突如始まる夜の部屋移動?とか色々。

2020年5月1日


おはようございます。5月1日金曜日、今日もradio sufi始めます。

昨夜、よくあるんですけども引っ越しをしました。家の中で引っ越しをしたんです。ピースガーデンには部屋が、お店とか作業場とか、cafe部分以外に3つお部屋があるんです。あと今、作りかけの外にあるあれは小屋でしょうか、一応泊まれるロフト付きのやつは作りかけですけども。もう少しでできるんですけどね。

その3つのお部屋、ひとつは元々私がレイキのサロンをしていたので、していたのでって過去形になっちゃってるね。あの、忙しくてなかなかそういう時間が取れないんですけど。カウンセリングだったり、セミナーだったり、ヒーリングだったり、時にマッサージだったり、そういったことをする仕事部屋にしていた場所と、さやちゃんと私が住んでますので、その部屋を使ってきたんですよね。

それで、3つあるうちの1つは、ほぼ手をつけてなくて、改装も全くあまりしてなくて、まぁ汚いままっていうか。。改装前のままっていうか。。天井だけは取っちゃったから付けたけど、床はもうすごい斜めで。例えば車輪の付いた椅子に座ってると、「アレー」って流れていっちゃうぐらい斜めなんですよね。苦笑

そんな感じの場所なんですよね。だから、ふたりでやっていく分には、必要としてなかったんですよね。

だけどそこへ、いろんな人がやってくるようになって、3年とか、2年とか、1年ぐらいとか、わらわらと人がPeace Gardenに住むようになったので、私はどんどん追いやられて、最終的には狭くて暗い、昼間でも電気をつけなきゃ暗い、とかいうレベルじゃなくて見えないっていうぐらいのところに、自分の書斎というか机を構えて、最後はそこでずっと仕事をしてたっていう。

昨日までそういう状態だったんです。

今年に入ってから、一緒に住んでた3人がmusuhiの方に家を作ってあげて、そちらに移ってもらったので、自分はいつでも移動できたんだけども。なかなか引っ越しとかそういうタイミングって大事じゃないですか、模様替えとかね。毎日、日々のいろんなことに追われていたら、なかなか自分自身のことってできないものです。つい人を優先してしまう。

なんかよく言われます。「あんたばっかり損してんでしょ。」うちの母親にはよく言われる。「いいじゃん、別に」とか言って。「別に、あるんだからあげてるんです」みたいな感じで、よく言われるんですよね。まぁでも時々、やりすぎちゃったなぁっていう時に「あ、なんか自分、なんでこんなみすぼらしい感じになっちゃってるんだろう」って、一番働いてるじゃんって思いながら。

この狭くて暗い机を、「もうダメだ、ここにはいられない」って思って一大決心をして、元々自分がサロンとして使ってた場所に今、移動してきて、今日は光が入ってるんです。この収録の場所に、すごい。ちょっと、見せられない様な場所で収録をしてました。それでも、周波数は守ってきたと思います。なぜなら、これも修行の賜物です。


昔、ジャスムヒーンさんのセミナーに行った時に彼女が言ってました。波動を高めれば、どんな汚い場所、例えばゴミを捨てる最終処分場とか。。

行ったことみんなないと思いますけど、私よく行くんです。なんでかっていうと、中富良野町に来てから人のゴミばっかり捨ててるから。すごい量のゴミを、人のゴミを捨てに行ってるんです。まぁ、カオスですよ、あそこはね。埋め立てなんです、中富良野町ね。いわゆる燃えるゴミって言われてるようなやつですね。テレビとかで見たことないですかね。カラスがワーっていて、足下はゴミがバーンって。まぁ、生ゴミは捨ててないから、匂いは生ゴミの匂いじゃないんだけども、すごいです、カオスって感じです。

そんな所にいても、自分の波動を守れるぐらいにならなきゃダメって言ったんですよ。「うわぁ、マジですか」って。まぁすごいですよ。でも、すごいって思っちゃいけない、「あ、ゴミです」と。ヴィパッサナーです。そこの修行の賜物になるわけです。

汚いっていう主観をくっつけない。

私たち人間に、汚いなんていう権利ないですよね。

ゴミ出してるの自分たちですから、なに言っちゃってんのって話でね。

物です、ただそこにある物として捉えるだけ、あるがままを自分の感情や主観をくっつけずに受け取るレッスンです。それができるようになったら、どんな場所でも、自分の周波数を守れると。

