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M-1考察:ゆにばーすのネタは「下ネタ」で「異性愛主義的」だったのか?

 はじめに

 M-1が終わった。そう、今回のM-1は終わり、それはつまり今年のM-1が始まったということでもある。それはさておいても、世間としては12/19にM-1が放映され、錦鯉が優勝した。新年を迎え、ほとんどの人はM-1について少なくともTwitterでは話していない。なんでこんなに旬を過ぎてからM-1について話しているかといえば、社会人である私が年末忙しくてまだ今年のM-1鍋に浸かっているからである。

 新年早々真空ジェシカの漫才を見ながら起床し、モグライダーのネタを見ながら朝ごはんを食べ、初詣前にオズワルドのネタを見つめ、元日を過ごした。そしてなんでだろう、と考えた。なんでこんなに見てしまうんだろう。そこで気づいた。今回の大会は「楽しかった」。モグライダーに始まった今大会はどの出場者も「初めてのM-1」「数回目のM-1」それぞれなりに楽しんでいた。緊張していたに違いないし、もちろん必死で私たちには一生見えないほどの努力があることはわからないなりにわかっているけれども、それ以上に「お祭りを楽しんでいる」感があって、悲壮感が少なかった。一組を除いて。

 その一組は言わずもがな、タイトルにある通りゆにばーすである。ゆにばーすってなんだよと思っている方々に一応説明しておこう(そんな人はもしかするとこのnoteを開けもしないかもしれないけどさ)。ゆにばーすは2013年結成のお笑いコンビだ。メンバーは川瀬名人とはらさんの二人。(ちなみに私はThe Manzai世代なのでゆにばーすを初めて見たのは結成して間もない二人が賞レースに彗星のごとく現れた時だった。これはただの古参アピールである。)ネタを作っている川瀬名人は、M-1優勝を獲ったらお笑いを辞める、と断言している。文字通りM-1に魂を売っている人間だ。

出場が決まり出囃子が鳴る中入ってきた二人から漂う緊張感・ピリピリ感を見たときに「あ、M-1だ…」と思った。決勝1回戦で敗退した瞬間の川瀬さんの一瞬の表情を思い出すと私は今でもお腹の奥が少しだけ痛くなる。「蒼白」というやつだった。彼の努力を何も知らないでのんびり見ていた私にも言い表せない感情の一部が流れ込んできたんじゃないかと思うくらいの表情だった。まぁでも、そんなアピールをするために筆を執っているのではない(キーボードを叩いているのではない)。

まず、見たことがない人でこの文章を読みたいなと少しでも思ってくださった方には一度ネタを見てみてもらいたい。(これから多少なりともネタの書き起こしを行ったり、ネタの評価について記事を引用したりするので、とりあえずその前に何の先入観もない状態で見てほしい、という意味である。面白いし。)


こちらのゆにばーすのネタは審査員には評価されていたが、ネット世論ではかなり賛否が分かれたようだった。

例えば、「ゴールデンタイムに下ネタはやめてほしい」と言われたり、

ヒラギノさんの記事においてはこのように評価されている。

『ゆにばーすに関していえば、なんら新規性のない実によくあるジェンダー・バイナリ(性別二元制)とヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範)に基づくネタだった。こちらに関しては「下ネタだ」という指摘が多くあり、確かにセクシャルな部分もあったものの、問題の本質は上記のようなポイントにあるだろう。さらにいえば、そういうふうに男と女の登場する話題をなんでもかんでもエロで括ること自体ヘテロノーマティヴィティ的な発想といえる。』(太字は筆者によるもの)

(出典)https://news.yahoo.co.jp/articles/8070e351771db4cdad15deea832bb37b12b96724?page=2

これらの評価を読んで、確かにそうだなぁ、え、でもどうだろう…という不思議な違和感があったので、(川瀬さんにはおもんないことをするなと怒られるかもしれないけど)真剣に自分の中で考察を行おうと思った。

まずは簡単にこの漫才の構造について自分で作成した書き起こし(最後に付録として残してある。ただしそれだけを読んで「つまらないじゃん」は無しでお願いします。場の空気の掴み方とか、間とか、喋り方とか、誰が言うかによって面白さは変わるので…)を元に改めて再構成を行う。続いて、その構造から言えることについて簡単に考察を行う。考察は主に①異性愛規範について②下ネタについての二つに分類しようと思う。また、以下の文章では川瀬名人を「川瀬」、はらさんを「はら」と敬称略でお呼びすることをここに注意書きとして残しておく。

再構成

 この漫才は「ディベート」を下地に置き「男女の友情が存在するかどうか」について語り合うものとなっている。負けた方は下半期の相手の消費税(30万)を払うことになっている。つまり、このネタにおいて二人は、勝ち負けを追求するために実際に思っていることとは別のことを言う可能性を常に秘めている。川瀬が「男女に友情は存在しない」、はらが「男女に友情は存在する」という立場で議論を行う。

