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お休みと日本沈没 / diary:2024-04-04

起きたらどうにも起き上がる気分ではなかったので、今日はお休みということにさせていただいた。休みたいと思ったときは休めばいいのだ。休む、ということが選択肢に入った時点で、お仕事に差し迫ることは無いのである。

小松左京「日本沈没」を読み終えた。ここ1ヶ月ほどの間日本沈没とそのメディアミックスを、一色登希彦漫画版→1973年映画版→原作小説版とたどっている。もともと学生の頃途中まで読んでいた思い入れもあり、この中では一色登希彦漫画版が一番好きだと感じる。

小松左京原作版は、原典の偉大さ、時代に先駆ける、今でもほとんど色褪せぬ考証の緻密さと大胆さ感じつつも、これが半世紀前の作品だとはまだ今ひとつ実感がわかないというのが本音だ。現代的で大変読みやすい文体であることも影響しているだろう。描かれる事柄の重々しさに反して権威的ではなく、飄々としたものを感じる。
ただその中でも下巻のラストは衝撃的であり目眩を覚えるもので、読後の余韻に随分と浸ったのだった。
そういえば同じく小松左京が原作に名を連ねるドラマ「猿の軍団」のラストをにわかに思い起こさせる。「猿の軍団」、子供の頃にCS放送で観ているのですね。

猿の軍団は小松左京も思い入れがあり気に入っているそうなので、多分ああいう締めくくり方が好きなのだろう。「日本アパッチ族」なども読みたい。あとは庵野秀明で引き合いに出される「さよならジュピター」か…

しかし「日本沈没」はメディアミックス、派生作品が多すぎる。まだ正統続編の小説第二部もあるし、ドラマ版も2回作られ・・・2007年映画版も一色登希彦漫画版でカウンターを当てる元ネタになっているので、評判はどうあれいつか観たいと思う。
極めつけは2020年アニメ版になるわけだが。今日まで存在を知らず、いくつかのレビュー記事を見て度肝を抜かれた。

正編・派生をある程度擦り辿った分、狙いたかったところが見えて来そうなのであると思うので少し落ち着いたら観てみたい。

こうもたくさんのバリエーションがあり、どれも国土の沈没≒世界の破滅に突き進む中で何をどれだけ救えるのかという選択と行動を描いているから、なにやらそれぞれの鑑賞が世界線を跨ぐ旅をしているようにも感じる。その中で日本が沈む運命を避けることができたと知っている2007年映画版は邪道として、漫画版の肴にと思わずにはすすんで観る気はしないというのも面白い。

一色登希彦の後日談によると小松左京に原作からの変更点について了解を取りに行った際、内容も聞かずにどれだけ原作から変えても良いと言ったとのことだ。既にベストセラーで70年代の映画・ドラマで納得のいく映像化をされていたこともあり、今更どんな派生が作られようと自分の原作に一つも傷はつかないという余裕もあるのだろうが、そうして自由に生まれる派生作たち、解釈、挑戦によって広がる日本沈没の並行世界を小松自身楽しんでいたのではないだろうか。


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