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【記憶の石】20

 夜中にセックスした男の部屋で、ちょっとお昼寝させてもらった。私は始発で帰宅して、1限の授業に出て、高円寺の男の部屋に戻って、昼寝して5限の授業に出るということになった。火曜日はこの授業スケジュールだから、いつもは気ままに買い物したり、大学のパソコンでDVDを観たりして過ごしている。昼寝するなら、自宅に一度帰るなり図書館の机に突っ伏していればいいのに、なかなか大学生らしく暇そうで素敵な段取りが組まれたのだった。とりあえず聖より早く帰宅して、彼の帰宅で起きたフリをして朝の支度をしていれば怪しまれることはない。男は、午前の授業が終わったら戻ってきてよ、と言った。まだ一緒にいたいから、と。
 戻ってきた私がピンポンして、10数秒後に寝起きの男が出迎えた。たった数時間ぶりの再会が楽しみだったのか、あるいはほぼ徹夜だったからか、大学から男の家までの道中はとにかく目が眩しく感じていた。ところどころタトゥーを施した白い腕に倒れ込む。

『めっちゃ眠い…!』
 私は15時に起こして、とお願いして数時間前にセックスした無機質なスチールベッドに潜った。男も滑り込んできて、私に脚を絡ませる。私はそこで意識を手放した。
 男は聖と同い年で、背が高く脚が長い。左側の髪を刈り上げ、全部右サイドに持っていくストレートで肩まで伸びた髪は漆黒で、針金のように強そうだった。無数に開けたピアスと、大きく肩が開いた服からチラリと覗く胸元のタトゥー。そんな男が洗濯機外置きで、玄関ドアの緑のペンキが掠れている古いワンルームに住んでいるのが最高だった。彼も同じくチェーンの居酒屋勤めなのに、感じてしまう魅力が段違いだった。

 隼人はヘビ数匹と、タランチュラと、クサガメを飼っていた。きちんと掃除されたプラケースに、サイズも色も様々なヘビが1匹ずつとぐろを巻いている。小さい個体は可愛らしく、大きいものは荘厳だった。一つ一つのプラケース満杯に注がれた愛情が目に見えるようで、極限状態のアクアリウムとは大違いだ。

『可愛いね。』
『全部ボールパイソン。このちょっと目が白く濁ってんのは脱皮が近いの。』
『皮が浮いてくるから?』
『うーん、まぁそんな感じかな。』
 前夜の訪問時、隼人は丁寧に解説してくれた。
『ヘビのご飯ってネズミなんだっけ?』
『そうそう噂の冷凍マウスよ、まぁ慣れだね。毛がなくてちっちゃいピンクマウスってのと、ガッツリ毛生えてるデカいヤツ冷凍庫にぶっ込んでる。オレ別に料理しないから冷凍庫にネズミいても気にならんのよね。』
『ネズミか〜ハードル高いなぁ。この真っ白な子可愛い。アルビノってこと?』
『おー、それはブラックアイリューシってヤツ。アルビノはその下。』
『アルビノより真っ白なのがいるんだ〜、ヘビのアルビノって結構黄色いんだね!』
 私がヘビに見入っている後ろで、大きなクサガメが水槽の中でゴトゴト、ぴちゃぴちゃと物音を立てる。
『リンちゃん、ご飯食ったでしょーが。』
 隼人は水槽をつつく。
『コイツねー、人が来ると騒ぐんだよね、カワイイっしょ。』
『可愛い。なんかかまってちゃんな感じする。』
『たぶん人を人だと思ってんのがリンちゃんだけだわ。』
 茶色っぽいタランチュラが微かに動いた。
『タランチュラってフワフワなんだね、初めて見た。』
『おー、意外とカワイイヤツでしょ。そいつもピンクマウス食ったりすんの。いつもデュビアっつってゴキのちっちゃいヤツやるんだけど。』
『ゴキブリ!へぇ。』
『ここに飼ってる。』
 隼人はヘビたちが置かれているラックの下から虫かごを取り出した。卵のパックのような凸凹に虫が群がっている。
『これ卵のヤツ?』
『うん、コオロギとかデュビア飼うとき入れとくとコイツら住みやすいらしくて。』
『餌に餌あげてるってことだよね?』
『そー!餌ごと飼ってんの。』

