で卒業した(Overall 8.0, R 8.5, L 8.5, S 7.5, W 7.0)。

IELTSを通して、自分が思った以上に安定した英語力を持てていることがわかった。対策はしたけど、死に物狂いで猛勉強せずに上級者レベルを達成できたので、これまでの英語学習を通してしっかりと基盤を作れたのだと思う。

IELTSで目標点をとってからは、YouTube等で英語で動画を見る機会を増やしたり、英会話以外でも独り言で英語を話してみたりと、総合的な英語力を身に着けるために努力をしている。まだ意見の表明も苦手だし、映画やドラマの聞き取りは難しいし、話すのが苦手な話題もたくさんあるし今日も職場の外国人同僚と話してしどろもどろだったけど、英語資格試験の点数に慢心せず、毎日頑張る理由があるのはありがたい。

英語力が伸びた理由

幼少期から英語を始めたこと

これはずるいと思われがちだし元も子もないが、やはり英語は早く始めるに越したことはない。3歳まで海外にいたこと自体がどこまで自分の英語力に影響を与えたかはわからないが、少なくとも語学の耳はいいほうだし、発音も完璧ではないが良い方だと思う(なお第二外国語のロシア語でも発音がいいといわれたので、多分耳がいいのだと思う)。

英語を話せる人が周りにいたこと

もちろん普段から英語を話す環境にあればそれが一番だが、そうでなくても周りに英語話者がいると、自分もいつかは英語が話せるようになるんじゃないかと思える。私の場合は両親や、帰国子女の友達がそうだった。両親は大人になって留学して英語を身に着けたので、大人になってからでも英語は覚えられるよと言われてきたし、そうなのだろうと思っていた。

英語が聞こえる環境にあったこと

家で親が英会話講師をやっていたため、子供用英会話の教材がよく流れてきた。内容は中学校レベルくらいの簡単なものだが、ずっと流れていると嫌でも覚える。また、親が海外に友達がいて、ただの海外旅行でなく英語圏の人と一緒に過ごす時間があったのはよかった。当時は何言ってるかわからなかったけど、今思えばかなり貴重な機会である。

英文法の勉強と並行して英会話をやっていたこと

小学校時代の英会話の話で書いた通り、英文法を学ぶ前に英会話をやっても、それをもとに話ができるようにはならなかった。ただ、英文法を学び文章を組み立てられるようになってからは、それを使って会話ができるようになった。文法知識も英会話力も相乗効果で上がっていくので、これが英語を話す基礎を作るうえですごくよかった。

目標を持つこと

帰国子女に出会い、英語を話せることがかっこいいと思うようになった。このように、ポジティブに英語学習をするための目標やモデルがいると勉強に身が入るようになる。

他の目標があるときも現状維持をすること

大学3年以降は英語の比重が下がったけど、それでも英会話は続けていたし英語の授業をとっていた。現状維持だけでもやっておくと後で英語に力を入れたいとき、スムーズに英語学習に移行できる。

なるべく負荷がかからず楽しく勉強できる方法で英語に触れること

上記noteのとおり。英語は一朝一夕でうまくならないので、楽しく勉強とすら思わない方法で触れるに限る。

英語を話さざるをえない状況に置かれること

上記とは矛盾するとも思えるが、やはり英語の会議など、英語を話さざるを得ない場所で奮闘すると、英語学習にも真剣になるし、結果も早く出る。

英語をうまく話せない悔しさを忘れないこと

私はネガティブ人間なので、正直英語を話す夢よりもこっちの悔しさの方が学習の原動力になる。英語がうまく話せず苦労したこと、楽しめなかったこと、今後少しでもよい結果につながるようその気持ちを覚えている。

…と長すぎる自分語りをしたが、今後海外留学をするので自分の英語力やコミュ力のなさに打ちひしがれながらも頑張っていきたいと思います。

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