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私はいつも5分遅れる

高校1年生の秋、大好きで大好きでたまらない人が、私のことを好きになってくれるという奇跡が起きた。
お付き合いが始まり、最初のクリスマスには、初めて電車に乗って遠くまでデートに行くことになり、それはもう何日も前から楽しみで楽しみで準備をしていた。

しかし、当日の朝、私は超絶焦っていた。

「着ていく服が決まらない。」

念願のクリスマスデートで、何日も前からウキウキして、お気に入りのスカートにお気に入りのセーター、靴下に靴と、フルセットで決めていた。
それなのに、服が決まらない。決まらないから、出掛けられない。それでも、待ち合わせの時間は迫ってくる。
焦れば焦るほど決まらない。決まらないから、余計に焦る。悪循環だ。

そこまで焦っている原因は、コートだった。
当時、真っ白のロングダッフルコートという、ある意味で超個性的なコートを気に入っていた私は、もちろん前日までそれを着ていくつもりだった。
それが、前日の夜の電話で、彼が「俺も白のダッフルコート買った💕」と言い出したのだ。

いやいやいやいや、白のロングのダッフルコート着てる二人組って。恥ずかしすぎる。
いや、お揃いは嬉しいけど。いや、嬉しいか?いや、嬉しいどころじゃない。ひたすらに恥ずかしい。
そんなこと気にしない彼のマイペースなところが好きだけど、超好きだけど、それでもムリなものはムリだ。
ペアルックという響きからしてムリ!

電話を切った後、急遽姉からそこそこかわいい茶色のダッフルコートを借り、それに合わせて中に着る服を考え直した。
でも、普段着てるコートじゃないから、コートの丈とお気に入りのスカートの丈が合わない。一晩考え、朝になってもどうしようかこうしようか考えてるうちに、待ち合わせの時間が迫ってきた。
いや、でもまだ大丈夫。もう少し考えれば、最適なコーディネートが見つかるはず。いや、見つからないか?ってか、あれ?やばい。これは、時間が本当にやばい!!

あああーーー、もう仕方ない!!
何の思い入れもない無難なスカートに、姉から借りたそこそこかわいい茶色のダッフルコートで、待ち合わせている駅に向かう。
初の遠出デート(しかもクリスマス)だったのに、お気に入りでもなんでもない服。
残念。残念だけど、仕方ない。時間は待ってはくれない。。。

当時私が住んでいたのは、地方の田舎町で、電車は1時間に1本しかなかった。このままだと、発車時刻ちょうどに着くかどうかというあたり。待ち合わせの電車を逃したら、ホームで1時間待ちぼうけになってしまう。

運転する母を急かして、駅に着くなり車から飛び降りて、全力で走って向かう。どうか間に合ってくれ。
一番安い切符を買って、駅員さんに「どうにか乗せてください!!」と叫ぶも、ホームに上がる階段を必死に駆け上ってる最中に、電車は出発してしまった。

汗をかいてたどり着いた先のホームでは、大好きな彼が、呆然とした表情をしてこちらを見ていた。
「ごめん。。。急いだんだけど、間に合わなくて。。。」
「うん...大丈夫...知ってる...いつものことだし...」
大好きな彼は、ひとり白いダッフルコートに身を包んで答えた。

これ以上気まずいデートの始まりを、私は知らない。

「いつも5分遅れてくる遅刻魔」というのが、この社会には存在する。いつも5分遅れるなら、ただ5分行動を早めればいいだけなはずなのに、いつも5分遅れてくる。
それが私だ。

なんでいつも遅れるのか、正直自分でもよくわからない。わからないけど、必ず5分遅れる。必ず遅れるということだけはわかってるから、最近では30分前に着くように行動している。
まったくもって理屈はわからないけれど、そうするとなぜか時間ピッタリに到着する。5分遅れないようにするために、30分前を目指す。
どうやら、私にとっての5分と、社会での5分は、大きく大きくずれているらしい。