 自分がしていたことではないのに、あの悪夢のアクアリウムが猛烈に恥ずかしくなってきた。なぜ水槽の掃除すらできないのか——最後の3匹くらいのときは表面の苔は放置状態で魚たちの姿が霞んでいた。スポンジで拭くだけだけれども、そんなこと一度でも代わりにやってしまったら——『ひさちゃん、水槽の掃除お願い☆』と以後一生背負わされることは明白だった。自分の負担が増えるのが嫌だったのではなく、魚たちを守るために世話に関わらなかったのだけれども、聖に責任を全うしてもらうことで魚の絶命を食い止めようなんて、そもそも考えが甘かった。聖から生き物を取り上げるべきだった。私も、魚たちを殺してしまった1人だ。隼人は最終的に餌になるゴキブリでさえ手厚く管理している。

『腹減ってそうなのがいるからマウスあげてみるけど見る?無理ならいいけど。』
『ん、見てみる。』
『おけ、解凍するー。』
 隼人は冷凍庫からハムスターよりほんの少し大きいくらいの白いネズミ3匹と、ピンクマウス4匹を素手で取り出した。
 水を張った小鍋を一口コンロの火にかける。指でちょんちょんと温度を確かめ、触れる限界からさらに数秒。ビニール袋にネズミを入れてお湯に浸けた。
『しばらく待つから。』
 待っている間、私たちはそれぞれシャワーを浴びることになった。狭いユニットバス。隼人はシャワーヘッドのホルダーを別でつけて、ギリギリ高いところから浴びているということが伺えた。自分には高すぎてしっくりこない位置から。ときどき、おままごとの一環で聖と一緒にシャワーを浴びることがあったが、裸で一緒に立つと股間の高さが全く同じであるのが気に食わなかった。その上、聖の体はザラザラというか、ジャリジャリする——この部屋までの道中、隼人の腕が私のノースリーブの腕にちょくちょく当たるので気づいたことは聖の肌の粗さだった。隼人は白く滑らかで、タトゥーが映える肌をしている。

 ドライヤーを終えて、元通りの下着と服を着た。同時に隼人が全裸のまま出てくる。彼がドライヤーをしている間、また生き物たちを観察した。起きているヘビはときどき、細い舌をピロっとさせる。リンちゃんはまたゴトゴト音を立て、タランチュラは、人の手が甲を上にして指を曲げているような形でじっと動かないでいる。

『もういい感じだわ。』
 下半身だけ着た隼人が小鍋に漬けていたビニール袋から割り箸でネズミを取り出し、紙皿に乗せて持ってきた。ラックから小さい個体のプラケース4つを引き出して床に置く。
 プラケースのスライド式の蓋をするっと開け、1匹目の給餌にとりかかった。割り箸で摘んだピンクマウスを、小さくて黒っぽい個体の目の前でチラチラと振る。黒いヘビは舌をチロチロとさせながら、目の前の物体を確かめる。少し口先でつつき、これは餌だということを確認したのかゆっくり口を開けてピンクマウスをぱくりと挟んだ。
『わー、可愛い。』
『可愛いっしょ。コイツは大人しくて食べ方優しいの。』
 はむはむとゆっくり、頭を捻りながらマウスを口の奥へ運んでいく。ヘビの食事はだいぶ時間がかかるらしい。喉元を通過するあたりで、次の個体のプラケースを開けた。赤い目の白ヘビはチラつかせたピンクマウスをパシッと勢いをつけて捕獲した。喉を通るとき、首からマウスが透けて見えた。ネズミの形はしばらく先に送り込まれるまで外から確認できた。
 ピンクマウスはすべて小さい個体の中へ飲まれていった。残されなくてよかった、と隼人は言った。ヘビはときどき、どうしても食べたくない日があるのだという。無事にピンクマウスが完売したところで、大きい個体へ毛の生えたマウスを与える。

