見出し画像

不安を手放す。

「不安」とは最も扱いづらい、そして根拠なき、解決できない感情だ。

2020年に結婚式を終えて、私と夫はせっかちなので、タイミングなどは試さず、すぐに不妊治療を始めた。が、そこからが長かった。AIH(人工授精)ですぐに授かるも、流産、そして手術。悲しむ暇もなく転院をして、体外受精を受けるも、授かってはまた流産を繰り返した。問題を見つけては解決して、また移植を繰り返して、疲弊していった私は昨年の秋に受けた算命学で、2024年2月まで子供ができづらいと言われ、一旦移植を中止した。そして、あけた3月、仕事も落ち着く時期だったので、久しぶりに体外受精をすると一度で陽性。そして、順調に子供は育っていった。

つわりや頭痛などに悩まされつつも、私が最も辛かったのは「不安」という感情だった。何度も流産を繰り返した経験から「まただめなのではないか」という恐怖に苛まれる。形が見えないどす黒い雲のようなものが、常に自分を追いかけてきているような、そんな数ヶ月だった。安定期を超えても幸福感は私に訪れず、その不安と闘っていた。

 私は第六感のような、「予感」を持っている。その予感は仕事で未然にトラブルを防いだり、友人のピンチに突然連絡をするなど、いつも私の人生を助けてきた。不安と共にこの予感がずっと、私にはあった。12週をこえても、16週の安定期を超えても、どこかで「今、人に妊娠していると伝えてもまただめになる気がする」という嫌な予感がつきまとった。いや、そんなはずはない、そんなこと思っちゃだめだと、その発想を頭から振り払う、そんな日々が続き、18週のころには、病院で車をぶつけ「嫌な予感ってこれだったんじゃない?」と親と話したりしていた。
迎えた20週。ここを越えたら上司に伝えよう、そう決めていた検査の日。胎児に「腹水があるから二日後に精密検査を受けてほしい」と医者から告知された。頭が真っ白になって、手が震えた。

恐怖のあまり、母親に迎えにきてもらい、夫に電話をかけた。「大丈夫だよ」と言われても嫌な予感、そして不安という暗闇に閉じ込められ、何も手につかず、ずっと横たわり、泣いていた。
永遠にも感じられる48時間を超えて、大学病院でエコーを受けると子供は気道が通らない「先天性上気道閉塞症候群」であり、そして心臓疾患の疑いがあり、今後亡くなる可能性が高く、生まれても声がでない、心臓疾患などの障害が残る、と医者に言われた。子供があまりにも可哀想だという気持ちで涙が溢れ、言葉が出てこなかったが、つき添ってくれていた母が「何かを判断するべきですか」と言った瞬間、私は中絶を決めた。私に残されている中絶可能な期間がもう短いことは確認しなくてもわかっていた。わかって産むのは、私の親のエゴだ。そんなことはできない。

 診察が終わり、海外にいる夫に電話した。嗚咽と涙が止まらなかった。実家に帰っても、ずっと泣いていた。だが、自分が決断したことに後悔はまったくなかった。そしてずっと私にあった不安が消えていくのを感じ、そこにあるのは深い悲しみと喪失感だった。子供を失くすことはありとあらゆる存在を失うことよりも辛いということを知った。

 その日のうちに心配してくれていた人たちや仕事関係者にはすぐ連絡をとった。これから待ち受けている中絶手術とお別れへの恐怖。何かしてなければ頭がおかしくなりそうだった。心配したいろんな人が連絡をくれ、友人が本を持ってきてくれた。数年ぶりに実家のベッドでその日は睡眠薬を飲んで寝た。

 夫が帰国して、説明を自分の口で再度する最中、あまりにも残酷な運命に絶望してまた号泣してしまった。一緒にいる母親と夫も辛そうだった。
「もう子供ができなんじゃないか」という根拠なき不安がまた襲っては消えしはじめた。また私に「不安」がやってきたのだ。ベッドに入っても寝られず。だが、そのたびに周囲のひとたちが送ってきてくれたLINEやDMを開いた。一緒に泣いてくれているひとの存在、「また絶対赤ちゃんはきてくれるよ」「れいちゃんはいつも最後は幸運になってるよ」「寄り添うから」という一つ一つのメッセージを読んでは、襲いかかってくる不安を打ち消し続けた。

 思い返せば、そうだった。これまでの人生の中でも辛いことはたくさんあった。父親や職場の大好きな先輩を亡くしたときもあった。受験、就職、恋愛、思い通りになることばっかりの人生じゃなかった。でもそのたびに立ち上がり、また挑戦して、振り返ればああでよかったと思える自分だった。現に今回妊娠したときですら、不妊治療を経験してよかった、と私は思ったのだ。「自分は苦労したとしても最終的にはいつも幸運」。これは私が高校生の時に見つけた自分のモットーだ。何があっても私は幸運だと、信じる。過去の自分が立ち上がってきた経験、そして掴んできた幸運という自らの体験に救われた。

 これから5ヶ月一緒にいた子供とお別れをする。
もう不安はない。不安は子供と一緒に空に帰す。また立ち上がる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?