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7月中旬 え?ぼくですか?思想家です。

開業届を出した。
初期費用のかかるプロジェクトをやるわけじゃないから法人化はしないけど、個人事業主としてやっていく意思表示の感覚で提出した。
最近はもう周囲の人間が学生フェーズを終えている。働きだしたけどまだまだ人生が収斂していない可能性の獣ばかりだ。そういう友達と話していると将来への不安みたいな話題が毎回噴出する。
不安のままじゃメンタルに悪影響を与えるだけ。もちろん未知の領域におびえるのはリスクヘッジとして有用だ。しかし不安を自由にのさばらせるのではなく、首輪をつけてコントロールできてこその理性だろう。
資本主義といっても、結局最後はテストステロンのゲームなのかもしれない。(なんか今調べたら男性ホルモンと意思決定の相関がないっていう調査結果が2009年に出てるらしい、まじかよ)


分業化している日本語表現

 最近はずっと令和の虎チャンネルを観ていた。実のところ私は若社長の持っているチャキチャキした雰囲気が好きではなかった。成長はビジネスの大前提、これは正しい考えだと思う。しかし周囲でスローライフを送っている人間にも多少価値観を押し付けたり説教したりしだす方も存在する。私自身スローライフ大好きのどう森住人みたいな生活を送っているため、やれ起業しろだの大学を辞めろだのアドバイスをいただいた経験がある。こうして経営者への苦手意識は醸造されていったのだが、偶然の出会いをきっかけに、芸術家気質の経営者はその嫌味が少ないことを知った。

 令和の虎チャンネルを観ていても全員根底にはチャキチャキしたところがあるのは否めないが、人を雇う責任とはそういうものなのかもしれない。いろいろな社長さんがいるんだなぁと面白く視聴しているのだが、面接形式の構成上、挑戦者が社長のご機嫌をとってプレゼンをするという必要がある。それを達成できなかった場合、つまり社長が不機嫌になるコミュニケーションをとった場合に大説教が始まるのだが、なかなかに考えさせられる回があった。受験生版Tiger Funding54人目の回、臨床心理士になりたいという女性の喋り方が抽象的すぎるとのことで、みんな惹きこまれたりイライラしたりと様々だった。
やべ~これ、俺じゃん!
 ゆったりした喋り方も似ているし、喋っている内容が抽象的すぎる、すべてを伝えようとしすぎるのも全く一緒だ。俺ってこんなことになっていたのか。ひとつフォロー(自己弁護)をすると、喋る内容が抽象的なのは普段から考え事をしまくっているせいだ。なにも考えていない人はそもそも喋ることがないor卑近な具体例しか出せない。井戸端会議の噂話のように、卑近な具体例というのは話題に対して親近感を持たせるために必要不可欠な要素だが、こればかりでもいけない。与えたい印象に合わせて使い分けることが重要だ。

 コメント欄を見ていると、原因ぽいものがあげられていた。”自分のことを聞いてもらいたい”これに尽きるんじゃないだろうか。喋り方・伝え方を勉強するべきだ、返答時に否定から入るな、といったテクニックはもちろん有効だろうが、もっと本質的な部分は相手をカウンセラー代わりに使ってしまう性根だろう。とにかく普段から考え事をしていて、その複雑な過程を含めて聞いてもらいたい・普段時間を掛けていること(読書・思索・悩み)を無駄にしたくないという欲求。これ本当にあります。でもこれは、まるっきり駄目な方向性ってわけじゃないと思う。率直に言うと思索を終着させる&他者に伝える努力が足りないだけだ。

 芸術論とかにも同じような話題がある。表現主義だ。芸術というのは伝わらないと意味がないとか、それって大衆に迎合して自らの表現を歪めることとは何が違うのとか。そういう話。思索を終着させないという欲望は絶対にあると思う。美しいと感じる複雑性を解体せずにそのまま享受するのは心地よい。しかし、せっかく人間社会に生まれ落ちたのなら他者とのコミュニケーションを活用して己の思索を還元してみようじゃないか。
 

思想家を名乗るために必要なモノ

 多くを考える人にとって、コミュニケーションは難しい、というかむずがゆい。この挑戦者も言及していたように、情報が失われるのが不快なのだ。結論に到達するまでの思索は自らの経験に根差しているので、他者にとっては共感しづらい。しかし他人に伝えるためには、共感が最重要事項だろう。完全に共感できないワードで構成された文章は、理解できない。

 「将来就きたい職業は?」という質問をされたとき、まず「UIデザイナーになりたい」などと答えておき相手にボールを返す。そこから相手の興味に合わせて思索の行程を切り取り理由として付け加えていくのが円滑だろう。相手の興味を常に察知して、適応する話題に舵を取り続けるのが無難だ。しかしこの会話方法が面白いかどうかは別だ。相手の想像力の地平面上に無いワードを放りこみ、面白い論理をつけて話すのもいいと思う。この時重要なのは、本当に信じている論理じゃなくても面白けりゃいいということ。ここで面白い嘘をつけるかが分水嶺だと考えている。

