性犯罪、プチエンジェル事件、援助交際の被害と国際結婚

K-1

失われた30年では日本は様々な分野で変化がありましたが、一定の年齢よりも上の人は私を含めてそういった変化をリアルタイムで見てきたものです。例の一つとしてK-1を挙げますと、K-1とは今年から遡ること31年前に石井和義によって創設された格闘技イベントであり、K-1のKとは空手、キックボクシングなどの格闘技を指し、K-1の1はそのナンバー1を決める大会というのが設立のコンセプトとされてますが、明らかにF-1をもじったものでしょう。K-1は体重無視の大会で白人選手が日本人選手をボコすことが恒例で、見ている人に「白人選手が世界ナンバー1」という印象を植え付けることを目的とした側面はあったでしょう。つまりK-1のネーミングの由来からもF-1におけるフォーミュラマシンのようにK-1の白人選手は世界最強なのだという意味が込められていたと見做すこともできそうです。しかしその実態は多くの白人選手は薬漬けだったことが知られており、そもそもそのようなことを意図とした団体だったならドーピングなどし放題でルールやレキジュレーションなどあってないようなものだったのでしょう。

私などはドーピングに留まらず八百長も行われていたのではないかと見ていますが、その試合を一つ上げるならミルコ・クロコップとボブ・サップの対戦で、サップは元々アメフト出身で格闘技はアマチュアですが、白人のようなウスノロがリング上で黒人と殴り合うことの意味をどう考えていたのかです。しかしこの試合では1R1分40秒にミルコの軽い左ストレート一発でサップはKOされており、それもサップは眼窩底骨折をしていたようです。ボクシングなどでは安全のためにグローブはK-1や格闘技などと比べると厚いものということもありますが、パンチを貰いすぎて脳出血に至ることはあっても顔面を骨折したという事例はまず聞いたことかありませんし、K-1よりもグローブの薄い総合格闘技でも同じく顔面骨折という話はまず聞きません。であるからこそ選手は脳への後遺症のリスクを承知した上での薄いグローブとなっていますが、ミルコ対サップの事例のように軽いパンチ一発で眼窩底骨折するようなことであれば危険すぎて競技としては成立しないでしょう。

ですのでボブ・サップとしてもミルコのグローブに何か仕込まれているのではないかという抗議を即座にして調べてもらうことも出来たはずですが、それをしなかったということは要するに「買収」されていたのではなかろうかと。以下、件の試合。

後述しますがユダヤマネーは様々なところに使われており、本当に我々の身近にも知らないうちに魔の手が伸びてきたりしていますが、それがどのような目的のために使われているかです。

さておきミルコが買収されないガタの黒人格闘家と殴り合うとどうなるかという試合がこちら。

一体どういう了見でインチキ試合しかしたことのない白人が黒人とガチで殴り合おうと思ったのか不可解ですらありますが、結果は当然このようなものです。ドーピングさえしておけばなんとかなるくらいに考えていたわけでもなさそうで、多少の対策は打っていたようですが、それがどうやら「相手のパンチが飛んできたら両腕をスーパーマンのように伸ばしてガードする」作戦だったとしか思えない。倒された左フックの入る瞬間を見れば分かるように実際にパンチが入るタイミングで両腕を上げ始めてますが、同時に左ハイキックを準備しているようにも見える。だがどちらも全く間に合っておらず、両腕は完全にランデルマンの左フックが入った後に高々と上げられ、もちろん左ハイキックなど間に合うはずもないでしょう。

画像で見ると⑤あたりで両腕が完全に宙に伸びてますが、もうKOパンチが入ってしまっている後でした。

2004年にK-1で行なわれたミルコ・クロコップとケビン・ランデルマンの試合キャプチャ

両腕を突っ張って相手のパンチを防ぐという戦法というものは割と多くの試合を見た私でも初めて見たもので、腕を突っ張るのではなく腕で顔をガードする方法ならヘビー級ボクサーのジョージ・フォアマンがよくやっていた方法ですが、それも12Rという長くてハードな試合をする上で相手からのパンチによるダメージを減らす意図であり、それ以前に急所には当てさせない技量があって成り立つ戦法です。にもかかわらずKOパンチが完全に入った後で両腕を伸ばすような技量でこの試合に臨んだということは、ワンチャンを狙ったという博打でしかなかったということでしょう。

