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子どもが教えてくれたこと2*無垢な優しさの力


HSCという概念に出会い、新たな視点での子育てが始まりました。それでも、変わらず毎日大暴れする2歳の娘とふたりきりで過ごす毎日は正直苦痛で、「いつまで続くのか・・・」と暗澹たる思いも根底にはありました。

そんなある日、HSCはその気質ゆえポジティブな感情も強く感じたり、物事を深く感じる傾向がありますが、それを実感したことがありました。娘が公園で芝生の上に座ってニコニコしながら

「おかあさん、ありがと」
「・・・おかあさん、ありがと」

と繰り返してくれたことがありました。もちろん、幼い子どもは覚えた言葉を単純に何度も繰り返したり、大人たちの反応が楽しくて延々と言い続けることがありますよね。

ですが、その日は何だか娘の雰囲気がいつもと違って見え、遠い空を見ながら、その自らの発する「ありがと」という言葉を自分で繰り返し噛み締めているようでした。その様子を見ながら私は、まるで大人の女性がそこにいるような不思議な感覚を覚えました。

この子の中には、まるですべてを分かっているような、すでに成熟した深い部分が確かにある。そう感じました。これはなんの根拠もない、あくまで私の体感・直感なので理屈では説明できません。

ですがきっと子供とは、本人も無自覚な、表現できない成熟した部分、人間としての奥ゆきをすでに内側に持ちながら、<子供という時代>を生きている人たちなのではないでしょうか。

その日を境に、私は自然と彼女の中に確かにある「成熟した大人の部分」を意識しながら接するようになりました。

突然の保育園入園と激しい登園拒否

私の意識が変わった為でしょうか、娘との生活が少しだけ落ち着いてきたように見えた矢先のことでした。引っ越し当初は入園枠の空きがなく、キャンセル待ち登録していた近所の保育園から、「空きがひとり出たので、急ですが半月後から入園いかがですか?」との連絡が。
急げば4月の新入園に間に合うというのです。

まさに渡りに船、勤務中の夫に連絡を取り、すぐに入園希望を出しました。
半分、夢じゃないだろうか?と思いながら、バタバタと入園準備を開始。なんとか無事に入園式を迎えることができました。

最初の2周間ほどは泣いて登園を嫌がる娘でしたが、ほどなく落ち着いたのを見計らって、今度は私の就活。運良くすぐに仕事も決まり、すべてが望む形となり、私は「やっとこれまでの苦労が過去になるんだ」と喜びに浸りました。

しかし、実際に入園してほどなく私は知ることになります。過酷な子育ては過去のものになったのではなくて、新たなフェーズを迎えただけなのだということを・・・

今思えば、HSCについて学んだはずなのに私の考えが甘かったのですよね。だって、HSCはその気質ゆえに「新しい環境が超苦手!」な子どもたちなのです。

多少の不安はありつつも、完全に油断していた当時の私。なぜなら、その保育園は週末の園庭開放などでよく連れて行っていたので、娘は入園前から先生や遊具にも慣れていたし、平日に保育園の前を通ると、私も遊んでいく!と泣いて暴れてしまうほど大好きな保育園だったからです。登園拒否が本格的に始まったとき、親にしてみれば
「大好きな保育園に入れたのに、いったいこれはどういうことなのか??」という感覚でした。

ですが、娘にとってはまったく違う問題で憤り、戸惑っていたのですね。朝は決まった時間に登園し、慣れない教室で先生や新しいお友達と1日の大半を過ごし、これまでの完全な自由はかなわない世界。家庭という自由な環境でさえあれだけ手こずってきたのに、保育園へ入った途端にニコニコ笑顔で通ってくれるような、のんきな娘では到底ありませんでした。束の間の夢から覚めたような、重苦しい空気の中に私はまた引き戻されていました。

新たな修行が始まった?