こんな修行の賜物で、そうやって暗くても狭くても、斜めで、床が斜めで足踏ん張ってないとダメみたいな所でも、うまく立ち回れるっていうね。自慢になるのか、なんなのかよくわかりませんね。苦笑

ま、そんな感じで引っ越しをしたんです。家の中で。引越しっていったら、私すごく大好きなんです。もう実家で若い頃過ごしてて、6畳の部屋を与えてもらってたんですけども、6畳しかないし、ベッド、机、置いたらそうそう動く場所ないのに、月に一回必ず模様替えをする癖があって。

それ必ず夜中に始まるんです。まぁ、夜ですね。ご飯食べた後とかに部屋戻って、「うーん、なんかこれじゃない、なんか違う」と思って、今の自分に合った状態にするっていうのを、6畳の部屋でちょこちょこやるんです。ベッドの位置、様々試したのをよく覚えてますね。なんかこうスイッチが入っちゃうんですよね。


と思ったら、今日5月1日ですから、

5って変化の数字です。

5は、変わりたいって思ってる人は、変わった方がいいですよ。

ただ、変わるっていうのはすごくエネルギーを使います。みんな「変わりたいんです」って、私は変化の人なので、変わりたい人はカウンセリングとか、セッションとかに来てくれるんですけども。私はお尻を叩く役目があります。変わっていいんだよ、大丈夫だよっていうね。そういう宇宙の中のひとりの、私という役目の中のものなんですけども。

「変わりたいんです」って「じゃあ、こうしよう、ああしよう。うん、いいね。」って言って、「あ、そうですね。やります。」ってみんな言うんだけども、変わるってすごいエネルギーを使う、って何回も言うけどね。


変わってエネルギー使って消費して、疲れちゃうぐらいだったら、

辛くても今の現状を維持する、

我慢のエネルギーの方が少ないんですよ。


だから、みんな変わらないの、疲れちゃうから。


でもその大きい一歩を頑張ってポンって進んだら、もう周波数帯域、生きてる周波数帯域がポンって変わるので、すごい楽になるんだけど、その変わるためのエネルギーっていうのはすごくやっぱり大きいんですよね。だったら、今のまま我慢してますっていう方をみんな選択しちゃう。

人それぞれだから、いいんですけど、なんかもどかしくなる時あります。私は変化の人なので。革命とか改革とか、ワクワクしちゃうわけですよ。

そんな感じで明るい所で、収録をしているっていうなんか不思議な感じです。面白いですね。


そうやってついつい、もう若い時からそうなんだけどすぐ人に物をあげちゃったりとか、なんか「いいな」って言われたら、「いいよ、あげるよ」とか言って。なんか困ってる人を見過ごせない。

だから前に、電車で線路のところでしゃがみ込んでいる女の人がいたら、みんなスルーして行くのが信じられなくて、助けに行ったっていう。そういうことも、なんか我慢できないんですよ、助けずにはいられないっていう。

お節介といえばお節介ですよね。だから、なるべくお節介とは思われたくもないなと思いながら行動するですけど、心の声に嘘つけないので、助けたいと思ったら手を出しちゃうんですよね。

でも、やりすぎて人の学びを奪うっていうこともあるので、私それ氣を付けなきゃいけないって、いろんな人に言われてきたんです、若い頃ね。「その優しさは人をダメにするよ」って、バンって言われたことあります。なんかすごくショックでしたけどね。

良かれと思って人を助けていても、その人の成長を奪うことになるんだよっていうことですよね。


自分でやろうとする自立心を奪ってしまうということです。

親子関係でもあるんじゃないですか、うちの親は放任でしたから、全部自分でやってきましたけども、なんかやってもらうっていうイメージあまりないですね。

だけど、過保護なお母さんとかもいるよね。そしたら、「あぁ、どうしたの、どうしたの」って先回りして転ばないように手を出していたりとか、「これが欲しいんでしょ」ってレールを引いてあげたりだとか。

ある程度はいいと思うんですけども、やりすぎはやっぱり、

その人が自分で考えることをやめちゃうんですよね。


「誰かやってくれるからいいや」って言って。もしその人がちゃんと自分でやる、自立心を持って一生懸命生きるっていうのが自分自身の中の学びとかテーマにあったとしたら、ものすごいその人は自分に嘘をついて生きてしまうことになっちゃいますよね。

だから、そういうことなんだなぁと思って、時に見守るとか、怒るとか、あとは失敗を見ているとか、それを経験するのを見ているとか、そういうことも優しさとか親切なんだっていうことをある時学ぶんですよね。

