見出し画像

『虎に翼』と『関心領域』を観たり、岡村和義のライブに行ったりした2024年6月の日記

気がつけば6月も終わり。ここ最近をふり返ると、やはり『虎と翼』は外せない。もうあちこちで取りあげられているけれど、優三さんのこの台詞には耳を疑った、いや、感動した。

トラちゃんができるのは、トラちゃんの好きに生きることです。(中略)僕の大好きな、あの何かに無我夢中になっているときのトラちゃんの顔をして、何かを頑張ってくれること……いや、やっぱり頑張らなくていい。トラちゃんが後悔せず、心から人生をやりきってくれること。それが僕の望みです

現代ですらこんなこと言う男性がいるとは思えないのに、あの時代に存在するの??? と考え出すと止まらなくなる。

あなたの好きなようにしたらいいって女性に本心から言う男性なんているわけない、だいたい足をひっぱったり、冷や水を浴びせるようなことを言ったりしたりする輩ばっかりではないか、既婚者から聞く話もモラハラ夫のエピソードが多いし……いやまあ、いるところにはいるのでしょう。私の心がけが悪いからこれまで出会っていないだけで。正直、自分のことでいっぱいいっぱいで他人の面倒をみたり思いやったりすることに縁のない人生を送っているし……でも自分のことでいっぱいいっぱいなのは寅子も大差ない。実際、優三さんが出征する際に、自分はこれまで優三さんのためになにをしてあげたのだろう? 優三さんを利用しただけではないか? と寅子が我に返って土下座して謝る場面は心から共感できた……

などなど悶々と考えてしまうので、「優三さんみたいな人ってほんまにおると思う???」と友人に尋ねたところ、「そりゃまー寅子のおかげでお金持ちの家に婿として入りこめたんやから優しくできるんちゃいます?」とリアリスティックな返事がかえってきて、なるほど、と納得した。

2024年5月29日(水)

映画『関心領域』を観た。美しい庭を持つ立派な家に暮らす家族。愛情深く優しい両親に可愛らしい子どもたち。絵に描いたように幸せな一家。たとえ隣の収容所から昼夜を問わず断末魔の叫びが聞こえ、焼かれた人間の灰が漂ってこようとも。

家のすぐ隣に収容所、というのは映画の効果を狙ったものではなく、実際にナチスドイツで収容所所長の任務に就いていたルドルフ・ヘスは収容所のすぐ隣に住んでいたらしい。
同じく収容所の隣に住んでいた一家を描いた小説、ジョン・ボイン『縞模様のパジャマの少年』(千葉茂樹訳)を読んだときは、衝撃の結末も含めて寓話のように感じられたが、ナチス幹部が収容所の隣に居住していた事実に基づいていたのだ。

スタイリッシュな映像が印象に強く残る映画だったが、監督のジョナサン・グレイザーはジャミロクワイの「Virtual Insanity」のMVの監督だったとのこと。そう、90年代を生きた人なら誰もが観たにちがいない、あのMV。バイト先にジャミロクワイ帽をかぶった男子もいたな、なんて思い出す。

それにしても、現在起きている状況を考えると、虐殺は連鎖するのだなとやりきれない思いになる。虐殺の記憶が虐殺を呼ぶのか、それは単なる口実に過ぎないのかはわからないけれど。いままさに虐殺が起きているとわかっていながらもなにもできない、正直に言うと、強い関心を維持することすら難しく感じる自分もいる。ヘス夫妻の異常性は現在と地続きであり(それを示唆する場面もある)、自分のなかにも存在するのだと思い知らされた。

2024年6月14日(金)

Zepp Nambaで岡村和義のライブを観る。念のために言うと、岡村和義というのは岡村靖幸と斉藤和義のユニットである。文句なしにかっこよかった。

岡村和義の曲もそれぞれのソロの持ち味と異なる新鮮さがあったうえに、せっちゃんが岡村ちゃんの「イケナイコトカイ」をカバーしたり、両者の代表曲「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」や「ずっと好きだった」のセッションもあったりと、見どころが盛りだくさんのライブだった。

岡村ちゃんはいかにも天才肌というか、孤高のミュージシャンというイメージがあったけれど、せっちゃんのことが〝だいすき〟らしいことがビンビン伝わってきた。せっちゃんの方は、MANNISH BOYSやカーリングシトーンズやさまざまなユニット活動でつねに大忙しなので(チバとの共作もあった)、恐ろしいほどの人望というか、人たらしというか、バンドマンたらしなんだなとつくづく思った。

(岡村ちゃんも還暦近いはずなのに、動きのキレが半端なかった。せっちゃんのギターのキレもすさまじく、この曲のギターソロは空気を切り裂くような鋭さと力強さがあってただただ聞き惚れました)


↓↓↓サポートしていただけたら、治療費にあてたいと思います。(もちろん強制ではありません!)