 二人が交わす議論は最初「男女」という抽象的な関係性において、「友情が存在するかどうか」というものだったにもかかわらず、途中から「自分たちを互いに性的な目線で見ているか」というものになっていく。最終的に川瀬は自分が議論で勝利するために、自分がはらをどれほど性的な目で見ているかという暴露を行った上で「もしお前が男女の友情が存在すると主張するのであれば、自分のことは何とも思っていないのだからおっぱいを触っても気にしないはずだ」と主張をする。ちなみに印象として、全編を通してこのディベートで常に川瀬は不利な側に立たされている。

①考察 異性愛規範について

 私はこの「川瀬(男女に友情は存在しないと主張する側)の立場」というものがこのネタにおいて非常に重要だと思っている。最初から最後まで川瀬は滑稽である。そしてとても画一的でステレオタイプなセリフをひたすら言い続ける。危ういほどの断定を繰り返す。『男女の関係性なんてのはつまるところ遺伝子を残しあう関係性でしかないんです』というセリフの後に、「女性の相方」という「遺伝子を残しあう」関係でないものが実はずっと目の前にあったことに気づき、そこで『俺爆裂不利じゃねぇか!』と叫ぶ。この行動により、川瀬の真の立場は「男女の友情は存在する」という立場に近づくが、「ディベート」という場が存在し、負けると罰があるという状況において、「存在する」と主張することはできない。そのため、真の立場を隠した状態で話は進んでいく。これが第一のポイントである。

 川瀬が「俺爆裂不利じゃねぇか!」と性愛の対象にならない相方の存在に気づいた瞬間以降、「男女の友情は存在しない」と真に主張したい人は、舞台上には存在していないのである。

 第二のポイントとして、二人のステレオタイプな会話の流れによる効果も存在していると言える。それは、この議論が「男女の友情は存在するか・しないか」という議論の皮をかぶりながら、本当は「男女の間にすべからく性愛関係が存在する・しない」という議論に(不思議なことに)シームレスにつながっていくということを表す効果だ。本当に議論の目標地点が「男女の友情は存在するか・しないか」であれば、川瀬は「いやだって俺とはらさんはビジネスパートナーであってここに友情は存在せえへんやん。」と言えばいいだけの話なのに、彼らはお互いがお互いを性的な目で見ているかについて話し続ける。つまりこのテーマを扱い、川瀬が敢えてステレオタイプなピエロを演じることにより、この議論のテーマ設定自体が実は根本的に何の意味も持っていない(=誰も本当はそのテーマについて語っているわけではない)ということを示しているのである。

 また、ステレオタイプな言動のつながりで行くと、川瀬の言動を非常にステレオタイプな型にはめることによって、「この話題は陳腐化した」と世間に思わせる効果もある。川瀬の主張はどこかで聞いたような言葉の繋ぎ合わせだ(唯一、はら「じゃあ新幹線で席隣の時は(私のことを性的な目で見てるの)?」川瀬「なんも映ってない夜景に映ったお前の顔じっと見てるよ」という会話についてステレオタイプというよりもポエティックでちょっと驚いてしまった。何なんですか?これは)。

 この「男女の友情が存在するか」という問い自体がナンセンスであるということを「男女の友情がある」と言っている側が逆説的に示す構造や、陳腐な主張を繰り返すことで「この話題が陳腐化した」ことを示すことにより、もしかすると「男女の友情」を話題の俎上に載せる状況自体を減らす効果がありうるかもしれない。 

 ただ、こういう形で「男女の友情」にまるわるネタを演じることによって、世のほとんどを占める「シスヘテロ男性・女性」の存在だけがスタンダードとして念頭に置かれるという状況を再生産しうることは否めないだろう。そこだけは仕方のないことだと思う。(ただ同時に、4分の中に全てを含むことができないのがお笑いでもあるとは思うので、そこについてはとにかく色々な種類のネタが世の中に溢れかえるのを待つしかないし、色々な種類のネタが世の中に溢れかえるのが楽しみだなぁと思う。ワクワクだね。)

 ②考察 下ネタについて

 下ネタとは何だろう。この議論を眺めながら私はそう思っていた。下ネタが、「セクシュアルなワードを使用することにより笑いを誘うこと」だとすれば、私は「おっぱい触らせろ」自体は下ネタだと言えないと思う。それは、あくまでも「おっぱい触らせろ」自体は川瀬が最低な勝ち方(『ごちゃごちゃ言わんと30万払うか俺におっぱい触らすかここで選べ!』)を試みた上で「こんな勝ち方嫌!」で大笑いを取るための伏線に過ぎず、ここでの笑いはそこまで想定されていない(場合によってはほとんどの人が引く可能性もあるとすら想定していたのではないかと想像する)と思うからである。