まぁ、見てるのは辛いですよね。失敗するのわかってて、「うん、そうかいそうかい」って。手を出したくなっちゃいますよ私みたいな性格の人は。まぁ、しょうがないね。いい感じの、良い加減で私も日々やってるんですけども。


例えば、数秘術でいうと私の未来ミッションっていうのがあって、今生どういうふうに生きればいいかっていうのがあるんだけども。

例えば、生年月日、数秘術でそれ出せるんです。私は1月17日生まれなんですけども、足すと、1月の1と、17、全部一桁にして、1+1+7=9になりますよね。誕生月と誕生日、このふたつを足してみて9の人、私もそうですけど、こういう人は我よしで生きていくと、まぁ、いいことないですね。

なぜかっていうと、9を持ってる人の未来ミッションっていうのは、世の中が。。考えてることがでかいですよ。隣近所がっていうことも、もちろん大事なんだけども、

世の中、要するに人が楽に生きるためには、自分になにが出来るだろうか?

と考えていくと、その人の未来は開けていくよっていうミッションになります。

1から9まで、プラス11っていうのもあります、まぁ、22もいるかな。それぞれ、その人のテーマっていうのがあります。それに向かって生きていくと、すごく人生がうまくスムーズに、協力者も得られる、応援してくれる人も増えるって感じで、生きていくことができます。

そう考えると、今、自分がやっていること、レイキっていうのもそうですよね。人が辛い、悩んでいる、具合が悪い、そういった人たちを楽にするための技法ですから、エネルギーを流して、癒しを行ったりとか、その人が自立するためにそれを自ら覚えてもらって、自分でやっていくとか。

そういうことをずっと仕事にしてきたわけですけども、なんかやってくうちに地域貢献みたいなことをやりたくて。ずっとNPOをやりたいと思ってたんですけど、NPOって設立すごく大変で、同じ思いを持った人が、8人、10人でしたっけ、相当必要なんですよね。

そういうのもあるし、いろいろ規制もあったりとか、そうするうちに一般社団法人というのが出来上がって、立てていいよって、法人格が出来上がりました。社団法人に一般がついているので、商業的なものしてもいいよっていう、社会に貢献する団体っていうのが一般社団法人のイメージです。

ただあまり認められてなくてですね、中小企業とはみなされていないので、いろんな補助金受けられなかったり、逆にNPOで受けられる補助金も受けられないし、宙ぶらりんな位置にいるんですよね。

なんとなく、社会にいいことやってる団体みたいな、法人みたいな感じで、なかなか認められない感じでね。「なんでそれやってんの?」ってよく言われちゃうんですけど、それでもいろんな考え方あるので、やめずにやってきてるのもこれも何か意味があるのかなぁと思っているんですけども。

一般社団法人Peace Gardenっていうことで8年目に入ったんですけども、なんか地域貢献とか、どうもそういうふうに動いちゃうんですよね。


パンひとつ作ってても、パン屋でしょって言われるかもわかんないけど、パンって作るの大変なんですよ。自分たちができる限りのことです。小麦を育てられるわけじゃないから、無農薬は無理ですけども、そうじゃなくても、地域でお金を回すとか。今は小麦粉の仕入れ先が上富良野になっちゃってるけど、もし中富良野で仕入れられるんだったら、中富良野で、地域でお金を回す。これも地域貢献、社会貢献のひとつなので、一点だけは見てないですね。

できればそれがいいですけども、そういうのをやってみたりですとかね。ただ、イーストだけでこう薄利多売的にできると思われているけど、いや、もうパン作るの大変なんですけどっていうね。

酵母をたてて、ひとつのパン、さぁ作ろうって思ったら、まず酵母を起こすとこから始まり、タネを作ってって2週間くらいかかるわけでしょ。それでようやくパンが焼けますよっていうことを、あえてやって。その膨らませてくれるタネになっているパン種ちゃんたちは、酵母ちゃんってうちでは呼ばれてますけども、育ててないと死んでいくんです、志事してくれなくなるんですよ。

だから、さやちゃんはいつも酵母ちゃんを育てているんです。ケアしなかったらすぐ死んでいきます。志事にならないです。死んじゃったってことは、パン作り始めるのにまた2週間かかるわけです。恐ろしいですよ。でもイーストだったら、粉粉〜ってパーっと入れてやれるんです。
天然酵母っていっても、イースト菌みたいにできている、粉でできた化学的に培養したものもありますので、うちがやってる自家製の天然酵母とはちょっと種類が違うかなと思います。

