見出し画像

短編小説(ショートショート)「クソな夜(Shitty night)」

精神が床底まで落ちていって、そこにただ佇んでいるような夜。
ほんとうにどうしようもなくなってしまう夜が、私にはある。
そこに辿り着くまでに、私はあらゆる手立てを使ってそれを阻止しようとする。
陽の光を浴びる時間、仕事をしている時、大切な誰かとコミュニケーションをとっている時、ごはんを食べている時。
私の日常には、生活のそばには、ありあまるほどの恵みがあり、愛があり、心から幸せを感じる。
ただ、その幸せと同時に同じ数の悲しみ、憎しみ、憤りやその他は私のそばにいつもいて、ひとりきりになるとそれらは私を無遠慮に襲う。
ないものにしようとするほど、それらは存在感を増し、そしてなぜか私もそれらに触れたくなってしまう。その思いに抗えず、私は彼らに触れてしまうのだ。
またこの夜が来た、と思った。
いつからだろう。もう友達みたいに思えてしまう。
ひとりきりなのに、なぜか誰かと一緒に悲しんでいるように感じる。それが心地よくて、私は何度もこの夜にトリップしてしまうのかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと、ふわふわしたちっちゃくて可愛いゆうれいが私のもとにゆらゆらしながらやってきた。
ミニっこくて可愛らしい風貌に似合わず、サングラスをかけてちょいワル風にキメている。
「やあ」彼は言った。「元気?」
「元気にみえますか」私は言った。
「みえないねえ」
励ましに来たんだかおちょくりに来たんだかわからない得体の知れないゆうれいに私は苛立ちを覚えた。そんな自分にまた嫌気がさした。
「君はけっこう今、クソみたいだね。」
率直なことを言うゆうれいに、私は返事をする気も失せた。
「しょうがねぇなぁ。じゃあ俺のとっておきのクソエピソード教えてあげるね。」ゆうれいは言った。
「俺ね、こう見えて生きてた頃は結構人気歌手でさ。色んな人からもてはやされたり賞もらったりしてたのよ。だけどさあ、本当にその中で酷いことをいったり、自分の作品を軽く扱われたりすることってたくさんあって。そのときどうしたと思う?」
私は黙ったままゆうれいの話を聞いた。
「そいつらへの怒りとか憤りとか、歌にすんの。だけど、相手が誰なのかとか、怒りすらもわからないように歌の中にちりばめてさ。で、その歌は結構売れてさ。賞取ったりとかしたんだけど、その賞をくれた音楽関係者が、実は腹が立ってた相手」
「…」
「俺さ、その時心の中で、『これ、あんたのために書いた歌なんだよ』って言いながらさ、笑顔で賞をもらってんの。心の中で中指を立ててさ。それが俺の小さな復讐だった。クソでしょ?」
確かに、売れっ子歌手がするにはちっちゃな復讐だな、と想った。
「いやぁ、昔売れなかった頃はよく音楽のことバカにしてくる奴らとかいてさ、このヤローいつか見てろよって気持ちでやってて、で、売れて人から信頼されるようになって、そんな自分もういないみてえな顔してたけど、全然変わってないねえ。」
バツが悪そうに、ゆうれいは言った。
「わぁ。この話墓場まで持っていったのにまさかゆうれいになってから人に話すなんてなぁ。改めて話すと俺ちっちぇー!はずかしー!」
ゆうれいさんは、恥ずかしがってとってもきまり悪そうに笑ってうずくまった。
そんなほころびだらけなゆうれいさんが、
こじらせまくっている彼がとても愛おしく思えた。
あれ?ああ、私はこの人に恋をしているな。と気づいた。
どうしようもないクソな時間は、恋が始まる時間に変わった。
どんな感情も出来事も、なにかひとつのきっかけで意味合いなど後付けでいくらでも変わっていく。
クソな夜から恋が始まり、そして何かの役に立つ瞬間が来るのかもしれない。私は、そう思った。
くだらない話をつらつらしていたら、気がつけば夜は少しずつ開けていた。
「ねえ、ゆうれいさん」
私が呼びかけると、ゆうれいの姿はどこにもなかった。

だけど、なぜかまた会える気がした。
私はゆっくりと立ち上がり、硬く閉ざした扉を開け部屋を出た。
また夜は開け、いつもの朝が来た。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?