理屈はともかく、そんなやり方を身に付けて、遅刻はしなくなったと言いたいところだけど、「ここぞ」というタイミングで遅刻魔が発動してしまうのは今も昔も変わらない。

高校の時、1年の締めくくりの演奏会の当日、100人以上いる部員誰一人として遅刻しない中、私一人だけが5分遅刻して怒鳴られた。
友人の結婚式の受付を頼まれた時も、「30分前に着くのがルールらしいよ!」と一緒に受付をやる友だちに偉そうに話しておきながら、結局は私が5分遅刻した。
最近では、市内のPTA会員が集まる総会で、市長や教育長まで来てくれるという日に、参加者を迎える側だったのにも関わらず、託児の手間がどうにも間に合わずに5分遅刻した。

少しだけわかっていることは、どうやら「ここぞ」というタイミングになると、私の中で「もう少しでより良い状態になる」みたいな発想が次から次へとわいてきて、それが「時間」との戦いに少しの間だけ勝ってしまうということだ。
最後にはいつも「時間」に負けてしまうのだけど、その「より良い状態」に助けられた経験もゼロではないからか、私の脳は、いつもそう働くことを選んでしまう。

そしてそれは、人生で一番の「ここぞ」というタイミング、出産のときにも、やはりやってきた。

次男出産当日。
朝に陣痛が始まったので、とりあえず病院に行く。車で5分くらいで着くわりと近い病院で、日曜で夫もいたので、2歳の長男と夫と3人で向かう。

病院で診てもらうも、まだまだ産まれそうにはない段階の軽い陣痛。
「入院してもいいけど、時間もまだまだかかりそうだし、自宅でゆっくり休んでてもいいよ。そのかわり何か少しでも変わったことがあったら、すぐに連絡してね。」と、ダンディーなY先生に言われる。

ここの病院は昔からある小さな個人病院で、設備も何もかも古い(血圧はシュポシュポする手動のやつと時計で毎回測る)。だからか、先生の腕は確かなんだけど、いつも空いている。
この日は日曜で通常の診察もないし、入院してる人が1人いるだけで、病院でものんびり過ごせそうだったけど、2歳の長男も飽きちゃうだろうし、病院も近いし、いったん家に帰ることにした。
布団に横になり、母親学級で教わった呼吸法で陣痛の痛みを逃す。布団に横になってる分には陣痛もそんなに進まず、そのままダラダラと過ごして、気が付いたら夕方になっていた。

なんとなく、ほんの少しだけ痛みが強くなってきた気がする。でもまだ連絡するほどじゃないかな?と思ったその瞬間に、そういえば、長男を産んだ後はしばらくお風呂に入れなかったことを思い出した。よし、今のうち!とシャワーを浴びることにした。
そして、シャワーを浴びながら、産んだ後は、しばらくご飯を食べる気にならなかったのも思い出した。そうだ。冷凍のサイコロステーキがあったはず!あれなら、焼くだけだから夫でもおいしく作れるはず!よし、今のうちに食事だ!!

後から知ったことだけど、お風呂とご飯(しかも牛肉)の2つは、進まない陣痛を進めるのに有効な手段らしい。
そんなことは露知らず、今のうちにできること!とお風呂とご飯を堪能していたら、突如明らかにこれまでと違う強さの痛みの陣痛がきた。
どこかを握ってないと耐えられないレベルで、呼吸法なんて呑気にやってられない。それまでは10分置きだった陣痛の間隔も、5~6分置きになる。

あ、これ、いよいよきた。すぐに連絡しないといけないやつ!
と思うも、一応陣痛の間隔をはからないと、正確な状況がわからないから、次の陣痛を待つ。5分間隔。念のためにと、もう1度待つ。5分間隔。
うん。よし、これはいよいなやつだ。病院に行こう。
夫よ、タクシーを呼んでくれ。

夫にタクシーを呼んでもらい、2歳の長男には「おでかけするよー、じゅんびだよー」と声をかけて、私は入院グッズの最終確認をする。
そして、さぁタクシーが来た!病院に行こう!というまさにその瞬間、これまでと比較にならないレベルの痛みが襲ってきた。しかも、痛みが治まっても、その次の瞬間にはまた痛みがやってくる。
横になってた私は、もう床を這う事しかできない。

え!!やばい!!!これは産まれちゃう!!!!

