見出し画像

ロシアを止めたい

パラリンピックが始まっても、ロシアは止まらなかった。
期待してたわけではないけど、0.01ミリでも可能性があるのならと、すがりたいような気持ちもあって、でもまぁやっぱり止まらなかった。
ロシアはオリンピックの閉会と共にウクライナに攻撃を開始したわけだけど、そこまで待ったのなら、なぜせめてパラリンピックの閉会まで待てなかったのか、というのも変だけど、パラリンピックをなんだと思ってるんだとか、なんかそんな文句すら言いたくなる。
でもまぁこれが現実でもあり、それはなんだかもう何重にも苦しい事実だ。

ロシアを止めたい

私の中にある気持ちに、やっと適切な言葉が見つかった。
戦争は嫌だ。争いごとは嫌いだ。争いのない社会にしたい。戦争のない社会にしたい。というのも私の中にある気持ちだ。でも、その気持ちと今「戦争反対!」と叫ぶことがうまくつながらずにいて、その気持ちをどう表現したらいいのかわからなくて、ずっと戸惑っていた。

私は、ロシアを止めたい。
ロシアが悪いとか、いや本当はウクライナが悪いんだとか、実はアメリカが悪いとか、なんかそういうことではなくて、とにかくロシアにいったん止まってほしい。
そこに傷付いている人がいるのだ。命を落としている人がいるのだ。
だから、止まってほしい。止めたい。ただそれだけだ。
戦争反対ですらない。戦争は嫌だけど、今言いたいことはそうじゃない。
一方的なロシアの侵略なのかどうなのか、それもわからない。
でも、止まってほしい。止めたい。

ロシアを止めたい

発達に特性のある子どもを育てている親の悩み事でよくあるのが、我が子の他害をどうしたら止められるのか、というものだ。子どもの特性上、瞬発的に起こる他害をなくすことは難しいというのもあって、基本的にはどうしたら止められるのかという視点で考えている。
そして、そういった問題がある時に周囲の大人ができることは、
・他害の瞬間に介入して被害をなくす
・他害したいと思わないでいられる環境をつくる
・できるだけ他害しないでいられるように育てる
の3つに分かれる。

今、この社会の中に、この3つが入り乱れているんだなと気が付いた。
いや、厳密には4つかな。
・他害を受けている子が反抗する
というのもある。ある意味では、2番目の環境設定でもあるのかもしれない。「こいつには敵わない」と思ったら他害をやめるかもしれない。
でも、この反抗をする理由は、本来的には他害を止めるためではなくて、あくまでも自分を守るための防衛反応だ。そこは忘れずにいたい。

「戦争反対と叫ぶ前に、自分の目の前にある暴力性をなくしたい」
今、いろんなSNSで、私が前のnoteでも書いたようなこういった主張が、よく聞こえてくる。
私は正常化バイアスによるものだろうとも思っていたけど、それに加えてこの2番めの環境設定の話でもあるんだろうと思ってきた。そもそも暴力性がなくなった社会であれば、こういった問題は起こらないはずだから。
そして、実際に今社会全体がそんな社会に変わったのなら、戦ってる人は居心地が悪くなるはずで、その気まずさでふりあげた拳をおろしてくれるのかもしれない。でもまぁ暴力性のなくなった人間というのもとても気持ちが悪いし、そんな可能性は0.0000001ミリでしかないということはわかっている。砂漠に水やりしているようなものだ。もしかしたら、それよりも意味がないことかもしれない。
それでも、やらないよりはやった方がマシだ。ものすごい微力だとしても無力ではないし、それを見ているまわりの人がいる。そこから広がることもあるだろうし、将来こういった問題を起こさないようにすることにつながるかもしれない。
だから、できるならやった方がいいと思うし、非常時だからと、このことを忘れちゃいけないとも思う。

でも、それでは今この瞬間のロシアは止まらない。
それは事実として受け止めないといけない。

ロシアを止めたい

今、この瞬間にロシアを止められるのは誰なんだろう。
ロシアが振り上げた拳を下すことはできるのは、どんな理屈なんだろう。
ここ数日ずっと考えている。

1つはロシア国民による反発だ。
そうは言っても、プーチンさんを国の代表として選んでるのはロシア国民だ。だから、ロシア国民が全員プーチンさんを代表として認めないと言えば、プーチンさんはロシアの代表ではいられなくなって、ロシアは止まるのかもしれない。
でも、今はプーチンさんに逆らうとたとえ子どもでも捕まってしまうし、それこそ大人はリアルに命がかかっている。そんな中で選ばされたものの責任を押し付けるのも違うかなと思う部分もある。

