#02 欺瞞(ぎまん)by Paulette Kelly
詩篇 120篇1~2節 欺瞞(ぎまん)とは、人をだます、嘘をつくことで、他者をわざと誤らせたり惑わせたりすることを指します。聖書の最初の書である創世記はこれで満ちています。巧妙な蛇がイヴをあざむいて禁断の果実を食べさせました。ヤコブは「自分はエサウだ」と名乗って父イサクをだましました。タマルは、不当な扱いを受けたとはいえ、ユダを意図的に過ちへと導きました。アブラハムはエジプト人の前に妻サラとの関係について嘘をつきました。サラも神に嘘をつきました...
創世記における欺瞞(ぎまん)の例は枚挙にいとまがありません!
人間に欺瞞(ぎまん)を教えたのは誰でしょうか?サタンです。彼は「神はあなたを十分に養ってくれないねイヴ。神は意地悪だ。神が与えないのだから、必要なものは自分で手に入れる必要がある」と嘘をついてもよかったでしょう。サタンがもっと率直なら「私は神の玉座を奪いたかったが、彼は強すぎる。しかしあなたを傷つけることで神を傷つけることができる。この果物を食べなさい!」と言うこともできました。
しかし、サタンにとって真実を語ることは不可能なので、彼は分かれた舌、すなわち欺瞞(ぎまん)を使います。サタンはイヴのところに行って、神の言葉に疑いを投げかけます。「神は本当に言われましたか...?」(創世記2章1節)そして神の言葉を否定し「決して死ぬことはありません。」(同4節) と言い、神の善意に疑いを抱かせました。「神がそう言われたのは、あなたがたがそれを食べると目が開かれ、あなたがたも神のようになり、善悪を知る者になるからです。」(同5節) 彼は果物がどれだけ美味しそうかをイヴに示し、イヴはその言葉に引き込まれました。
ヘブライ人への手紙6:18によれば、神が嘘をつくことは不可能であり、箴言6:16-19では、欺きを神が最も嫌うことの一つとして挙げられています。
嘘は他の悪行と組み合わされて表示されていることに気づきましたか?これは他の聖句でも見られるパターンです。詐欺は呪いの仲間です[詩篇10:7]、憎しみ[箴言26:24]、窃盗、貪欲、姦淫、殺人[マルコ7:22; ローマ人への手紙1:29]は結びついています。
残念ながら、欺瞞(ぎまん)は道徳的に破綻した現代社会では受け入れられるようになっています。多くのディズニーのホームコメディでは、主人公が親や教師に嘘をついて困難から逃れようとすることが笑いのネタとなっています。また辞書では白い嘘(ホワイトライ)を「他人を傷つけないために必要なもの」と定義し、ホワイトライパーティーは大流行しています。また「ウソ」という言葉自体が「事実をうまくごまかす」「もっともらしいことがら」「信じるテスト」などより受け入れやすい意味を帯びるようになっています。そのようなウソとだましで満ちている世界においても、神の言葉は明らかです。
「他のみんながやっているから」といって自分のウソを正当化することはできません。イエスは私たちを救いました。今私たちは彼を主として認めるべきです。
また次の聖書の言葉を心に留め、正直であることを選ぶべきです。
正直さのための祈り
神さま
私の思考、行動、意図において正直であるように助けてください。
あらゆる種類の欺瞞(ぎまん)から遠ざかるように助けてください。
正直でいることが難しい時もあります。しかし、あなたの導きがあれば、これらを乗り越えることができると知っています。また私が犯した罪を認めることで、自分自身に正直であるように助けてください。それらを乗り越えるために私を助けてください。
イエスの名によって祈ります。アーメン
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?