K-1は1993年に設立されましたが、実際に全国放送がなされるようになって知名度を得たのは主に2000年前後からでしょう。その後は近年まで大晦日には必ずと言っていいほど興行と放送が行われてきたことは多くの人の知るところと思います。というように様々なことが変わり始めた起点が30年前としても多くのことを見るようになったのは実際には20年前という二つの起点があるように思います。

アダルトビデオ業界

以前からアダルトビデオ業界では2000年前後を境にして業界に携わる人達が全体として入れ替わったような印象を持っており、私は独身だったこともあってポルノを自慰行為に利用していたことを白状せざるを得ませんが、それでもレイプものなどには全く興味がありませんでした。といいますのも日本人男性はヤサ男だとか言われたりして、これもあまりいい話ではありませんが東南アジアなどの売春街では「日本人はお金をくれることと嫌なことをしない」といった評判があって客としての評判は悪くないということを聞き、基本的に普通の日本人は大人しくあまり女性に加害的ではないというのが定説ではないかと思いますが、そういったところは私にもあり、自己弁護というのか自己演出のように取られるかもしれませんが、なぜそうなのかは「女性が嫌がるところを見ても嫌な気持ちにしかならず、逆も然り」ということを文脈上どうしても書かざるを得ません。多くの普通の日本人にはそういったところがあり、それが失われた20年以前の日本のアダルトビデオ業界にはレイプものは殆どないか、あっても演技と分かるソフトなものだったという理由でしょう。

ところが2000年前後を境にして本当に悪質なレイプものや女性に対する配慮や思いやりに欠けたものを多く見るようになりました。それもそういったリリースがマイナーなところからなされるというわけでもなく業界の大手からして以前とは女性に対する扱いが変わったものでした。そういったところはマイナーなところではより顕著で、2002年には「株式会社バッキービジュアルプランニング」は女性に鬼畜行為を加えるアダルトビデオメーカーとして設立され、最後には事件となりました。本当に胸糞でふり女性は見る必要も知る必要もないと思いますが、周知のためにも2000年前後にそのような会社が興されていることは書き残さなければなりません。

援助交際(援交ものビデオ)

ウィンドウズ95や98の時代にはソフトウェアの入手方法は知人や友人からコピーをもらうという方法が巷ではごく普通に行われていました。当時のソフトウェアはまだアクティベーションといった仕組みもなくコピーし放題だったことで正規品を買うのではなく皆でコピーをシェアしあうという時代でした。その是非はともかくとして、シリアル番号の必要な製品ならそれが分かりさえすればインストールが完了して使える状態となったことで、様々なソフトウェアのシリアル番号を網羅した「シリアル集」なるものも出回っていました。「ファイル共有交換ソフト」は当初はソフトウェアやそういったアングラ情報をやりとりするためのツールとして多くの人が使っていましたが、私もおそらく時効と思われWinMXというツールを使っていたことを自白しますが、とにかくそういうアングラなことが許容される時代でもありました。しかしソフトウェアの不正利用については2001年発売のウィンドウズXPを皮切りに初めはマイクロソフト製品からアクティベーションが必須となり、そこから他の主要なメーカーも不正コピー防止のためオンライン認証が一般的になりました。ファイル共有ソフトのWinMXは2001年に開発され、似たような仕組みのファイル共有ソフトとして「Winny」がありますが、こちらはユーザー間の通信を暗号化したことで、どのような情報やファイルがやり取りされているのかを当局が掴みにくくなったことで逆鱗に触れ、開発者が逮捕されるに至ったことを覚えている方も多いかと思います。そういったこともありWinnyは次第にリスクの高いものと認識されるようになりましたが、WinMXは摘発を逃れはしたものの共有ファイルが外部から丸見えという事情もあってソフトウェア会社から接続者している者に直接警告が届いたりするようになったことで依然として不正コピーが出回っていたなかでファイル共有ソフトでソフトウェアを共有することは廃れていくようになりました。コミックをスキャンしたものなども次第に風当たりが強くなっていきましたが、アニメ作品やポルノはその後も取り締まられることなく共有される状態が続いたようで、敢えて「見逃されていた」ところはあったのかなという感想。つまり当時を知る者としては、ポルノの共有で逮捕や立件されたという話は最後まで聞かなかったことで、ファイル共有ソフトではポルノを共有して無料で見ることには目を瞑るという権力側の思惑があったのではないかという感想を持ってます。その「権力」とは何かですが、日米合同委員会は日本政府も公式に存在を認めている会合で、そのルーツは戦後にまで遡りますが、簡単に説明するなら当時表面化しつつあった西側と東側の対立構造において将来に軍事的衝突が起きたときに、当時はまだ警察予備隊だった後の自衛隊の指揮権をアメリカの下に置くという密約で、これはもっと広義には「日本を赤化させない」という意味を含み得るものである以上、自衛隊の指揮権のみならず共産主義者を監視したり追放するための警察権などの司法にも食い込む介入ではないかということは既に多くの人の気がつくところとなっているのではないかと思いますが、とにかくそのように「日本を赤化させない」という理由のために生活に深く根差す司法権までアメリカに引き渡したもので、その結果どのようなことに悪用されるようになったかということは安倍晋三をヨイショしていた山口敬之の逮捕と起訴が握りつぶされ、アメリカで別の就職口を斡旋されていることからも凡その想像はつくものと思います。要するに一部のアメリカ白人はよほどのことでない限り逮捕されないという「不逮捕権」を持っている/持っていたと考えられます。ですので後述しますように日本では未成年者が性売買に供されたプチエンジェル事件などが起こりましたが、実行犯は自殺という結果になりましたが、それを利用していた者には顧客リストから捜査の手が及ぶこともなく捜査は打ち切られ、闇に葬られたようです。といったことからも日本における性犯罪のみならず、そのような未成年者の性売買にも白人は関与していた(証拠はないが状況的にという意味で)と見て問題はないでしょう。私が直接見たことで知っていることは、援助交際もののビデオもやはり2000年前後を境として多くがファイル共有ソフトで交換されるようになりましたが、このようなことを書くことで傷つく人がいることを思うととても書き辛いことではありますが、どのようなことが行われてきたかを書き残す必要があります。

