傾聴のはなし
先日のグリーフケア原論の授業のなかで、伊藤先生が上智大学のグリーフケアが目指す『傾聴』について、お話をしてくださった。そのお話が、あまりにも深く、温かく、心を揺らしたので、その記録。
多くの場合、人は傍観者。
まず、近づいてみる。同席者になる。
これが傾聴の第一歩。
話を聞いて、うんうんと理解する。理解者になる。
でも、しっかり聞く、理解する、そうなんだって思う、だけでは、傾聴にはなりません。それは、事柄を聞いているということだから、事情聴取と同じ。
その人は、苦しんでいたり、悲しんでいたり、する。
それを客観的に見ていたら、その人に近づけない。
だから、その人の心の揺れにちゃんと反応をして、近づいてください。
”それってどんな感じなんだろう”と共感してみる。
もちろん、その人とまったく同じ気持ちを感じることはできないから、
想像力やいろんなものを総動員して、自分の心を揺さぶってください。
そうすることで共感者になれるのかなと思う。
その人は、何十年も前のことを話して、怒りをぶつけているかもしれないし、辛い経験を微笑みながら話しているかもしれない。
それでも、あの時のことを、事細かに聞くのではなく、
”この人は、どうして、こんな風に、この私に、話しているんだろう?”
その意味を考える。
”あの時の、あの気持ち”よりも、今、この話を私に話している、その人の気持ちの方が大事。
人が話をする時、何を話そうか全部準備をしているかというと、そうではない。
一言話したら、次の言葉が引っ張り出される。
あなたの視線や、あなたの一言が、引っ張り出している。
その時、語り手は、あなたとの関係性の中で、そこにいる。
聞くことを徹底することで、相手が大事な話を語ってくれるようになる、それが傾聴。
その人には、その人の苦しみがあって、その話を聞いた”私”には課題が降ってくる。
”あなたはどうしますか?”と問われている。
その人がその苦しみに向き合うために、その人がどうあるのがいいか、私がどうあるのがいいのか、を考える。共存者になる。
傾聴は疲れます。
一生懸命に聞こうとすると、その人との関係を生きなくてはいけないから。
傾聴すると、自分の心に動くものがある。いい感情だけではなく、イライラしたり、責められているように感じて辛かったり、そうだそうだ!って鼓舞される気持ちになったり。
揺さぶられている自分の心を見て、理解する。自分のバイアスに気づく。
もしかしたら、”こういう話は苦手なんだよね”って思うこともあるかもしれない。その自分の気持ちもちゃんと見て、”あ、いつも以上に心を定めて聞かないといけないな”って、気づいてもらいたい。
苦しいかもしれないけど、聞いていく過程のなかで、その人の変化に励まされたり、その人の変化を嬉しく思ったり、あるいはその人の崩れていく存在から社会の問題に深く心を寄せたり、その人が少しでも良い状態になるようにどんなリソースがあるか真剣に考えたり、いろんなことに心を使っている”私”、に気づいて欲しいと思います。
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