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災害時の食〜しぜんのかがく10月ep.15 ぼうさい豆知識〜非常食をどう備える?〜

(今回の記事は石川伸一著「もしもに備える食」、名古屋市港防災センター企画展「災害後のはじまりのごはん」を参考にしています)

今回は災害時、どんな食事になるか?どんな気持ちで食べていたのか?災害時の食事で大切なものは何か?3つの時代の災害エピソードから紹介しましょう。

まず2011年東日本大震災の体験談です。(3月11日に発生。震度7。東北地方で大きな被害。死者行方不明者2万2318人。津波で多くの人が亡くなりました。)

「コンビニでいつもは買えるおにぎり。個数制限があって買えなかった。お店から出るとお兄さん二人が『ちゃんと買えましたか?子供さんだけでもどうぞ』とオニギリをくれた。涙が出そうだった」
「大家さんがアパートの一室を食堂として提供してくれ、4家族が持ち寄りと共同出資、共同購入でガスが通るまでの2ヶ月ほど食事を共にしました。

1995年阪神淡路大震災体験談(1月17日朝5時46分に発生。神戸など直下型地震。死者行方不明者約6432人。家屋倒壊や火災で亡くなった方が多かった。)

「自宅の1階に寝ていた。地震で2階に押しつぶされたがタンスとの隙間で助かった。出られずだんだんガスの匂いが強くなり、漏電で火がついたらどうしようとパニックになった。その時「まだ生きろ」という声のようなものが聞こえ、無意識に手や頭で出口を探った。天井の1箇所を頭で突き破り、手で穴を広げて脱出した。家族は2階にいたので無事だった。その後、同僚宅に避難し、家族七人お世話になった。家族は食べ物を分けてくれようとしたが、大人数だし断った。翌日18日祖父の家でお米と卵のパックを取り出した。夕方家族みんなで卵かけご飯を食べた。特別好物ではなかったが、やっと食べられたご飯は一生で一番美味だった。

「自宅は倒壊し、布団ごと生き埋めになった。同じ部屋で寝ていた夫は別方向へ飛ばされ、別々の場所で家の下敷きになった。3時間後ようやく助け出され、そのまま山の病院へ行くが外傷がないため薬をもらって帰ることになった。着替えとお金を貸して下さった友人が病院にかけあって、入院することになった。当日夕方に病院で配られたのがオニギリ1個とコップ1杯の水だった。もらってすぐは気分が優れずに食べられなかったが、翌日の明け方目が覚めた時にいただいた。冷たいおにぎりとお水と共によく噛んでゆっくりと食べた。冬の空気の中ではなんでも冷たくなる。味は覚えてないが、食べたら力が出たような気がした。」

1959年伊勢湾台風体験談(9月26日に発生。東海地方を中心に台風による高潮による被害。死者行方不明者5098名)
「2階の30センチくらいまで水に浸かったので、母や用意していたご飯は水の中(1階)でしたので、翌々日に姉が筏に乗って持ってきてくれたオニギリとお茶が最初のご飯でした。あの時の美味しさは今でも忘れられません。(当時10歳)」

「『水だ!』と聞いてすぐ、何分もたたないうちに床上浸水した。2階に逃げたがすぐ水が来た。『天井破って屋根に逃げるしかない』と大人が話していた。大家さんの2階の6畳くらいの部屋に12人で集まって朝まで過ごした。翌朝は真っ青な空で辺りは水だらけ、窓を開けたら人の体がぷかぷか浮いていてとても怖かった。さつま芋のしっぽをもらって食べたのが最初のご飯。3〜4日たってからパンやおにぎりが届いた。10日くらいして本格的な配給が始まった。天井にパンをぶら下げるほどで嬉しかった(当時小6)」

12年前から64年前の災害時のエピソードです。そこには共通するものがあると思います。

まず災害後に「食べる」ことができるということは、災害の初期を生き残ったことになります。生き残ってやっと食べられた時は本当にホッとした気持ちになったことと思います。食を介して人の温かさを強く感じますね。

震災発生直後は普段の食事を食べられず、いつもと違う食になります。
空腹の時はまずエネルギー源です。炭水化物の主食系であるオニギリやパンは体を動かすエネルギーとなります。避難所でも最初に配られるものです。私は日本人のファストフード、ソウルフードはやはりオニギリだと思いました。人の手で握ったオニギリ。そこには心がこもっていると思います。
また、栄養を取るだけでなく食を介して、人のつながり、家族のつながりが見えてきます。
また、人は「普段食べているものを食べたい、食べなれないものは食べたくない」という真理があるようです。食べ慣れたものを食べるとホッとして、安心します。
また、お話にはなかったのですが、3.11の時に自動販売機のコーンスープが売れていたという話があります。温かい食べ物は体を温めることで血行を良くします。普段食べていたもの、普段の食事にいかに早く戻すのか?が災害時を乗り切るためには重要です。
あと、災害時、もっと大事な食があります。なんだと思いますか?「甘いもの」です。心がホッとする心の栄養になります。3.11の時も地震から半月経ってスーパーに食料品が揃ってきても、仙台ではミスドに長い行列ができる光景が日常だったそうです。
 スイーツの甘さのもとは砂糖、化学的にはショ糖です。ショ糖はブドウ糖と果糖がくっついたもの。ブドウ糖は体を動かすエネルギーとなり、唯一脳の栄養にもなります。また、インスリンの放出を促すことにより、トリプトファン(肉、魚、卵、チーズに多い)というアミノ酸の脳内への輸送を促進し、脳内で神経伝達物質であるセロトニンの産生を高めています。セロトニンは、精神を安定させる働きをします。
災害時も食べていればより精神的な安定が得られ、生きる気力が湧いてきます。美味しい食べ物をおいしさを共有できる人と一緒に食べることで心や脳も満足します。災害時こそ、精神的なストレスを減らすために、満足できる食事ができるよう準備し、工夫することが大事。それが備えるということです。「食べることは、生きること」災害時こそ心に留めておきたい言葉です。

ぼうさい豆知識〜非常食をどう備える?〜

備え方として、発災時にどの順番で食べていくのか?という視点で紹介します。3段階になります。
1.<1〜2日>まずは冷蔵庫にあるすぐ食べられるものから。
 ・ハムやチーズ、パン、豆腐、乳製品(ヨーグルトなど)、野菜など火を
  通さなくてもすぐ食べられるもの。災害直後は片付けもあり調理をする
  気力や時間がない場合もあります。

2.<3〜5日>
 ・少し日持ちをするレトルト食品など。パスタやカレー、素麺、うどん、 
  お餅など。常備野菜(玉ねぎ、にんじん、じゃがいも)、缶詰など。
  があれば、電気やガスが復旧していなくても、カセットコンロがあれ  
  ば、お湯を沸かしたり、アルミをひいたフライパンなどで暖かい食事が 
  食べられます。大人二人で季節によりますが、カセットガスは6〜10本
  必要です。
 (イワタニi-collect https://www.iwatani-i-collect.com/konro/bousai/) 
  停電していたら、肉や魚などは冷凍庫に移し、3日目くらいからは
  野菜と一緒に火を通して味付けして調理しておくと季節によりますが、 
  最大2日ほど持ちます。
3.<6〜7日>
 ・ここでやっと災害備蓄食が出てきます。缶のパンやアルファ化米などで 
  すね。食べ慣れていない食品が多いので、試食して気に入った味のもの 
  を備蓄しておくのがいいですね。乾物(ひじきや切り干し大根、高野豆 
  腐など)を利用すると食物繊維も摂れます。

できることから始めよう!防災対策 第3回‐内閣府防災情報のページ 

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神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく




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