それでもイーストだって昔、戦争があった時代、ドイツが国民にご飯を与えなきゃいけないっていうことで開発が進んで、イースト菌っていうのが開発されて、すごく人の命を救ったりとかしているので、100%悪いものはないんじゃないかなと思っています。

何事も、いい面もあれば悪い面もある、それが陰陽だと思いますので、柔軟な考えを持ちながらやってるつもりではあります。なるべく、偏らないようにしてはいるんですね。


そんな感じで、久々に自分の職場が帰ってきて、志事するスペースが帰ってきてちょっとワクワクしております。捗っちゃいますね。今、新しいことも始めようとしてるので、常に3つ4つ抱えて志事してるから、なんか書類だったり、それに関する本だったり、物っていうものはあまりないんですけども、なんか常に多いんですよ。

正直私は、片付けそんなに得意じゃないんですよ。キレイにすることは好きですけど、捨てるか持ってるかぐらいの極端な人なので。好奇心が旺盛で楽しいことが好きっていう5とか、私は3とか数秘術を持ってるんですけども、正直得意な方ではないはずです、自分も含めてそういう人たちはね。

でも、やらないと前に進めないんです。浄化っていうエネルギーを私も持っていますので、とにかくキレイにしないと、物事進められない、進められる人もいるんでしょうけどね。おまけに憑依体質ですから、

物がいっぱいあったら、

そっちにエネルギーをビッてとられて意識散漫になって、

集中できなくなってくるんです。


物の威力とかそうのもすごいですよね。こないだなんか、私の見えない和尚さんに、言われたことがありましてね。私が今、人を指導する立場みたいな感じに、先生やってる時からずっとそうですけども、片付けについて言われちゃう人がいるんですけども、氣持ちはわかるんです、自分も片付けそんなに得意じゃないから。

それで、なんかうるさいことだんだん言いたくなくなってくるわけですよね。あるよね、そういうのね。そうしたら私の見えないお師匠さんに。。神様みたいな人です。声が聞こえるわけですよ。「ちょっともう私、うるさいこと言いたくないんだけど、どうしたらいいでしょうか」と心の中に問いかけてみたんです。

そうすると声が聞こえてきて、

「汚かったり、重たかったりする者は、もう、勝手に落ちていくだけだから、放っておけばいい」


って言われたんです。「怖っ」って思って。私そこまでちょっと冷たい人にはなれないかなとか思いながらも。でも、その宇宙的な声に言われたらそうするしかないですよね。

時代が時代なのかなと思います。


3月20日を過ぎて、一説によればそこでゲートが、いわゆるアセンションって言われてますけども、ゲートが閉まるとか言われてる。要するに二極化がガッツリ終わっちゃうよって。

このコロナの騒ぎ見ててもわかりやすいですけども、本当にもうすごい大変だぁって言って、翻弄されたり怒ったり、大変だったりする人と、あぁ、なんか人間らしく生きていけるよねって氣付ける人と、すごく分かれているとは思いますね。

本当に右と左、ガーっと離れていく、上と下、ガーっと離れていく。離れてしまったら、本当にもう出逢うこともないぐらい周波数は変わってしまうと思うので、そんな人いたよなぁみたいなくらいに。思い出すことはあると思うんですけども、そのぐらいの変化の時なので、そのぐらい厳しいこと言うのかなと思いました。

だから、人間にとって住みやすい方向の周波数乗っかって生きていきたいと思ったら、まず、自己所有物を手放さないとダメです。共有するものに変えるんだったら、持っててもいいですけども、とにかく物を減らさないとダメです。


重たい人は落ちていくんだって、勝手に。


それまずいよね。だから、物たくさん持ってる人は、自分の自己所有物です、そういった物を一回見渡してみて、これは必要な物なのか、自分の欲を満たす物なのかっていうのを、よくよく見極めて必要なものだけ残していく。

それで、さらにその必要な物でさえ人と共有していくものに変えていく。そういうとが出来るって結構、心の器がでかくないと無理なんですよ。だって、みんな自分の物は抱えていたいっていうのが人間でしょ。

動物見てたらわかるじゃないですか、アメちゃんにおやつあげたらウァンって、「これ私の」って言って、アメちゃん手放さないですよ。まぁ、ちょっととろいところがあるから、すぐ取られちゃうんですけど。でも、氣持ちは「私の!」ですよ。おやつ以外は、ご飯はちょっと面倒くさそうに食べてますけど、犬のようで犬じゃない、犬なので。

それで、レッスンの順番としては、物を減らす、まず自己所有物を減らす、減らした中から必要な物か、自分の所有欲を満たすもの物かを見極めて、必要な物だけを残す。それでさらに、その必要な物を人と共有できるようにする、心の器次第とは思います。

