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それぞれのプライドを、胸に。東京レインボープライドの時期に思うこと。

先日、2020年の東京レインボープライドが開幕した。今年は形式が違って、オンラインでの開催。コロナの影響で外出自粛が促される中「#おうちでプライド」というハッシュタグで、SNSを通じて誰もが参加できるような仕組み。パレード当日は、たくさんのカラフルな投稿が、タイムラインに溢れた。

私が、初めてレインボープライドにスタッフとして参加したのは、2018年。「性別関係なく」とか「ありのままの自分で」という表現がありふれるこの時代に、それを実感として体験できる機会がどれくらいあるのだろう。フロートを歩きながら、ドラァグクイーンのブースで撮影を行いながら、「個」がそれぞれのあり方を肯定し合い、エールを贈り合い、お互いの存在自体を祝福するムードを感じ、一日中なんとも言えない高揚感に浸った。

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自分で選んだ関係性で生きることが、私たちの幸せ

REINGではこの期間に限らず「Every relationship is beautiful. 私たちが紡ぐ、すべての関係性は美しい」をフィロソフィーに、あらゆる人々が紡ぐ関係性について、一緒に発信したり様々なイベントを開催してきた。

私たちの「関係性」の解釈は、「自分自身が選ぶ関係性」と定義しているため、必ず自分対他者とは限らない。ひとりで生きる人もいれば、恋愛を求めない人もいる。関係性に、今ある名前をつけたくない人もいる。大切なのは、自分自身が誰とどんな風に生きていきたいと願うか。どんな関係性があれば、自分が輝いていられるのか。その相手が自分だったり、ペットだったり、2次元に存在するということもある。

だけどまだ、”普通“というわかりやすい軸で社会は動いていて、“その他”は見えにくい。だから「皆、自分で選んだ関係性で生きることが幸せなのだ」ということを伝えたくてnoteを始めた。この世にはひとつひとつ大切に紡がれている関係性のあり方が存在していて、どんな形でも、いま広く根強く可視化されている幸せのあり方と同じように、それぞれに喜怒哀楽含めたストーリーがある。未だ小さな集合体ではあるが、立ち上げ当初は何の信用もなかったにも関わらず、ただただこの想いに共感し、話を交わしながら一緒に記事を紡いでくれた人たち。極めてプライベートなことであるし、自分たちの大切な関係性について話してくれた皆さんには、いつも感謝の想いで一杯です。

(一部の記事を抜粋)

他者の視線で奪われる、「個」の尊厳

REINGは立ち上げに向けて2017年から活動を始めたのだけれど、(一部では活動的に発信されている方々は勿論いたものの)当時は今ほどYouTubeやInstagramでオープンに自分たちのセクシュアリティや関係性について話す人は多くなかった。そんな環境の中、心を奮わせながらも発信し続けてきた方々の想いが少しずつ広がり始め、この1〜2年で大きく風潮が変わったのだろうな、と感じる。1994年に日本で初めてプライドパレードが開催されてから、26年。この年月の間に、どれほど多くの方々がセクシュアルマイノリティへの差別や偏見と闘いながら、それでも前を向いて、今の社会の空気を創ってこられたんだろうと思うと、勝手ながらも次の世代に共に繋いでいかなければという想いに駆られる。

電通ダイバーシティ・ラボが発表した2019年の「LGBT調査」では、認知度が3年前と比べて約2倍の68.5%になったそう。一方で、正直なところ全く楽観できないなという気持ちも大きくある。現在、37の自治体(※2020年4月時点)でパートナーシップ条例が導入されているものの、未だに同性婚は法律で認められていない。当事者の回答で「誰にもカミングアウトしていない」と答えた人の割合も、2015年の調査時の56.8%に比べ、65.1%と増加しているのだ。REINGでも、最近の記事に「もう今は、取り立てて記事にするほどじゃないよね。普通になってきたよね。」とコメントをいただくことがあり、その感覚は嬉しいなと感じる一方で、

「まだまだなんだ...!」

と声を大きくして伝えたい気持ちを、強く抱いてしまう。

“普通になる”って、どういうことなんだろう。どういった状態になれば、"普通って言えるんだろう。REINGのメンバーやREINGに来てくれる人たちとの対話を重ねながら、ずっとそんなことを考えてきた。

