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その景色は、あまりにも美しくて

8年前の2016年は、お正月に岡山県倉敷市から広島県福山市へ小旅行をしていました。

その最後に立ち寄った鞆の浦での体験を振り返った当時の書き物が出てきたので、改めてここに記したいと思います。


忘れられない風景が、医王寺の鐘の前から見下ろす海と街並み。

静かで、穏やかで、高らかな鳥の声と音もなく耳に響く微風と、何に遮られることもなく届いてくるモーターボートのうなり。

海を見はらす斜面に降り注ぐ陽の光の明るさ。

急な勾配の坂にへばり着くように立ち並ぶ家と、車が行き交うのに苦労するメインロード。

地元のおばあさんが当たり前のように声をかけ、笑顔でゆっくり歩き去る姿。

その傍らで、住む人を失い、暗く閉ざされたままの家や、使う人のいなくなった建物がそこかしこに点在している。

この街の灯を消してはいけない、と思う。

日本中にこんな田舎の暮らしがある。

どうすれば、ここに生まれた人が故郷を去ることなく、この場所で生き続けることができるのだろう。

どうすれば、ここで生きるからこそ、という生活を営めるのだろう。



テレビ画面に映る能登の震災直後の光景を見つめていると、8年前の記憶にまた違った色合いが添えられるようにも思います。

日本の至るところに鞆の浦があり、能登がある。美しくて、でもどこかかなしくて。

荒ぶる自然の前に、人のつくる世界の弱さを感じずにはいられません。

私たちの生きる社会は物質的にはすでに十分に豊かになった、これからは心の時代である、とする言説にいつも小さな違和感をおぼえていました。

そこにはまだ格差のなかで日々の衣食住にも事欠く生活を送る人がいる。

こうしたことが起きたとき、瞬間的にはその地域全体に「弱者」の存在が立ち現れるけれど、時とともに復興の側に立てる人たちと、いつまでも「底」から抜け出せない人たちに分かれていく。

自然の猛威が教えてくれることに、私たちはどこまで目を向けられているのか、と。

そこには、これまでも取り残されていた人たち、新たに取り残される側に追いやられる人たちの存在がある。

その痛みに気づかないふりをする私たちの社会は、本当に豊かになったと言えるのか、と。

自分は誰のため、何のために働くのか、真摯に考え直して、できることを見出だしていきたい、1ミリでもこの状況を変えるために行動したい、そんな想いを掻き立てられる今年のはじまりです。


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