入園3ヶ月後から本格的に始まった登園拒否は、状態に波はありましたが結局1年半以上続きました。初めは目新しさもあり娘の気も紛れていたようですが、自分の置かれている状況の全貌が見えてきた時、彼女の中で「全力で拒否する」という判定が下ったのでしょう。

娘は朝食後からパワー全開で泣き暴れるようになりました。その中でなんとか着替えをさせ、荷物を準備し、登園時間のタイムリミットまで付くというハードルの上がり方。私は私で職場に遅刻できないという焦りがプレッシャーとなり、HSCの学びはどこへやら、気がつけば以前と変わらぬ対応(叱る、抑えつける、コントロールする)を繰り返してその場をしのごうと必死でした。
具体的には・・・

「全力で泣いて暴れるので着替えさせられない」
時間切れで仕方なくパジャマのまま登園、先生と着替える。

「泣きながら2階に逃亡、閉じこもる」
力づくで抱き抱え、荷物ごと担いで保育園へ。とにかく教室へ行き先生にヘルプをお願いする。

「成長とともに、力で抑えつけたり抱き抱えての徒歩通園が不可能になる」
車に押し込んでなんとかチャイルドシートにくくりつけ、保育園へ。保育園に着くと、今度は車から出たくないと泣き暴れるが、力づくで外に連れ出し教室へ。

今なら虐待グレーゾーン、本当にひどい状態でした(汗)。これを最盛期は毎日フルバージョンでこなし、会社につく頃には満身創痍、気力・体力ともにボロボロの私。それでもせっかく就いた仕事を手放したくなくて本当に必死でした。ふと気が緩んだときに思うことは、

『私、なんのためにこんなことやってるのかな・・・』

保育園の先生にも何度も面談して頂きました。最終的な解決方法は、娘が言葉で自分の感じていることを伝えられるようになること。脳の発達が追いつき、言葉でコミュニケーションできるようになるまで気長に待つしかないとのことでした。

さらには、「お母さんの『職場に遅刻できない』という焦りは娘さんに伝わって余計に状況をひどくするので、なんとか時間の余裕を持ってほしい」とも言われました。
(心の中では、そんなのムリー!出来るならやってます^^;)

本当に、我ながら呆れるほどひどい毎朝の登園風景でした。同じ年齢なのに、お母さんと手をつないでニコニコ登園しているお友達を見ると、このあまりの違いに愕然として、心底情けなかったし羨ましかったのを覚えています。

そして、臨界点はやってきた


ある日、いつものように暴れながらもなんとかたどり着いた教室で、私は上靴、かばんを放り投げて泣いている娘の着替えをしていました。
すると、娘が放り投げた上靴を同じクラスの男の子が取りに行ってくれて、「はい、〇〇ちゃんの」と私の目の前に揃えてくれたことがありました。

そのきれいに揃えられた上靴と、お礼を言おうとその男の子の顔を見た瞬間に、私の中ではりつめていた何かが完全に壊れました。

保育園の教室なのに涙がみるみる溢れ、慌ててハンカチで顔を覆い、抑えきれずに泣いてしまったのです。他の子供達の手前、なんとか込み上げるものを抑えて、先生に謝り、娘の支度を終わらせました。

ちょうどその男の子のお母さんが支度を終えて教室から出ようとしていた時で、私の涙を見て「そうだよね、辛いよね。」と涙ぐみながら声をかけてくれました。その優しさにも、私は涙で頷くしか出来ませんでした。

今思えば母親としては恥ずかしい失態でしたが、その朝の出来事は私の中でひとつのターニングポイントとなりました。

3歳の男の子の、靴を拾ってきて揃えて置いてくれるという、自然な優しさは、私を圧倒しました。子どもの無垢な優しさが、私が人間としての自然なあり方からずれてしまっていることを、ダイレクトに私のハートに伝えてくれたのです。

私が親としてまずやるべきことは、毎日泣き暴れる娘を力ずくで保育園へ連れていくことではありませんでした。、

何よりもまず、娘が抱えている混乱や怒り、本当の気持ち、心と身体の成長のズレにできるだけ寄り添ってあげること。言葉にならない思いを、汲み取ってあげること。

これを、職場に迷惑をかけずにどのようにやっていけばよいのか?一周回ってまた同じところに立っている自分に正直呆れもしましたが、ある意味身体を張って体得した学びとなりました。

<続く>
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本日も、お読みいただきありがとうございました。
皆さまの今日が素晴らしい日でありますように!
心を込めて。

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