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私は床屋の亭主を呪い殺したかもしれない


21、2年くらい前の話をしようと思います。

前提として、私はありのままの表現をさせてもらいますと、昔から『女性らしく生きたい』という思いが強いです。

現在、性別やジェンダーに関して社会的な認識が転換機である中、伝統的な性別観念に固執する人も少なからず存在します。(…と自分では思っています)

私は2000年代に出てきた『女子力』という言葉がとても好きで、この流れの中でそれこそ『知恵遅れ(過去記事参照)』と同じように放送禁止用語になりかけていることが正直悲しいです。

具体的に昔からどんなこだわりがあったのかというと、

母親が姉妹の持ち物を区別するためにたまたま姉と妹に暖色系、私に寒色系のものを与えると『男じゃない!!!!💢💢💢』と泣いてキレ散らかし、(そして数日根に持ってブチ切れ続けるので機嫌を持ち直させるのも大変だった)

料理と手芸のスキルこそ女性としての価値だと信じて小学生でなんでもできるようになりました。

ボーイッシュ、ユニセックス、男女兼用というアイテムがとにかく無理です。今でもこれは本当に無理で、明らかに女性向けにデザインされたものでないと絶対に身につけることができません。

学芸会の衣装がどうしても着られなくて一悶着起こしたことがありました。(めんどくさ…)
人間の男の役ではなく動物なんですが、『メスに見えない』と主張して周囲を困らせました。
キティちゃんのリボンのようなものがないから、オスなのかメスなのかわからなくて納得いかなかったんです。(最終的に100均のチークでメイクしてもらえるということで折り合いがついたと記憶しています)

もっと柔軟に生きなさいよ、女の子なんだから。


と当時の自分へ助言したくもなるエピソードも含め、『女性らしさ』『女子力』を今日まで追求してきたのが、私の人生です。

女性性への特別な感情がエクストリームですが、少なくとも『信号が変わった瞬間が察知できない(このエピソードについてはこの記事参照)』という人よりも自己の性に強いこだわりを持つ人のほうが間違いなく数は多くいるでしょう。


では本題へ。

子供の頃散髪に連れて行かれた床屋の亭主の話です。

私が小学生の頃は髪を切るとなると父親に街中の床屋に連れて行かれました。そこの亭主が父の友人だったのです。あらゆる人付き合いに、子供を使う父でした。

私は、自分が女性であるのに『美容室』に連れて行ってもらえないことに納得がいかず、屈辱でたまりませんでした。

私は上記の通り、生まれてから今日まで自分の『女性性』に並々ならぬ執着心があり、『私は女だから○○』『私は女だから○○なんかしない』『私は女だからこうでありたい』といった、女性らしさのマイルールというものがあります。(炎上しそうなので内容は明かしませんが…)

そのルールのひとつに、『女の子は美容室に行く。床屋は男が行くところ』というのがあります。

私は、人生のどこかで主に女性が髪を切りに行く美容室という種類のお店があることを知り、そして実際にクラスの女の子たちも『"美容室"で髪を切ってきた』といった発言をしていたものですから、床屋しか経験のない自分を心の底から恥じ、もう床屋に行くのは金輪際ナシだ!!!!と思ったのです。

母に『私は女の子だから、床屋じゃなくて美容室に行きたい!!』と噛みつき気味に頼んだのですが、

『お父さんが、お友達のお店に連れていきたいみたいだから…』と私の希望を否定されました。

そもそも子供の髪を切りに連れて行くのは父親でも母親でもいいはずなのですが、母には子供の散髪の店を決める権利がなかったのか、権利を放棄したのか、権利を忘却していました。
そして母本人もそのことに全く疑問を抱いていないようでした。

母は何でもかんでも、『お父さんが決めるからわかんない』『お父さんに聞かないとわかんない』『お父さんがいないからわかんない』しか意思表示せず、主体性のない人でした。

失望した私は、それ以来母のことを女の子らしさを評価できる重要スキルである料理および手芸の情報源としか見なさなくなりました。(それだけならかなり有益な答えが返ってくるので)


当時、『コイツさえいなければ………』のツートップが地元で人気者だった姉と、この床屋の亭主でした。

この亭主のせいで、私は女の子なのに美容室に連れてってもらえない。死ねばいいのにクソクソクソクソ———

恨みの矛先は、父親ではなく床屋の亭主に向いていました。

床屋さんなんて、頻繁に会うわけでもないのに、床屋の亭主の存在が邪魔で邪魔で心の底から憎んでいました。

当時から、女性が床屋で髪を切るのは悪いとか変なことではないのはちゃんとわかっていました。
だけれども、エクストリーム女性意識を持つ私にとって問題はそこ(女の子も床屋で髪を切っていい)ではないのです。

女性だから、美容室に行きたいんです。

だから、『美容室』というカテゴリの店なら別にオシャレなサロンじゃなく地元のパーマ屋でもいいわけです。

一度、いつものように父親に床屋へ連れて行かれたとき店の駐車場で事故がありました。(ホントです)
突然若者の車がうちの車に突っ込んできたんです。

その後処理で諸々めんどくさそうなのを眺め、今日の散髪ナシになるんじゃないかと期待しました。

…しっかり完遂できました。

車が破損されて、どうやって田舎の家へ帰ったのかはなぜか覚えていません。


数ヶ月後、床屋の亭主が急死したと聞きました。理由はわかりませんが、おそらくいきなり発症して死に至るような、脳や心臓の急性疾患ではないかと思います。

私は目の前がパァァァァァァァっと明るく開けたように見えて、母に
えっ、じゃあこれからは美容室に連れてってもらえるの!?!?!?
と大喜びで詰め寄り、ぴょんぴょんはしゃいでいました。


実際、床屋の亭主がいなくなったことで、それはやっと叶いました。
父親は、子供を見せびらかしに行く床屋がなくなって、子供の散髪の店などどうでもよくなったんです。

初めて行った念願の美容室は、床屋よりも照明が暖かくて、女性らしい香りで満ちていました。

あれだけ切望した美容室、心の底から嬉しかった。


私は床屋の亭主を呪い殺したかもしれません。いやそんなことはないはずなのですが、同時期に憎かった姉がミシンの針で指を貫通させたり、
もしかして床屋の駐車場で事故に見舞われたのも呪いがしくじってそうなったんじゃないかと考えたり、
あの頃の自分の恨みはまさに物事を大きく動かせるんじゃないかと思えるくらい熱量がありました。


実は、このような形のエクストリーム性意識(と勝手に仮称している)も、何か適切な言葉がないかと考えています。
『私は女の子らしいことが好き!女性らしく生きたい!!』と表明したくても、
そもそも『女性らしさ』という表現すら取り上げられてしまいそうな勢いなので…。


今では床屋さんのレディースシェービングっていいなぁと思ったりしつつ、やはり自分に床屋さんはかなりハードルが高いのです。



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