援助交際ものでは女子中高生と思われる年齢層の少女が被写体となっていましたが、なかにはどう見ても嫌々応じざるを得ない状況であることが分かるものも多くあったことで、どのような経過でそのようなものに出演しなければならなくなったのかを訝ったものです。お金を稼ぐために自ら希望した少女もいたのかもしれませんが、多くの場合では少女は悲しそうに見え、行為中に涙を流すところを見たことも一度や二度ではなかったです。その年齢層の少女に絶対的な権限を持つ存在は両親しかおらず、嫌々出演せざるを得なかった少女もいたということは、金銭を対価にビデオへ出演することを強要されていたのではないのかということを今になって思います。親に売られた現場が援交もののビデオには記録されているのかもしれない。信じ難いような話ではありますが、多くの事例からユダヤマネーがどのように使われてきたかということを考えると突拍子のない話でもないです。アダルトビデオ業界では本当に夥しい数のポルノがリリースされていますが、無料で見られるネット動画が発達した現在で、それらがどれだけの売り上げを上げられるのかと考えると彼女達に支払われる出演料の出どころは謎でしかなく、業者は利益を上げるというよりもポルノを作ること自体を目的としているのではないかと思うほどです。

ではなぜそのような必要があるのかということですが、様々なことから白人は日本で性犯罪を増やそうとしてきたことは直接的な証拠を示す形でなくとも、様々な状況から明らかと思いますが、そのような被害に遭った女性がその後も普通に生活をして恋愛をして結婚を出来るならまだ救いはありますが、日本は30年間所得が上がらないままに物価だけ上がってきたように経済的には30年前の水準と比べて後退しており、日本人男性を見限って国際結婚に望みを託す女性もいるのではないかということ。むしろそのために、混血のために白人は日本でそのようなことを権力を悪用してやってきたのではないかという疑いを持ちます。つづく。

プチエンジェル事件

プチエンジェル事件はちょうど「バッキービジュアルプランニング」の設立された2002年前後に行なわれていたと思われる未成年者を売春に斡旋していたデートクラブ経営者の起こした事件で、

2003年平成15年)7月に東京都赤坂にあるウィークリーマンション一室で起きた、小学6年生少女4人が誘拐監禁された事件

Wikipedia「プチエンジェル事件」

事件名ともなっている「プチエンジェル」とはその児童買春デートクラブの名称または会社名とのことです。

詳細はWikiに譲るとして、プチエンジェルの運営に関わっていた人物は事件発覚後に自殺した実行犯だけではなく他にも複数いたと思われますが、それらに捜査の手が及ぶことはなく、そして押収された顧客リストからは多数の利用者がいたことが分かっていますが、その中には当時の大物政治家や大物プロデューサー、財界人なども含まれていたことで警察内部ではタブー視されている事件なのだそうです。

