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朝鳥 礼の「一日一生」

心が震える、本や文献や学び。人々との一期一会。現場での実践や臨床体験からの、共振・気づき・想いなどを書き留めていきます。

昭和〜平成の30年間、私は企業戦士(女) で仕事大好き人間を満喫しました。ティール組織でいうところの所謂 オレンジ 星人でした。

五十歳を目処に人生の午後・セカンドステージをスタートして12年が経ちました。以来、私の志事と探究は「幸せな職場を創る」「人の真の自己を導き出す」ことです。探究分野はひとの「心」の研究とその実践であり、その道のりでは目から鱗。日々生まれ変わるような新鮮な境地を体験させていただいています。

しかしそれは、人生の半ばをとうに過ぎても「あれもこれも知らないことだらけ」「表面的にしか知らなかった」「無知だらけだった」 のでありまして💦「吸収する」ことばかりに夢中になっていたともいえます。

これらの学びをきっかけとした洞察や発見、実践による新たな気づき、今後の探究に向けての展望などを、あらためて「自分の言葉で残しておきたい」と いつからか思うようになりました。

ガソリンエンジンでがむしゃらに頑張った挙句、スマートで立派にやりこなす方々と比べたりして落ち込む癖・・ なども、人格に染みついてしまっていることにも注意しながら💦  

心が震える、本や文献や学び。人々との一期一会。現場での実践や臨床体験からの、共振・気づき・想いなどを書き留めていきます。

カール・グスタフ・ユング博士(スイスの精神科医・心理学者:1875–1961)の晩年の精力的な著作活動を知って、強い憧れを抱いていることもこの note 誕生のきっかけとなりました。無論のこと、それらは彼の七十歳に至るまでの膨大にして的を得た実践的研究や活動という土台の上にこそありました。その事実もわきまえつつ、なんの制約もLimiting Beliefもなかったようにして、私なりの人生の最終章を生きていくことを自らにゆるしてみよう。ユングのいう「個性」を。他者と比べないあり方で著してみたい・・と希っています。

一九四四年の大患からユングは回復し、一九四五年には世界大戦も終結した。この年に彼は七十歳の誕生日を迎えたのであるが、その後の彼の生活は、悠々自適などというイメージとははるかに異なるものであった。第9章の終りに示したように、彼は「偉大なる肯定」に達していた。しかし、それは彼にとって新たな創造へと向わせるものでもあった。・・・「私の主要な著作の多くは、この時期にはじめて書かれた。私のもちえた洞察、あるいは万物の終末についての直観が、新しい公式を採用する勇気を与えてくれた。もはや、私は、自分自身の意見を貫きとおそうとしなくなり、思考の流れにまかせた。このようにして問題の方が私の前に現われてきては、形をなしていった。」彼の晩年の仕事については、次節に述べることにするが、その主要な著作のほとんどが七十歳以後に書かれたとは、驚嘆に値することと思われる。・・・あれほどの偉大な仕事を成し遂げながら、なおかつ死に到るまで普通の人間でもあり得たところにユングの測り知れぬ偉大さがあると感じられるのである。

出典:ユングの生涯(河合隼雄著)

このnote は「朝鳥 礼」<early bird REI:早起き鳥の礼> のペンネームで、書いていきたいと思います。                                            
          2024年5月6日


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