 自分はこの先「なにをされてる方なの?」と振られた際は目を見据えて「思想家です」と返答し、ビビらせてやろうと目論んでいる。これは別に嘘でもなんでもなくて結構本心なのだが、一般的に職業を答える場面で思想家という哲学的スタンスを答えるというのは相手との心理的共感性を失ってしまうデメリットがある。虚を突かれたとき、相手は困惑して聞くモードに入る。漫才でのボケツッコミのように相手が一瞬でツッコミに回りキャッチボールが再開すればいいのだが、たいていの人はそこまで気合い入れて会話していないので難しいだろう。そこで思想家かつ変人というレッテルを貼られた私に説明責任が生じるのだが、ここで言いよどむようではダサい。というか怖い。自分はあなたの理解できる言葉で思考をし、そのうえで思想家という返答にたどり着いたのですよとアピールしなければ、話の通じない奴or思慮の浅い奴として認識されてしまう。よそいきの自己紹介を本気で考えたい。

After Effectsのすすめ

 モーショングラフィックスを簡単に作れちゃうAdobeソフト、AfterEffectsをすこし触っている。アニメーションを創造するのって面白い。それに加えてAfterEffectsという存在が更に面白くしている。

 イラストをたくさん描いてパラパラ漫画みたいに作成する方法では、まず表現したい内容がありき、それを技術で再現するっていうフローだと思う。AfterEffectsでも基本的にはそれと同じだ。頭の中で面白い動きを想像し、それをいかに正確に再現するかの勝負。しかし、発達したソフトウェアは計算機としての能力も強力だ。

 シェイプレイヤーという概念がある。線幅や大きさ角度など、その他膨大なプロパティを内包する図形を組み合わせ、数値の変更によって形を変える。この数値を、時間と対応させればアニメーションとなる。0フレーム目でサイズを0に、10フレーム目でサイズを100と設定すれば、10フレームかけて膨張するアニメーションを一瞬で出力できる。ここで設定できるプロパティは膨大なので、ほとんどの場合は想像と異なる結果になる。再現したい動きがある場合はこれを修正するという流れなのだが、逆にこの結果からインスピレーションを受けることが多い。

 コンピュータがなければできなかったアプローチだ。発想力に乏しい自分でも、これなら試行錯誤ができる。労力に対して、面白さが勝っているというほぼ娯楽のような創作活動ができちゃう。本当にみんな遊んだほうがいい。
自分は結構心霊系の映像とか写真が好きなのだが、実際にどう作っているかは知らなかった。どうやらAfterEffectsには合成・トラッキングの機能が豊富らしい。

トラッキングと合成、これさえあればいける!希望が見えてきた。

英語史で解きほぐす英語の誤解 堀田隆一

ゆる言語学ラジオで登場された堀田隆一先生の著作を読んだ。英語史で解きほぐす英語の誤解というタイトルだが、そもそも英語に明るくない自分としては誤解も何もなく、オモシロ事実が飛び出てくる言語的啓発本といった感想だ。印象に残った点をまとめておく。

・インドなどで英語が準公用語として扱われているのはIT産業の側面かと思っていたが、母国語が2つ以上ある国で一方に肩入れするのを避けるため、植民地時代に使用していた英語を両者の仲介者として使用している消極的リンガフランカである。
・英語にはもともと格・性・単複による屈折が多かったのだが、だんだんと消滅していった結果偶然三単現のsが残った。三単現が特別視される理由はない。
・屈折が消失した結果、語順によって意味が決まるようになり、語順が文法の中で重要視されるようになった。日本語には格助詞(を、は、が)があり、名詞の後ろにくっついて屈折のような役割を果たす。この名詞+格助詞がツーマンセルで移動する場合、語順が適当でも伝わるということ。私は/あなたが/好きだ→あなたが/私は/好きだ or 私は/好きだ/あなたが。これは古英語に似た特徴だ。現代英語でI love you をyou love Iにしてしまうと、Iがmeになっていない点で疑義は残るものの、youが主語だという解釈がメインとなるだろう。語順が重要なのだ。
・aをアでなくエイと読むようなことは1400-1700年代に起こった大母音推移がきっかけ。それまではつづり字で読んでいた。
・英文法が厳格に定められるムーブメントは建国と同時に興った。その際に学者がいろいろと決めたことがスタンダードになっている。

いやー、めっちゃ面白い!紋切り型の英語教育を受けてきた人間はみな、英文法などを暗記100%であるかのように語り、その成り立ちを考えることは少ない。しかし英語はかなり多くの人間によって手を加えられてきた歴史があり、無の空間に自然発生したようなものでは決してない。その歴史の一端に触れることで英語に対する親近感が芽生えた一冊でした。


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