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自分の心の声と他人の意見、どちらを聞くべきか。

「これで、いいでしょうか?」

デスクに手をつき、体を起き上がらせ、上司を呼び、確認を求める自分。

上司と肩を並べながら、「伺う」というのは、「司る」のとなりに人がいて、まさに今の自分がその漢字を体現しているな...。
なんて、俯瞰的に冷めた視点を持ちつつも、自分がこれでいいのかは、分からない--。

今まで仕事上で、こんな小さなことを上司に伺うなんてことなかったのに...なのに...

・自分の声を後回しにしていた

そんな職場での光景と抱いた感情が思い浮かんだのは、#Kemioの耳そうじクラブ の 藤原しおりさんゲスト回でブルゾンちえみ時代の話を聞いたからだ。

"右も左もわからないときって、やっぱり人の意見を聞こうとするじゃない。スタッフさんだったり、事務所の人だったり、あとファンの人の声だったり"

そうやって聞いていくと当然、後回しになるのは...

"でも本当一番聞かなきゃいけない、自分の声っていうのを後回しにして、一番最後に聞くことになっていたんだよね"


・私、何が好きなんだっけ?

数年仕事をしていたのに、なんでこんなことを伺っているんだろう...。

冒頭の場面でそう思った時に、1番先に思い浮かんだのが、自信とやる気の喪失でした。

これまでは、

こうしたら良いはずだ!
これが良い!

と自分で積極的に判断をしていました。なぜなら自分が良いと思うから、よりワクワクするから。

ただ、仕事への熱意がそれほどではなくなると、自分の考えに対しても、気付かぬうちに
「自分はこうです」という意見の表明ではなく、
自分は...これでいいんでしたっけ?」になっていたんです。

いや、気付かぬうちに、と書きましたが、「他人が満足しているならこれでいいんでしょ」と考えて、楽をしようと自分の気持ちに気付こうとしなかった、というのが正しいのかもしれません。

そうして藤原しおりさんが言っている、まさに以下のような状況に陥っていました。

"右も左もわからぬ頃って、スタッフさんがこういっている、事務所の人はこういってる、ファンはこう言ってる、こういうものを求めてると思ってそっちに合わせていく、そっちに耳を傾けていてある時に。私、何が好きなんだっけ?って"

私、何が好きなんだっけ?。
自分も気づけば、自分が何かをすることに対しても自信とやる気を失っていたんです。
だから、自分のすること、したことに対しての感情も、文字通りの疑問符が語尾につくものばかりでした。

こういうことをすれば良い印象になるかな(?)

これだけやれば、後々面倒くさいことにはならないかな(?)

こうすれば怒られないかな(?)

その感情の向かう先に、自分は、いませんでした。

だから、自分に自信を持ちましょう。とか、そんな単純で前向きな文字列を、自分自身にプログラミングしてOSを変えられるほど、このれいすいき(筆者)という人間は効率よくできていません。自分がマイノリティという意識があるからか、感情のコントロールも少し複雑になってしまっているようです。

でも、たしかに自分の心の声を大切にしなきゃなー、と思いながら、
なぜか記憶から蘇ってきたのが真逆にも思える西原理恵子さんのこんな考え方でした。

・自分にこだわっても誰も喜んでくれない

エロ本でプロの漫画家人生をスタートさせた西原さんの、自分のやりたいことと他者からのやって欲しいことの関係を見つめる目はどこまでもシビアです。

"私なんか芸術もクソもなくて偽札刷ってるような感覚で絵を描いてますから。「私はこうだ」っていうのがないから、エロ本時代から「こういうのお好きでしょ」っていう。 エロ本から一流雑誌まで幅広くずっとやってきたんですけど、「この雑誌にはこういう感じがよろしゅうございましょう」という空気はすごく読みます。 そんなときに自分の芸術にこだわってたって誰も喜んでくれませんから。やっぱり商売人としてお客さまのニーズに応えるっていう"

西原理恵子『最後の講義完全版 女の子の人生で覚えていてほしいこと』(2020) 主婦の友社

自分の才能を見極めるのは究極的には他者で。だから、そのニーズに答えるのが商売人、プロとしてあるべき姿というわけです。自分の「これがしたい」というこだわりは、誰にも喜ばれないとバッサリです。

西原さんの他のインタビューか何かで、「向いているものは自分ではなく、他人が見つけてくれるもの」という趣旨の発言もあったように記憶しています。
西原さんの考え方は、自分の良さは市場=マーケットが決めるという考え方とも言えるかもしれません。

たしかに需要がないところに対して、何かをやろうとすることってアンバランスで(勝手に上から目線ですいません)もったいなく感じたりするので、言っていることは分かるんです。

ただ、どこか少し共感できないのは、なんでだろう...