自分の大事なものを人にあげられるか、自分の大事なものを人と共有できるかって、結構試されます。

それと、整理整頓です。物を揃える、私のセミナーでもそういう内容がある、禮楽の方のセミナーではあるんですけども、

物と物の波動を揃える。


例えばプラスチックの物が全部悪いとは言わないんですよ、人間の生活を少し便利にしてくれています。ただ、プラスチックの物と、例えば自然素材の物を一緒にしておくと、そこに波動の摩擦が生じて不調和が生み出されちゃうので、そういった感じで部屋の中が、摩擦だらけになってると、それ、そのまま自分の波動に入ってきてしまいます。

私はその人の周波数を見れば、その人を見ればどんな部屋かというのはわかります。自分の部屋を見渡せば、今のその人の波動っていうのはわかります。同じになっていっちゃうからです。普通はそういう感じです。修行してる人は、ちょっとまた特別なものあるかもわからないけども、大体そんな感じです。


スッキリしてるように見えても、

心の中で不安や恐れや恐怖がいっぱい入ってる人は、

物で心を埋めようとしますので、やっぱり物をたくさん持ってると思います。


私も、昔そうだったからよくわかるんです。物に埋もれているのが、幸せでしたから。

そういう時、自分の波動を、氣、愛とかを見てみると。。これ全部同じことです。波動・愛・氣、同じことね。それらはなかったです、自分の中に。

だから、人に優しくするにしても、例えば若い頃から人に物をよくあげてたっていうけど、なんかどっか見返りをすごい期待してたと思います。子供の頃。自分のことを好いてて欲しいから、これあげるねって。

人の氣とか愛を繋ぎ止める役目として物をあげたり、物を持っていたりしたなって、小学生ぐらいの時よくそうやって思ってましたね。嫌だなぁ、こんな自分って思ってたけど、小学生の自分には自分を変えることが出来なかった。自分には先生がいなかったので、ずっとそんな感じで過ごしてましたけど。

それで、自分の中に愛とか氣が充満、要するに氣が黒字みたいになってくるとはみ出ていくんですよ。要するに利益がいっぱい出てくる感じみたいで、そうすると物が邪魔になってくるんです。

今までは心の中にあった、心の中にないものを、物やらなんやら、愛以外のもの、お金でもいいです、抱えるんです。それで、自分にないものを補充しようとするんです、物質的な物。お金だったり、物だったり、それでなんとか自分を保っているってものなんですね。

だから内側が、氣がいっぱい充満してきたり、愛が充満してくると、一個ずつ手放していきます。アクセサリーとかもそうですね。

若い頃は自分もそういう“ないない状態”でしたから、自分を守るために当時、シルバーのアクセサリーを指いっぱいつけてたし、耳にもついてたし、首にもついてたし。

要するに防御ですよね。

防護服みたいな感じで、アクセサリーを付けてました。


それで、そのうち自分が満たされてくると、一個ずつ外れていくんです。不思議なもんだなぁと思います。今は、もう身ひとつあればOKみたいな感じで生きてます。面白いもんだなぁと思います。

なんでも、全ては波動で出来ているって、本当に科学でも証明されているけれども、見えない世界をお勉強すると本当に面白いですよ。自分の摩訶不思議現象とか、苦手分野とか、なんでこれが好きなんだろうとかを、全部氣で説明することができる、氣とか波動とかね。

こういうのを面白いと思う人と、面白いと思わない人といると思うんですけども、勉強してみると本当「ははぁ」って、勉強好きな人は納得すると思いますね。

そんな感じで今日はいろんなお話をしましたね。とにかく引っ越しをしたんですっていう話です。あの、部屋を上から下に降りてきたんですけども、そんなんじゃなくても部屋の中でのレイアウトは、今までも何回も何回もやってるんですね。

これが引っ越しじゃないからいいじゃないですか、本当の。東京にいた時は2年おきに必ず引っ越ししてました。必ずです、2年以上、更新料払ったことないですっていうぐらい引っ越しが好きな、5という数字を持った私の宿命ですね。

今は、同じ建物内で引越しできたから、まぁ、いいかと思ってますけど。すごい勢いでやってるのね。さやちゃんも手出しができないって「大丈夫、ひとりでやるから」って言って、やらせてもらって。

新しい5月1日始まりました。

もし何か変わりたいなって思ってる人がいましたら、

ぜひ勇氣を持って一歩踏み出して欲しいなと思います。


それでは、今日も良い一日を。

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