以下、ヤフー知恵袋の回答文を全文引用します。

警察にとってはタブー視されている事件の1つです。 まずは事件の概要を書きます。 この事件は、2003年7月13日に起きた幼女誘拐・監禁事件です。犯人は渋谷を拠点に少女を勧誘して集めた少女に、デートクラブと称した売春クラブで働かせていました。 新宿や渋谷には家出少女が多くたむろしている場所であり、少女を集めるにはもってこいでした。被害者となる少女もよく渋谷あたりで遊んでいたようです。 7月の上旬のことでした。そんな少女に1人の男が声を掛けてきたのです。 それが犯人である、吉里弘太朗です。 幼少の頃は裕福な家庭で育ったようですが、後に進学した東京芸術大学では、複数の女性と付き合いヒモのような生活を送っていたそうです。 大学を卒業し、2年程ホストのアルバイトを経験した吉里弘太朗は、非合法な人妻デートクラブを始めます。しかし、もともとロリータ癖のあった吉里弘太朗は、自らデートクラブ『プチエンジェル』を開業し、莫大な利益を得るようになっていきます。 翌日の7月13日、少女たちは地元の京王線稲城駅から渋谷に向かいました。 同日の10時ごろに渋谷駅に着いた少女たちが約束のモヤイ像前に行くと、そこに犯人の吉里弘太朗が待っていました。 吉里弘太朗は柔和な表情で少女たちに近づき、「部屋の掃除をしてくれたら1万円あげるよ」と持ち掛けます。こうして少女たちは、吉里弘太朗が連れて来たもう1人の男と一緒に、犯行現場となる赤坂のマンションへと向かいます。 少女たちは、タクシー2台に分乗して犯行現場となる赤坂インターナショナルプラザへと向かいました。そして少女たちが部屋に入いると、いままで温厚だった吉里弘太朗の態度が豹変します。 少女たちに向かって「どうしてここに来たか分かるよね」と言って、スタンガンを持って少女たちを脅し、手錠を掛けそのまま部屋に監禁してしまいます。 少女たちには逃走できないように、用意しておいた20リットルのポリタンクなどを取り付け、2人ずつ別々の部屋に監禁しました。 同月の16日の深夜から17日未明にかけ、犯人の吉里弘太朗が自殺します。監禁されていた少女たちの1人が手錠を外すことに成功し、他の少女たちの手錠を外そうとしました。 しかし、どうしても外すことが出来なかったため、少女だけで監禁されていた脱衣所を出て、裸足のまま部屋を飛び出しマンションに隣接する生花店に逃げ込みました。 少女から事情を聞いた店員は、直ぐに警察に通報します。こうして残っていた少女3人も無事に保護されました。 犯人はというと、自殺をしていました。 このプチエンジェル事件で最も不可解と言われるのが、犯人の吉里弘太朗の自殺です。吉里弘太朗は椅子に座ったままの状態で周りにビニールテントを張り、目張りをして空気が漏れないようにしています。 そのうえで、足元に練炭と七輪を2つ置いて火を付けています。死因は急性一酸化中毒だと警察は発表しました。 しかし、この自殺については不可解な部分がいくつかあります。その一つは、締め切ったビニールテントの中はかなりの高温になるのに、吉里弘太朗に火傷の跡が全く見られなかったことでした。 事件は少女たち全員の保護と犯人の自殺ということで、一旦は解決した事件ですが、デートクラブ『プチエンジェル』についての謎は残ったままでした。 『プチエンジェル』は無店舗型であるため、その実態を掴むことは困難です。 では、この非合法なデートクラブを誰が運営し、どんな人物が利用していたのでしょうか。 件の本丸ともいえるデートクラブ『プチエンジェル』は、吉里弘太朗が主になって運営していた非合法の未成年デートクラブでした。 クラブは会員制で、年会費が60万円、未成年との性行為で5万円が相場だったと言われています。経営者の吉里弘太朗の取り分は中学生・高校生で1万円、小学生が3万円だったようです。 何人の少女たちが働いていたのか、その実数はハッキリと分かっていませんが、2,000人とも言われる会員を考えると、相当数の少女たちが在籍していたと考えられます。 今回の事件では、押収された名簿に誰が載っていたかも大きな関心を呼びました。警察は顧客リストを公表していません。 リストは偽名であり、捜査は難しいとして摘発に動きませんでした。 しかし、吉里弘太朗名義のアパートからは、1,000本以上のビデオテープと2,000人以上の顧客リストが押収されています。 このテープとリストを使い追っていけば、この事件に関わった人物の特定も可能なはずです。しかし、マスコミや警察も沈黙を続けたままでいます。 顧客リストには、当時の大物政治家、そして現在も活躍している大物芸能プロデュ―サー(名前も特定されています)、財界人、そして皇族の名前もあったそうです。 事件起きてから2か月が経った9月に、この事件を取材していたフリージャーナリストの染谷悟さんの遺体が、東京湾に浮いているのが発見されました。 染谷悟さんが死亡する前に、自宅から事件の証拠と思われるカメラやパソコンが盗まれる事件が起きていました。 染谷悟さんが『プチエンジェル事件』を追っていたことから、事件との関係が疑われましたが真相は今も不明のままです。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12245572497