 そこで私は「下ネタ」の定義をgoo辞書で調べてみることにした。

しも‐ねた【下ねた】 の解説
《「しも」は下半身の意。「ねた」は「たね(種)」を逆さ読みにした語》性や排泄に関する話題。

だそうだ。下ネタでした。ゆにばーすは下ネタを話してました。

おわりに

久々に文章を書いたのでまとまらなさすぎて少し泣きそうだ。文章ってどうやって書いていたんだっけ。今年はそれを思い出す年にしていきたいものだ。何にせよ、こんなまとまらない文章を最後まで読んでくれてありがとうございました。

Appendix : ネタ書き起こし(ディベートの部分のみ)

はら「じゃあ私はコロナ反対派、川瀬がコロナ賛成派」

川瀬「そんな奴おらんわ!ただの風邪派とかやったらおるけど…もっと有利不利ないテーマにしてくれよ!」

はら「じゃあ男女の友情ありかなしか」

川瀬「めっちゃええやん!最初からそれにしとけよ。ちなみに僕は男女の友情なし派でございますね」

はら「私絶対あり過激派!」

川瀬「こわすぎるって。ディベートなんのかそんな奴。それでええんやったらかかってこい。ディベート開始じゃお前。」

はら「だってこないだも男友達の家で、終電なくなるまで肩パンしてましたからね。」

川瀬「過激やなぁ。どこで過激派でてきてんねん。終電超えてそいつんちいきます、そいつんちベッド一個しかない、はらさんとそいつの顔の距離コンぐらい、はらさんそん時一線超えない自信ありますか?」

はら「んんん…」

川瀬「ないですよね。でも致し方ないことなんですよ。男女ってのは生物学上そうなってますから。大人の皆さんやったらもうわかりますよね。男女の関係性なんてのはつまるところ遺伝子を残しあう関係性でしかないんです。残念でしたー!」

はら「じゃあうちらってどうなんの」

川瀬「俺爆裂不利やんけ!(舞台を蹴る)コロナ賛成派より不利なことあります?」

はら「所詮男女は遺伝子を残す関係性でしかない、でしたっけ?」

川瀬「はめられましたわ!こっちがメインテーマですよ!」

はら「川瀬は私のことを女芸人ではなく一匹の雌として見ていたんですねぇ」

川瀬「ウィニングランやめろ!」

はら「常にその一線を越えまいと雄としての本能を抑えこんでいた(しゃがみ、川瀬の股間を指差す)、やるじゃねえか」

川瀬「何してんねんおい。なんで俺の雄の部分と原監督で会話してんねん、意味のわからんなぁ」

はら「もう私の勝ちだね」

川瀬「ふざけんな、まだ負けてないわ」

はら「負けてないの?負けてないってことは、川瀬は私のことを、、、?」

川瀬「いやらしい目で見てるよ!組みたてからいやらしい目で見ている!これでディベート続行じゃボケ」

はら「じゃあ楽屋一緒の時どう思ってんの」

川瀬「携帯ゲームアプリ見るフリしてお前の着替えちょっと見てるよ」

はら「じゃあ新幹線で席隣の時は?」

川瀬「なんも映ってない夜景に映ったお前の顔じっと見てるよ」

はら「じゃあ漫才してる時どう思ってんの」

川瀬「お前に緊張してんのかお客さんに緊張してんのかもうわけわからんくなってるよ!」

はら「頑張るじゃん」

川瀬「しばいたろか!(はらをしばきにいく、はらが胸を手で隠す)触ってない触ってない触ってない!触ってないですよ!(はら、コナンの自白の場面のテーマソングを歌い出す)正直見てたことはある!でも見てるからなにが悪いんですか?皆さんだって見てたじゃないですか。見てることが悪いならなんで、、、その曲やめろ!加害者に鳴らすBGMやからそれ!」

はら「じゃあ男女の友情はもうありってことでいいよね?」

川瀬「ふざけんな!男女の友情ありっていうんやったらお前おっぱい触らせろ」

はら「どういうこと?」

川瀬「だって男女の友情ありってことは友達ってことなんですからね、おっぱいくらい触ったってええやろがい」

はら「そういうことじゃないじゃん!」

川瀬「触らせへんてことは俺を男として意識してるってことになんぞ!」

はら「そういうわけじゃない!」

川瀬「ごちゃごちゃ言わんと30万払うか俺におっぱい触らすかここで選べ!」

はら「参りました、、、」

川瀬「こんな勝ち方嫌ー!(舞台を蹴る)勝ってるけど負けてるからこれ!結局俺が不利すぎるやないか!テーマ変えろ!」

はら「じゃあワクチン飲む派か飲まない派か!」

川瀬「いや打てよ!もうええわ、ありがとうございました」






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