例えば、規模の大きなリアルイベントを開催した際に地方からわざわざ来てくださったにも関わらず、カップルとして同じ空間で参加することに踏み出せず、会場まで来られなかった方のこと。映画やTV番組の主人公たちの物語は、シスジェンダー(生まれ持った身体的な性別(身体的性)と自分で認識している性(性自認)が同じ人)・ヘテロセクシュアル(異性愛)が基本で、同性同士の恋愛やトランスジェンダーのストーリーはファンタジーや“特別なもの”として描かれがちであること。バラエティ番組で、男性同士が友人として仲良くすることが“ヤバイ関係性”と称されたり、トランスジェンダーが「この人は男か?女か?」と面白おかしく取り上げられること。未だに、GoogleやGettyで「カップル」と検索すると、99%男女の組み合わせの画像ばかりが出てくること。

特に、カミングアウトしたくない人の数字が伸びてしまっているのは、認知が高まることによって「ラベルを貼られてしまうことへの恐れ」「ラベルイメージにはめられてしまうことに対する嫌悪感」が要因にもあると思う。REINGのイベントに参加してくれた方が「ゲイってクリエイティブなひとが多いよね!いいね!」と言われることに、よく困惑すると話してくれたことがあった。「それは皆同じで、クリエイティブな人もいれば、そうじゃない人もいる。ゲイだから、じゃないんだけどね。」と。

これはよく語られることではあるけれど、日本で同性愛者やトランスジェンダーであることを理由に、暴力を受けたり、殺されたというニュースが流れることはほぼない。海外では宗教の問題などもあり、過激なヘイト運動も起こりがち。けれど、日本の社会の特徴として、あからさまな差別行為というよりも、無知によって無意識に傷付けてしまう行為や無邪気な排除行為、ラベリングが起こりやすい、という点は挙げられると思う。

また別のイベントを行った際に、共感が大きかった言葉がある。

「手を繋げないんじゃない。見られることを、気にしたくないから繋がない。」

手を繋ぐことが禁じられているわけでも、攻撃されるわけでもないけれど。心地がいい状態で過ごせないから、手を繋ぎたくなくなってしまう。大好きな人に触れるときの、ドキドキする瞬間。ぎゅっと手を握り合う瞬間の、あたたかい気持ち。そんな大切な感情を、愛おしいと思える瞬間を、他者の視線によって奪ってしまう社会であってほしくない、と心から願う。

特別なことは、できなくても

すべての人にとって、今の社会にとって、レインボープライドのあの空間が必要な理由。それは「他者からの目」「不要なプレッシャー」から解放され、皆が本当の自分でいられたとき、世界はこんなにも美しく感じるんだ、と知ることができるからだと思う。誰がL/G/B/T/Qで、誰がストレートで、誰が女装・男装をしていて、誰が同性カップルで、なんて誰も気にしないし、“特別”にもならない。あの空間では、“普通”も”普通じゃない”も境界がなく、皆がただ「個」として自分自身であることを楽しむことができる。

今年は皆で「Happy Pride!」と声を掛け合うことも、人目を気にせず自分の大好きな格好で外を歩くことも、この日だから集まれる仲間たちに会いにいくこともできないかもしれない。だけどSNS上だけでも、皆、繋がっていると感じられるように。私たちの色を、それぞれのプライドを表すレインボーを、一緒に掲げたい。どうか、ひとりじゃないと、皆が感じられる期間になりますように。そんな想いを込めて、REINGではプライドウィークとして設定されているゴールデンウィーク期間中、様々なアーティストからのメッセージを発信するオンラインパレードを企画しています。

最近は「ストレートだけど、共感しています。何をしたら…?」と相談をくださる方もいます。「I'm ally🌈」とSNSのプロフィールに示すだけでも、もしかすると周囲で安心できる人がいるかもしれません。話のきっかけが生まれるかもしれません。REINGにもさまざまなセクシュアリティの人が存在しています。特別なことは、できなくても。いま、お互いに「ここにいるよ」と伝えること、「私たちは、寄り添うよ」と発信することはできるかもしれない。

自粛で少し疲れ気味の方もいらっしゃるかもしれませんが、どうか心と体だけは大切に。1年でいちばん色が溢れる期間を、楽しみましょう!

Writing :Asuka Otani(@aska28d
Editing:Yuri Abo(@abozon_jp

*私たちも今リアルでは集まれないけれど、週に2回オンラインイベントを開催しています。高校生をはじめ、様々な年代・性別・国籍の人が集まってジェンダーやセクシュアリティについてお茶をしながら話せる場です。「誰かの言葉を聴く」というスタイルではなく、少人数で個人の思考を自由に発言できる場所になっています。初めての方も、顔出しなしでも大丈夫ですので、いつでも参加してくださいね。


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