それでもやっぱりロシア国民の力は大きい。国際社会の反戦の声を受けて、プーチンさんを批判するロシア国民も増えてきている。
フィギュアスケートのプルシェンコさんは、「プーチンさんなら止めてくれると信じてる」と訴えかけた。もしかしたら全ロシア国民がその同じ声をあげたら止まるのかもしれない。

だから私は、ロシアを止めるために、ロシア国民の方々を励ましたい。ロシア人をロシア人だからと敵視して排除するのではなくて、「あなたたちを信じてるから、プーチンさんを止めてくれ!」と励ましたいと思う。
でも、それはある意味ではそうやった反発する人を死に追いやることなのかもしれない。だから、命まではかけなくていい。できる範囲でいいから。そう言いたくもなる。

その中で、どうにかロシアを止めてほしい。

ロシアを止めたい

あとは、やっぱりまわりの国々の働きかけも大きい。
一人の人間の他害だったらまわりの大人が身体を張って止める。それが一番手っ取り早いし、瞬間的にはそれしか止める方法はないのが事実だ。
他害の瞬間に対話とかそんなものは成立しない。物理的に身体を抑え込んで引き離すか、別の刺激を与えて気持ちをそらすか、それくらいしかない。

その気をそらすような別の刺激としてパラリンピックに期待していたわけだけど、まぁその刺激には全くなりえなかった。残念ながら。

じゃあ、この物理的に抑え込むというのは何かというと、経済制裁になるんだろうなと思う。経済的に止めることで、国としての動きを物理的に止める。
ロシアの中央銀行の資産凍結に、貿易決算システムSWIFTからのロシアの排除が行われて、ロシアの大企業がロシア政府に対して批判の声を出し始めた。アップル社もロシアでiphone含むすべての商品の販売を停止した。
これらは実際のところじんわりと効いてきているんだろうと思う。でも、また物理的に抑え込むところまではいけていない。もっともっとこの流れを大きくしていくために、何ができるんだろう。

例えば、自分が働く会社にロシアでの流通を停止してほしいと要望をあげてみるとか、そういうこともあるのかもしれない。大企業で働いたことがないからわからないけど、そういう影響を与えうる会社で働いているなら、そういうことはできるのかもしれない。

少なくとも、人類は歴史上の学びとして、武力による戦争ではなく経済戦争という形での戦争の方がいいという結論に達している。私にはそう見える。
資本主義社会がいいという事でもない。社会主義だとしてもいい。経済戦争による経済政策の失敗で失業者が出ても自殺者が出ても、それでも武力による戦争よりはマシだと、2回に及ぶ世界大戦とその時の核爆弾による被害の大きさで学んだんじゃないのか。

だから、あの手この手の経済制裁を尽くして、ロシアを止めたい。

ロシアを止めたい

あとは、ゲンコツを喰らわせて止めるみたいな意味で、武力介入もあるのかもしれない。でも、現段階ではどこの国も直接の武力介入はしていない。武力介入すると、話が大きくなって全世界を巻き込んだ世界大戦になってしまう可能性も高い。
ロシアは経済的には豊かではなくても、軍事的にはまだ大国ではある。誰もロシアを中心に世界中を巻き込んだ世界大戦は起こしたくない。

ただ、たくさんの国がウクライナに武力支援を行ってはいる。アメリカやEUは次々に武器をウクライナに送り込んでいるし、日本は武器は送らないけど防弾チョッキを送ることを決めた。攻めには協力しないけど守るためのことは協力するという、実に日本らしい逃げ道を残した結論だ。
この武力支援は、ロシアの拳をおろさせることにつながるのかというと、多分そうではない。一時的にウクライナを守るだけだ。武力が均衡になれば、ウクライナの一方的な被害は減るかもしれない。でも、戦いが続いているうちはずっと被害は起こり続ける。人の命が危険にさらされ続ける。