咄嗟にそう判断した私は、夫に「先生に電話して!」「病院行けない!ムリ!!」「産まれちゃう~!!」と叫んだ。

驚いた夫が病院に電話して、「なんか、産まれちゃうって言ってて、、、あ、先生が病院行けるか?って。」「行けない!!来て!!!」「あーー、行けないそうです」「いやーー、赤ちゃんまだ産まれないでーー」「あ、はい、まだ産まれてはないです」「あーーー、産まれちゃうー!!まだだってばーー!!」「はい、お待ちしてます!」先生が来てくれることになった。

病院からうちまでは、車で5分弱。
この、先生の到着を待つ5分間は、人生で一番長く感じた5分間かもしれない。

とにかく産まれないでくれ!まだだ、まだ早い!
あと5分待ってくれ。5分だけでいいから、待ってくれ!
ってか、もう先生を待つのが辛い。5分待つのが辛い。
先生早く来てー!!5分だろうと待てないわ!!
あぁ、いつも私の遅刻で5分待たせてた皆さん、ごめんなさい。5分待つって、こんなにしんどいのね。
これからは反省して5分も遅れません。
白いダッフルコートを着て、呆然とこちらを見ていた元彼の姿を心を刻んで、金輪際遅刻しないことを心に誓います。
だから、先生早く来てーーー!!!!!
赤ちゃん、産まれないでーーーー!!!!!!

なんて、そんなことを考える余裕はまったくなかったけど、長い長い5分間が過ぎて、家の外から「すわさーーーん!」と叫ぶ声が聞こえてきた。「先生!こっちです!!」夫が先生を呼び入れて、先生もダッシュで家に入ってくる。
「どうにかまだ産まれないでくれ」と、痛みも忘れるほどに祈り続けていた私は、いつものダンディーなY先生の姿を見て、ものすごくホッとした。

「病院行ける?」と聞かれて、「ムリ!もう産まれるーー!」と半分泣きながら叫ぶと、先生が一瞬で自宅出産の準備を整えてくれて、結局先生が来てから5分もしないうちに次男が産まれた。

先生の指示に従い、分娩台の変わりとなっていた夫は、本当に目の前で次男が産まれてくるのを見て、さらに産まれてすぐに産声を聞いて、「あぁ、こうやって産まれても、ちゃんと産声をあげるんだなぁ」と思って、結構感動したらしい。
ちなみに、私はこのあたりの記憶は一切ない。

覚えているのは、バスタオルにグルグル巻きにされた次男を、大事そうにかかえた夫と、歩いてタクシーに向かったところから。
妊婦として乗るはずだったタクシーに、今まさに産んだばかりの新生児と母親として乗ることになった。
あの時のタクシーの運転手さん、待たせてごめんなさい。安全運転、ありがとうございました。

まさか自分が自宅出産するなんて思ってなかったし、先生に聞いたら、「5~10年に1人いるかどうかくらいかな」と言われ、やっぱり相当希なケースだったらしい。
この時産まれた次男は、出産の仕方とは関係なく先天性の疾患があり、ゆっくり発達をしながらも、もう8歳になる。ということは、そろそろ私と同じようなうっかりさんが誕生しているのだろうか。

ちなみに、この5年後に三男を産んだ時は、この病院とは別の助産院だったのだけど、「私は産まれるタイミングがわからなくて、バタバタしたあげく、自宅で産む可能性があるので、陣痛がきたらすぐに助産院に来て絶対に帰りません」と宣言しておいた。そして、実際に陣痛がきてからすぐに助産院に行き、何を言われても頑として帰らなかった。
助産師さんからは、「こんな軽い段階で入院する人、珍しいよ~」と笑われたけれど、そこで一度家に帰って、再度適切なタイミングで助産院に行けた自信は、今でも全くない。

「もう少し早く来てくれればよかったのに」

次男出産後、落ち着いた後に、Y先生にそう言われて気が付いた。
そうか。出産というここぞという時に、私はまた遅刻したのだ。

最初に少しだけ痛みの感じが変わった時、お風呂や夜ご飯が思いついてなければ。
明らかに痛みの種類が変わった時、律義に時間を計ってなければ。
もしかしたら、間に合っていたのかもしれない。それでも、私の脳は、やっぱりそちらを選ばなかった。いつものことだ。

病院までは車で5分。

やっぱり私は、いつも5分遅れる。

(キナリ杯 応募作品)

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