『コイツは食いそう。』
 ブラックアイリューシの蓋を開ける。
『そんなデカいネズミ食べれるの?』
『おん、胴体の1番太い幅までなら飲める。』
『へぇ〜、こんなにお顔ちっちゃいのに!』
 隼人はマウスを割り箸で掴み、黒い瞳の白ヘビの目の前にチラつかせた。
 バシッとネズミに飛びかかった白ヘビは、体をうねらせネズミに巻きついてそのまま動かなくなった。
『これは今絞めてるつもりになってるの。』
『生きてるとやつだと思ってるんだね。』
 「殺した」ネズミをんぐんぐ、と嚥下し始めた。ヘビの口はかなりの角度まで開いている。カッと目を見開いたまま——ヘビに瞼はないのだけれど、喉の奥に突き刺すように体の中へ取り込んでいく。この状態で呼吸はどうなっているのだろうかと思う。喉を通過するときの首の皮はぴったりマウスの形を包む。首元のうねりで送り込まれたネズミは、やがて太い胴体と同化していった。本体を飲み込んだあと、尻尾をチロッと飲み込むところがちょっと可愛らしかった。
 残りのマウス2匹はパステルとバンブルビーという、いずれも黒と黄色の個体の中に消えていった。脱皮が近いという個体とアルビノは、隼人の判断で給餌しなかった。これらは今は食事を摂らずじっとしていたいのだそうだ。
 ヘビの食事は思ったより時間がかかるので、体を捩らせるヘビを見つめながらセックスでこれから男と絡む様子を思い浮かべてしまった。無傷でつるっと飲み込んだブラックアイリューシ以外は、少しネズミから血を滴らせていたのでプラケースに敷いたペットシーツを交換し、給餌が完了された。

 ここまでで夜中の2時になった。23時頃急に隼人が連絡してきて、今日は休みだから暇で寂しい、晩飯に付き合ってくれと言ったのだ。久子はあまり空腹ではなかったけれどささっと身支度して隼人の最寄駅で落ち合い、途中コンビニでいろいろと買い込んで彼のアパートに行った。ローテブルにコンビニのチキンや麺類、2つ入りパックのケーキを並べて、コーラで乾杯した。隼人はヘビースモーカーで酒を飲まないので彼に合わせた。

 これが私を呼んだ一番の目的、そして私もそのために行った、セックスの時間。隼人は聖の存在を知っている。隼人のほうが、一方的に聖のことを知っている。私がさんざん冗談混じりの愚痴を吹き込んでいるからだ。思えば冗談ではなく本気で彼氏に対して困り、怒っていたことなのだけれど、その当時はどんなに他の男と関係を持っても聖と添い遂げなければならない、聖はイケメン、聖が最も自分に相応しい男だという自己暗示が出来上がっていたので、心の本当の叫びのはずがヘラヘラとした笑い声として発せられていたのだった。
 この頃から、前戯だけでなく挿入も欲するようになった。棒の出し入れであることは変わらないのだけれど、キスと似たような、ずっとそうしていたい感覚が生じるようになった。つるつるした、自分より大柄な体を両脚で締めつけ、両手は上半身を頭と腰の2点で固定しながらあえて限定させた可動域での前後運動を全身に響かせた。
 隼人が果てて、寝バックの姿勢で少し休憩した。隼人は朝までの居酒屋勤めだから、まだ眠くない。私も始発で帰るためにもう寝ないほうがいいだろうと思った。
 時間潰しのための2回戦も、条件によっては盛り上がるようだ。そういえば、隼人は口ピアスもついているのにキスに異物感がない。私たちは朝まで散々絡まり、捩れた。それだけでは飽き足らず、同じ日のうちに昼寝しに戻って来いなんて、くだらなく甘い暇を堪能させてくれる隼人に感謝の念がほわっと湧いたのだった。その愛着に従って、夏休み目前の日差しの中また隼人が管理する「巣」に戻った。


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