それにしても実行犯とされている吉里弘太朗の死に不審な点があったところ、この事件を追っていたジャーナリストが不審死を遂げていることなど事後のことまで含めると不審な点の多い事件だったようで、警察も捜査から手を引いたことで背後でどのような権力が関与していたかは想像に難くないでしょう。

このヤフー知恵袋の回答を信じるなら大物政治家も顧客となっていたということで、その大物政治家が警察へ圧力を加えた結果と直情的に考えたくもなりますが、上述のように日本の司法権は戦後に米軍を主体とする白人に引き渡されたと考えるのが妥当であり、白人の意思によって捜査が打ち止められたと考える方が説得力があるでしょう。

なお児童買春や児童ポルノに関する法律は事件を遡ること4年前の1999年に施行されており、具体的には通称「児童買春・児童ポルノ処罰法、児童ポルノ禁止法」というものですが、2003年の時点でこの法を適用することは可能であったことを追記します。そして「バッキービジュアルプランニング」の「プランニング」の部分ですが、これは菅野完が2018年頃に法人化予定としていた個人事務所名「プランニング企画」とも被ることを追記します。


「菅野完」「プランニング」でのGoogle検索結果

ではなぜ捜査を打ち切ったのかについてはいくつかの理由が考えられそうですが、その一つとしてプチエンジェル運営に関与していた日本人が、日米合同委員会の白人と何らかの形で関与していた可能性で、そのような規模の大きな児童買春、児童ポルノの事件に司法権を握る(と考えた方が合理的)白人が関与していたとなると大事でしょうから。他にも政治家や著名人や有識者も顧客となっていたことで、それらを脅迫したり逮捕することで社会的抹殺を謀ることも可能であり、というよりそれを可能にするポテンシャルを秘めた材料ですが、しかし太平洋戦争後に皇族が縮小されたように一定の皇族解体はなされたものの「日本国民統合の象徴」である皇室だけは残ったように、そもそも白人が全ての判断を下して実行できるわけではないという示唆が歴史から読み取ることが出来るでしょう。太平洋戦争では日本の都市の多くが焼野原となりましたが、例外的に京都への爆撃が小規模なものに留まり多くの歴史的建造物が残ったことは、やはり皇室が「日本国」と「日本国民統合の象徴」であることと無関係とは思えないものです。

なにしろ太平洋戦争当時のアメリカ大統領で、日系人の強制収容を強硬に推し進めたフランクリン・ルーズベルトの人種差別的価値観と言動からも当時の白人が日本人をどのように見ていたかは明らかです。以下WIkiより引用。