しかも、武力支援を行うことはロシアをどんどん煽る結果につながっている。実際、「武器支援を行った国は敵国だとみなす」とプーチンさんは怒っている。拳をおろそうとはなっていない。

だから、ウクライナの被害を抑えるために一時的に武力支援を行うけど、その裏で経済制裁や外交交渉を進めていく。武力支援ではロシアは止まらない。

ロシアを止めたい

「対話」という言葉がある。こんな緊急的な時にはなんの役にも立たないと言われるけど、やっぱり外交交渉というのはとても大事で、その中で対話はとても大事なんだと思う。
結局のところ落としどころはどこになるのか。
お互いの背景を理解し合って、それぞれの主張を聞いた上で、まだここにない新しい答えを生み出していくのが対話だとすると、最後の最後、ロシアを止めた上で、あげた拳をおろさせるのは対話だ。

今、国連や国や自治体が、ロシアのウクライナ侵攻を非難するという決議をしているけど、これは対話というよりは、居心地悪くさせてやめさせよう大作戦だ。
これはロシアに効いてるのかな。意固地にさせるだけなような気もしてしまう。まぁ、それも含めて対話だという人もいるのかもしれないけど、むしろこれはまわりの国々による踏み絵にすら見えてしまう。

本当の対話は行われているのだろうか。新しい答えを見つけるための、安心安全な状況下での、対等な関係性の中でのクリエイティブな協議は、行われるのだろうか。国連の中でも、きっと対話は行われていないのではないかとそんな気がしてしまう。
だから、対話そのものが無力なわけではない。ただ対話できる環境はそう簡単にはつくれない、というのが事実だろうと思う。
まぁその環境がつくれた時点で、問題の大半は解決しているとも言える。

まだここにない新しい答えはなんなんだろうと、ロシアとウクライナの歴史を調べてみたけど、やっぱりNATO加入とクリミアをどうするのかとか、そのあたりが肝になるんだろうなという気がしている。あとは、やっぱり核兵器配備の話も絡んでいるようにも思う。でも、もうここは調べきれない。複雑すぎる。
そんな中で、なんかもうNATOとかそういう仕組み自体が古いんじゃないかとか、そんなことも思ってくる。でも、だからと言って新しい仕組みを生み出せばいいかというとそうも簡単にいかないんだろうなと思ったりもするし、新しい仕組みを生み出すときにはものすごい痛みが伴う。

PTA連合会に関わっていて、"連合"というものの難しさとか面倒くささとかを本当に実感しまくっているので、連合という組織体自体がもう古いんだろうなとはよく思う。
じゃあ最先端の組織形態と言われるティール組織を国際社会で実現できるかというと、多分それは程遠い未来の世界だと思うし、それが実現できた頃にはティール組織みたいな考え方は古臭いカビの生えた組織の在り方みたいな話になるんだろうと思う。

日々変わりゆく関係性の中で国としてどうしていくのか。
どうにかうまい落としどころを見つけてほしい。誰かいないのかな。この問題を解決する圧倒的正解を思いついちゃうような天才的な人。
でも、それはナウシカのシュワの墓地みたいに脳みそを書き換えるとかそういうレベルの話になっちゃうかもしれないし、それは一人一人の人間としての尊厳を失わせるものになるのかもしれない。まぁ戦い自体もそういうものでもあるとも言えるけれど。

やっぱりもがくしかない。
だから、各国の外務大臣の方々には、本当に頑張ってほしい。
そして、ロシアを止めてほしい。

ちなみに、ロシアとウクライナの歴史は、このサイトがめちゃわかりやすかった。

ロシアを止めたい

と思って、日本の外務大臣に注目してみると。
今の日本の外務大臣、林芳正さんっていうのね。全然知らなかった。
Wiki情報によると、絵にかいたような自民党の二世議員で、東大法学部出身の岸田派のエース。安倍さんとは同じ山口県だけど、仲はそんなに良くない。ピアノが弾ける。

そして、今の自民党外交の立ち位置を調べてみると、外交に強いと言われ続けてきた安倍さんのいる安倍派がアメリカ寄りなのに比べて、岸田派はわりと中国とも仲がいいと言われている。その立ち位置もあってか、今も日本はどっちつかずの対応をしているようにも見える。

