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追悼 大林宣彦さんーー訃報が触れていない、もう1つのライフワーク

大林宣彦監督が亡くなった。昨日一斉にそれを報じたメディアの追悼記事には、数々の映画作品の功績や、平和を強く希求した人物像が揃って描かれていた。

だがーーー私が直に拝見してきた大林さんには、それらの記事にほとんど言及されていない《もう一つの思い入れ》が、確かにあった。

童話を作る子ども達に、余命宣告後に語ったこと

実は大林さんは、自分が映像の作り手のプロであるというだけでなく、アマチュアの人たちの様々な創作活動を応援することにも、それはそれは熱心だったのだ。

映像の分野だけではない。例えば私の故郷・町田市では、市内の小中高校生が自作を出品する「創作童話コンクール」がもう23年も続いているが、大林さんはそこでも初回からずっと審査員を続けてこられた。

余命宣告を受けた後の一昨年2月、そのコンクールの席で大林さんは、作者の子供たち一人一人にこんなことを語り掛けた。

「ガンでもうすぐ死ぬかもしれないと言われているこのおじいさんが、いつまでも死なないで、人として表現して生きていくよという気持ち(でいる。それ) に対し、あなた方が作品を書いてくれて、未来に夢を与えてくれ、そこで互いに生きる力が生まれてくる。

ーーーアマチュアの創作者たちを応援する事は、何かを《上から与える》ことではなく《互いに与え合う》ことなんだ。大林さんは、本気でそう考えていた。

40年応援し続けた、東京ビデオフェスティバル

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そんな思いから、あちこちの市民映像祭などでも気さくに審査員を引き受けていた大林さん。中でも、最も長期にわたってエネルギーを注いできたのが、TVF(東京ビデオフェスティバル)だった。
[上の写真=第9回/審査員仲間の小林はくどう氏・(故)手塚治虫氏と]

過去40年余で、世界50ヶ国以上からプロ・アマ累計5万本を超える動画作品がエントリーしてきた、圧倒的な実績を誇る映像祭。大林さんはそのTVFで、1979年の第1回からずっと審査委員を担ってきた。

そして2009年、創設以来の主催者として潤沢な運営資金を投入してきた(旧)日本ビクター社が撤退しても、大林さんは動じなかった。NPO「市民がつくるTVF」(小林はくどう代表/私も一理事) の立ち上げ発起人となり、寄付金頼りの運営に移って大幅な規模縮小を余儀なくされても、何も変わることなく毎年通い続けて下さった

これ ↓ は、結果的に最後の参加となった一昨年の本番当日。こうして全国から参集してくる老若男女の動画制作者たちの大きなお目当ての1つは、大林審査委員長(最前列左端)から作品へのコメントを直接聴くことだったのだ。

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このフェスティバルの毎年のクライマックスは、↑こうして制作者たちが居並び見つめる眼前で、審査委員らが壇上で議論して今年のグランプリを選出する《公開審査》。そして、制作者たちと審査委員たちが“同じ作家同士”として平場で作品論を交す立食スタイルの《交流会》だ。

「映画はプロが作るものだったけど、ビデオは皆が撮って・皆で観て・皆で語り合うものでしょ。作る歓び、観る歓び、語り合う歓びがあるんだよね」

…と、常々ビデオ(今で言えばスマホ動画だってそうだろう)の魅力を話していた大林さんは、毎年この時間を本当に楽しみにしていた。
特に「語り合う歓び」は、大林さんにとって、本業と根っこで繋がっている同じ営みだったことが、次の言葉からわかる。

「《表現》と言うのは、何も映画を作るだけではないんです。
  こうやって、人と会って話すのも《表現》なんだ。」
  (中川右介編「大林宣彦の体験的仕事論」P.104/PHP新書)

《表現》である以上、それは“歓び”と言っても常にニコニコ和気あいあいとは限らない。公開審査も交流会も、時に尖った議論がスパークすることもあり、それがまたTVFの魅力となっていた。

「僕たちは、ビデオという“もう1つの眼”を持った」


熱血コメント審査員の“2トップ”は、大林さんと、故・高畑勲監督
(スタジオジブリ)。高畑さんは、高校生を相手に「君の作品のあのエンディングは、僕は違うと思う」と真剣勝負を吹っ掛けていたし、普段は温厚な大林さんも、戦争体験を学ぶ重要性を巡って大学生と議論になった時には、「ヒトラーって誰ですか」と訊かれて顔色を変えたこともあった。

客席の、動画作品制作者と言葉を交わす大林さん。右から2人目は、高畑さん。左端は、どうやって時間に収めようかと内心ハラハラの司会(私)

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なんだかこの写真だけ見ると、ズラッとおじさんばかりだし、こんな巨匠たちから議論を挑まれたら、普通の人だったらビビるだろ……と思われそうだが、実際の会話では何故かそうならず、誰とでもフラットに言葉が交わされる。そこが、大林さん達の不思議なところだった。

なぜだろう? 全く威圧感のない優しい口調も、その理由の1つだろう。でもそれは、表面的なこと。やはり、発せられる言葉の根底をどこまでも貫く《確固たるポジティブさ》が、対話の空気を包み込んでいたのだと思う。

人間は本来、賢い美しい生き物だと思うから、いい方向に進んでいくと思うの。人の持っている「いい所」に目覚めさせてくれるのが、ビデオという“もう1つの眼”じゃないのかな。僕たちは、もう1つの眼を持ったんですよ。

…と、大林さんはインターネット番組の対談(本稿末尾からリンク)で、《一般市民が動画作品を撮れるようになったことの意味》を、かつて私に語っていた。生身の私達の眼は、人の欠点・醜さ・妬ましい所…にばかりついつい視線が向いてしまいがちだけれど、ビデオカメラという外付けの“もう1つの眼”は、使いようによっては「いい所」にも気付かせてくれるんだよ、ということか。

なんたるポジティブさ! “人間は本来、賢く美しい”ーーー心底そう信じておられたのか、「そう信じようではないか」という決意表明だったのかはわからない。だがともかく、その信念をベースにして、大林さんは最期まで、普通の市民が “もう1つの眼” で撮ること・つくること・表現することを全力で応援し続け、旅立たれた。

「既存テレビ局の真似っこ表現なんかしないで、自分だから出来る発信を!」…大学の番組制作授業でも市民向け講座でも、私はいつもこればかり繰り返しているが、それと同じ事を大林さんは、はるかにスマートに、そして人生のあらゆる場面に通用する、こんな言葉に深化させている。
 最後に、その言葉を噛み締めたい。  大林さん、どうか安らかにーーー

他人のようにうまくやるより、自分らしく失敗しなさい
これが僕が、最後に皆さんに伝えたいメッセージなのです。
                      (前掲書「おわりに」より)


【参考】大林宣彦監督が熱く語る「東京ビデオフェスティバル」

                 ◆収録場所:大林宣彦邸(都内)
                 ◆撮影:三上尚美、下村優太郎
                 ◆配信:2015.1.11 by WALLOP放送局

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