ルーズベルトの人種観、特に異人種間の結婚に対する考えは、現代的な視点から判断すれば基本的にはレイシズムに基づいていると言えるが、その上でもやや一貫性のないものである[56]。太平洋戦争会議(Pacific War Council)では、「人類は、均等な機会が与えられるのならば、うまく混ざるだろう。(戦後は[引用者註])我々が知っているような人種差別は軽減されて、世界の国々は人種のるつぼのようになるだろう」と語る一方で[56]、駐米イギリス公使ロナルド・キャンベル(Ronald Hugh Campbell)との私的な会話では、ルーズベルトは、スミソニアン博物館の研究者であるアレス・ハードリチカによる、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「人種間の差異を重視し、人種交配によって文明が進歩する」などと語り、「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」、「日本人が敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである」などとキャンベルに語ったという[56][57]
このような自らの人種差別的感情と、第二次世界大戦以前からのアメリカにおける日本人に対する人種差別的感情を背景に、1941年12月の対日開戦後には妻エレノアからの反対をも押しのけて、大戦中にアメリカ国内とアメリカの影響下にあったブラジルメキシコペルーなどの中南米諸国において、ヒトラーのユダヤ人強制収容と同様の日系人の強制収容政策を推し進め、自由を束縛するとともに財産を放棄せざるを得ない状況に追い込んだ。
さらに1944年6月13日には、アメリカの新聞が「ルーズベルト大統領が、フランシス・E・ウォルター連邦議会下院議員からレターオープナーを贈呈されたが、それが日本兵の腕の骨から作られたものである」と報じた。その後ルーズベルトは、レターオープナーの返還と適切な葬儀を命じている[注釈 20]

Wikipedia「フランクリン・ルーズベルト」

特に、日本人の頭蓋骨は「われわれのより約2000年、発達が遅れている」という見解を紹介した上で、「日本人が敗北した後は、他の人種との結婚をあらゆる手段を用いて奨励すべきである」などとキャンベルに語ったという部分は明らかに混血を進める意図を明言したものです。

それから、その前段の「インド系やユーラシア系とアジア人種、欧州人とアジア人種を交配させるべきだ。だが日本人は除外する」という部分はやや意味不明ですが、おそらく「日本人の頭蓋骨は2000年遅れているので白人の血を混ぜることで進歩するだろう、しかしその血は日本人にはあげない」という意味にも取れますが、こんなものは端的にバカじゃねーの?で済む話で、実際にフランクリン・ルーズベルトはクズバイデンやクズゼレンスキーやデーブ・フェラチオ・スペクターなどと同じ午年生まれですし、南米やフィリピンが白人と混血した結果どのようになったかは言うまでもないことでしょう。犯罪と貧困の連鎖です。今でこそ日本におけるハーフは優遇され優雅な生活を送っているのでしょうけど、それもこの先もずっと同じように優遇されるということは有り得ず、彼らはいずれ日本に厄災をもたらすようになるでしょう。芸能界では既に(人気のある)日本人の席を奪うことで経済的被害を与えており、そしてそのような性質を帯びる放送がお茶の間に届けられることで莫大な有形無形の被害を日本人に与えているでしょう。そのような理由も近年のテレビ離れの一因となっているでしょうけど、彼らはそんなこと関係ないとばかりにハーフや白人タレントを優遇することを止めようとしない。テレビ業界は広告収入が生命線ですが、日本が経済的に欧米と繋がっていることで広告を出す大企業などが白人の意向に反した行動を取りにくいということもあるでしょうから、将来的には日本は欧米の経済圏と切り離されて存在することが望ましいばすです。いずれにしても温暖化が加速していくことで現状の資本主義はあと50年も続けることは不可能となるでしょう。

頭蓋骨の話に戻りますと、むしろ白人の頭蓋骨は「進歩しているように」見せかけるために発達したとしか思えないところがあり、一言でいうなら「伊達」ということになりますが、実際に脳のMRI画像などを見ると白人のそれは多分にスカスカであり、その質もチンパンジーと大差ないことが分かると思います。その点アジア人の脳はIQからも緻密と思われ、特に千年の菜食と淘汰を経た日本人の脳は特別なものに変化していることすら考えられそうです。つまり脳の生育にはカロリーやタンパク質が必要ですが、それを十分に摂れないことで淘汰圧がかかり得るということです。アジア人は「book smart」と言われたりしますが、それもその筈で日本では歴史自体にはお上から掲示されたお触書を見て内容を理解できなければ生命にかかわるようなことも少なくなかったのではないか。

話をもとに戻し、白人は戦時中や、例え戦争に勝って占領軍として日本へ進駐したとしても、全ての判断を自ら行えるわけではない理由とはなんでしょうか。それは文脈上は突拍子もない言葉かもしれませんが「愛」という言葉を持ち出すなら説明は簡単で、「愛」とは物理現象とは異なり「時間逆行する不思議な力」というのが私の解釈ですが、

つづく