今週の国会で話題になっていたのは、ウクライナの駐日大使が2月に面会を要請していたけど、1ヶ月会えなかったという話。
どうも外務大臣のところに話が通じてなかった、と。その原因に外交副大臣の鈴木貴子さんの存在があると言われている。「口頭の要請はあったけど、書面での要請ではなかったから」と答えた鈴木貴子さんは、北海道の鈴木宗男さんの娘さん。ロシアと密接な関係がある方だ。
ちなみに、この話が国会でツッコまれた直後に、ウクライナの駐日大使と外務大臣は面会した。国会はちゃんと今日もその機能を果たしている。
ただ、要請があったとかなかったとかそういうことじゃなくて、こういう状況だったら、ちょっと話聞いてみようってなると思うんだけど、なんでそうならないのかは本当に不思議だ。こういった政治の世界の難しい事情は今でも謎が多い。

そうやって考えていくと、私は自民党の外交政策については批判的ではない、と前のnoteに書いたけど、そうも言ってもいられないのかもしれない。もうちょっとちゃんと注目をしようと思ってきた。
と言いつつ、やっぱりそういう安倍派がいて岸田派がいて、自民党内でバランスをとってくれる部分があるんじゃないかと、そう思ってしまう部分もあって、そこはなんだかんだ自民党に期待している部分でもある。

経済制裁には協力しているけど、武力支援は防弾チョッキのみ。国連の非難決議には参加するけど、ウクライナと密接な仲にあるわけでもない。ロシアを直接的に止めるという動きにおいて、日本は積極的に前に出ていない。北方領土問題を抱えている隣国なので、前面に出られないという事情も透けて見える。実に日本らしい外交政策だ。

ふぅ。やっとこのあたりの解像度があがってきた。
注目することは何よりも政治の力になる。まずはそこからだ。

ロシアを止めたい

こうやって見ていくと、全世界の"市民"も、ロシアを止めるためにできることがいろいろあるのかもしれない。
・ロシアを止めたいと思っているロシア国民を励ますこと
・経済的な取り組みにはたらきかけること
・各国の外交政策に注目して政治家に声を届けること
多分、他にも小さいことはたくさんあると思うし、世界中の市民の声は、これらの行動のモチベーションになりうるのかなとも思う。

さらに、こんなことをしたくなくなるような社会づくりという意味では、目の前の暴力性をなくしていくこととかそういうのもあるんだろうと思う。
今この瞬間のロシアを止めることはできないけど、まぁすべてにおいて可能性はゼロではない。

そして、「戦争反対」「No War」という言葉は、多分今一番わかりやすい共通言語で、その1つの言葉をみんなが使うことで、大きなうねりを生んでそのうねりがロシアを止めることもあるのかもしれないとも思う。それなら、こちらの思惑とは少しずれていても、この言葉がふさわしいのかもしれない。
ただ、本質的には、私が今言いたいのはロシアを止めたいということだ。

戦争のない社会づくりはそれはそれで常に考えているし、常に訴えているし、常にはたらきかけている。
私がこうやってNoteを書いているのもそうだし、政治に興味を持ったり、できるだけ子どもの声を聞く子育てをしたいと思っているのも、最後の最後はみんなが平和に楽しく暮らしていきたいからで、それは「戦争反対」「No War」という言葉につながっている。
だから、個人的には「戦争反対」とか「NoWar」という言葉は、非常時ではなくて日常の中に取り入れていくべき言葉なんだと思っていたりする。なんで今「戦争反対」って叫ばないのかと聞かれて、そのことに違和感を感じたのは、それは普段から訴え続けていることで、なんで今さらと思ったからなのかなとも思った。その言葉で言わなくてももうずっとずっと訴え続けている。だから、なんであえて今それを叫ぶんだろう、と。

今はそれよりも、ロシアを止めたい。
それが私の中にある正確な言葉だ。
大分正常性バイアスが取れてきた感はある。

ただ、そのために「戦争反対」「No War」という言葉が役に立つのであれば、やっぱり叫んでみようと思う。ロシアが悪いとか間違ってるとか、今はそういうことではなくて、ロシアを止めれる可能性が0.00000001ミリでもあるのであれば、やらないよりはやった方がいいとは思うから。

ロシアを止めるにはどうしたらいいんだろう。
私には何ができるんだろう。

今はそれを、毎日毎日考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?