と考えていると、行き着くところは、
需要=他者の意見 への捉え方の違いなんじゃないかなと思うんです

どういうことか。
順を追って説明します。まずは自己紹介からさせてください(←今更)

・自己紹介(省略可)

私、れいすいきは他人に対して恋愛感情を抱くこともなければ、性的に惹かれたなーという経験もない、そんな人生を歩んできました。
性別は男で、20代後半。男性にも女性にも恋愛的な感情で「好き」と思ったことはありません。
そんな私はアセクシャル(Aセクシャル、ace)なんじゃないかなーと自分自身を定義しています。(今まで恋をしたことがない、恋愛感情が薄いグレーAロマなのかなとも思ったりしますが、詳細は割愛します)

・マイノリティフィルターを通した他人の意見

え?こいつ、いきなり自己紹介したけど、
何か関係あるん?って思ったと思います。
実はあるんです。というか、なければしてません。

前述のアセクシャルは100人に1人くらいの割合でいるといわれています。アセクシャルは大雑把に言ってしまえば、いわゆるマイノリティに属する種類の人間だと思います。
そしてアセクシャルの方々は自分も含め多かれ少なかれ、他者から恋愛や結婚を前提とした意見を言われ、困った経験があります。

なんで彼女いないんですか?
彼氏欲しくないの?
いつか好きな人できるよ
まだ恋愛したことないんだ、かわいそうに。

なんていうような言葉で。
ですが、アセクシャルという言葉を知り、そういった言葉も聞き流し、場合によっては少し反論できるようになりました。それはアセクシャルという言葉に支えられ、「自分はおかしくないんだ」という自分の心の声を手に入れ、自信を得たからです。100人中99人の他者に喜ばれなくても、自分は存在していける、そんな自信を手に入れています。

これ、裏を返せば、アセクシャルは、その単語を知るまで、他人に喜ばれようとその意見を聞きすぎてしまっていたということにもなります。

他人からの意見に、自分はおかしいのかな?と自問自答を続ける。そんな人は少なくないと思います。少なくとも自分は自問自答を繰り返して、ひとり試験対策、受験生状態でした。

そういう苦悩の末にたどり着いた1/100のアセクシャルという可能性。

そのひとつの答えは、同時に99/100に対しては「わかってもらえるはずない」という考え方にもなりうります。
99というのは言い過ぎにしてもマイノリティの私たちに対する他人の意見は必ずしも好意的ではない。少なくとも共感をしてくれるものではなく、むしろ自分を苦しめてきた憎き存在だ。なんて思えてくる...

他ならぬ自分にそんな感情がありました。
だから、西原さんの他人のニーズに応えるを実践しようとすると、どうしても自分の心の声を無視して、他人の意見に苦しめられる自分の姿が浮かんでしまうんです。

他人の声を無視するのは、独りよがりになって、自分自身がマジョリティーの横暴さに気づかず乗っかっていたということになりかねません。なので他人の声をシャットアウトするのは、もちろんしたくないと思います。

ただ、他人の声に苦しめられたマイノリティが他人の声に自分を委ねすぎるのも、自分の抱いた自己喪失感からすると、あまりオススメできません。なぜなら、他人にあれもこれもと委ねるとマイノリティの自分を認めづらくなっていくからです。

これまで他人の声を聞きすぎるくらい聞いて苦しみ、マイノリティを自認しているのであれば、他人の声に対して意識的ではあるはずです。多数派を知らなければ、自分の希少性にも気づきません。

むしろ他人の声を聞きすぎてしまい、聞こえてこないはずの他人の声を自分の中に作り出してしまっているのかもしれません。

自分の場合は、他人からそう言われてなくても、自分の中の自分(超自己)がたまに現れて、他人を演じながらこんな感じで語りかけてきたりしてきます。

自分の本当の気持ちって何?
自分は何かを損しているのか?
自分は未熟なのか?
これが幸せと言える状況なのか?

自問自答に自分の心の声はかき消されます。
そうして自分は他人が望んでいるであろう(と勝手に自分が考えている)自分を演じていました。

なお、アセクシャルの方々が自分自身を問いながら、差別してしまうことについては、この動画に詳しいです。心理学的アプローチ、素敵...!
https://youtu.be/RoL_LyShP3I

自分の声はあった


ただ、この文章を書きながら、自分の心の声に耳をすますと、小さいながらも「こうしたい」「これはしたくない」という内なる声が聞こえてきました。

あったんです、声は。周囲の声にかき消されていただけで。

だから今は、分かってもらえない他人におもねるより、自分の心の声を信じたいと思うようになりました。そして、自分に聴診器をあてて調べ、自分の意思を少しずつ取り戻している状況です。

危うく、自分を他人のために演じ続けるところでした。

実は先述の西原さんはマーケットに自分自身を委ねながら、自分の心の声を強く持っています。最後にその信念を紹介してこの文章を終えたいと思います。

"人生のかじ取りとか決断を人に任せると、何かあったときにその人が憎くなってしまう。自分で自分の幸せを手に入れるためには多少のウソもあり、逃げもあり。真正面から行かない、弱いところでは戦わない"

西原理恵子『最後の講義完全版 女の子の人生で覚えていてほしいこと』(2020) 主婦の友社


#Kemioの耳そうじクラブ
#スポンジになってみた
#アセクシャル

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